心の準備ができてません 2
ディーナリアスは、ジョゼフィーネの唇に、自分の唇を重ねる。
いっさいの躊躇いもなく、ふと「本当にいいのか?」と自問することもなく。
(ふむ。心地良い。それに、ジョゼフィーネの震えも止まっておるではないか)
リロイの「緊張している」との言葉は、正解だったようだ。
口づけで、緊張が解けたに違いない。
手を握ったり、肩を叩いたり、とかく「ふれる」という行為には緊張を解く効果がある。
ディーナリアスがしているのは、口づけであり、単なる「ふれあい」とは違うが、それはともかく。
ジョゼフィーネのやわらかい唇を、軽く、ちゅ…と吸った。
正直、少し驚く。
ふんわり、しっとり。
ジョゼフィーネの唇は、とても心地いい。
けれど、まだ緊張が残っているのか、ほんの少し唇が冷たかった。
温めたくて、舌先でなぞるように撫でた。
ジョゼフィーネの唇が、ぴくっとする。
(嫁とする口づけは、快いものなのだな)
ディーナリアスは、あまり口づけを好まない。
女性とベッドをともにしてはいた。
とはいえ、しつこくせがまれでもしない限り、口づけたりはしなかったのだ。
あの「べたっ」とした感触が、どうにも好きになれなかった。
なのに、ジョゼフィーネの唇には、その「べたっ」がない。
むしろ「ふわっ」としている。
それが、心地良かった。
ディーナリアスの頭に、あの書の文言が、ちらりと浮かぶ。
ユージーン・ガルベリーの書、第1章、第4節。
『嫁とは、少なくとも1日3回、口づけを交わし、夜はベッドを同じくせよ』
それが愛情表現であり「夫婦円満」に繋がる、と書いてあった。
厳密には、まだ自分たちは「夫婦」ではない。
さりとて、ジョゼフィーネは正妃となる女性だ。
もうそのように決まっている。
早目に「円満」になっておくことに問題はない。
ジョゼフィーネの手の力が強くなった。
ぎゅっと、ディーナリアスにしがみついている。
そして、不意に、ジョゼフィーネが小さく唇を開いた。
その、わずかに開かれたところから、舌を差し込む。
ジョゼフィーネの舌を、くるんと巻き取り、からませた。
ディーナリアスにとっては、あたり前。
口づけは好まないものの、女性から誘いをかけられては、乗らざるを得ない。
拒むのは失礼だし、ベッドの上の行為にも差し障る。
そう思い、応えてきた。
口づけの最中に、女性が唇を開く。
ディーナリアスからすれば、それは「誘い」なのだ。
不思議とも思わない。
不思議なのは行為ではなく、感触だった。
わずかな不快感もなく、やはり心地良いと感じる。
(なにやら独特な快さだ。このまま、ベッドに連れて行くとしよう)
婚姻前にベッドをともにすることも、よくあることだ。
式の時、お腹が大きい「花嫁」もめずらしくない。
王族の婚姻の儀と、貴族の式は、何かと違う面も多かった。
とはいえ、子を成すのは、王族にとっても、とても喜ばしい。
誰も文句は言わないだろう。
ちゅ…と、再び、やわらかく吸ってから、唇を離す。
目を伏せているジョゼフィーネの頬を、手で撫でた。
ばさ。
あれ?と、ディーナリアスは首をかしげる。
しっかりしがみついていたはずの、ジョゼフィーネの手が膝に落ちていた。
コテッと、首も横を向いてしまう。
「ジョゼフィーネ?」
返事がない。
頬をゆるく撫でてみても、反応がなかった。
「いかがした? ジョゼフィーネ? ジョゼフィーネ?」
軽く体をゆすっても、無反応。
返事がないどころか、目も開かない。
ザッと、ディーナリアスは蒼褪める。
「リロイ!」
「は! 我が君、お呼びにございますか?」
ディーナリアスの呼びかけに、リロイが姿を現した。
ディーナリアスが私室にいる間、リロイは「塞間」という魔術を掛けている。
外から室内の様子を探ることができないようにしているのだ。
発動中は、ディーナリアスの呼びかけに、リロイだけが応じられる。
「俺の嫁が病やもしれんのだ! すぐに看よ!」
「かしこまりました」
自分の失態を、深く悔やむ。
リフルワンスとは、気候も風土も違っていた。
この国の者が平気だからといって、ジョゼフィーネが平気だとは限らない。
点門を使っての移動だったため、一瞬で、王宮には着けただろう。
だとしても、大広間で待たせ過ぎたのかもしれないし。
空気そのものが体に合わなかったのかもしれないし。
「どうなのだ、リロイ!」
「我が君……妃殿下は、昏倒しておられるご様子にございます」
「昏倒だと?! なぜだ?! なぜ、そのようなことになった?! まさか大変な病にかかっておるのではなかろうなっ?!」
「いえ……病ではなく、ただ、昏倒しておられるだけにございます」
「だから、それがなぜかと、聞いておるのだろうが!」
「具体的なことは……私には、わかりかねます、我が君……」
リロイから視線を外し、ジョゼフィーネの頬を撫でる。
顔が少し青い。
肌も白かった。
元々、白いのだが、ディーナリアスには「とても白い」ように見える。
「本当に……病ではないのだな?」
「はい、我が君。妃殿下は、病ではございません」
リロイは魔術師だが、一般医療にも長けている。
王宮にいる奥医師らを、呼ぶまでもないはずだ。
元々、奥医師は、後宮に住んでいた正妃や側室を看る医師たちだった。
現在、後宮制度は廃されているが、女性や子を看る者として、奥医師は、王宮に残されている。
その奥医師を、リロイは凌ぐ。
治癒の魔術が使えない状況に備えるためだという。
それは、ディーナリアスのためとも言えた。
リロイは、ディーナリアスの言うことしか聞かないので。
「リスを呼べ」
「かしこまりました」
ディーナリアスは、ジョゼフィーネの頭や頬を撫で続ける。
なにしろ心配でたまらなかったのだ。