一身上の都合 1
ディーナリアスは、もうずっと上機嫌だった。
あれから3日が経つが、ジョゼフィーネとの距離が近づいていると感じられる。
少しずつ、彼女は笑顔を見せるようになっていた。
気持ち的にも、安定しているのが、わかる。
「これは、わかるか?」
眠る前の日課。
2人でベッドには入っている。
が、体は起こしていて、字引きを読んでいた。
ジョゼフィーネが持って開いているのを、ディーナリアスが覗き込む格好だ。
「うん……わかる……」
答えたあと、ジョゼフィーネが、ディーナリアスに視線を向けてくる。
なんとなく、手を伸ばして彼女の頭を撫でた。
ふわんと、ジョゼフィーネの頬が赤くなる。
これも、最近の特徴で、その変化が、ディーナリアスの胸を暖かくした。
(照れておる……俺の嫁は、いちいち可愛らしい)
などと、自分の嫁に対し、悦に入っている。
ジョゼフィーネとの「愛し愛される婚姻」が現実的になってきた。
そのことに、ディーナリアスは、少しばかり浮かれているのだ。
今までの彼らしくもなく。
「あ、あの……ディーン……」
ジョゼフィーネが、ディーナリアスのほうに顔を向けている。
じいっと見つめてくる瞳に、わずかな逡巡が見てとれた。
なにか悩んでいるらしい。
それを口にするかどうか、迷っているのだろう。
ディーナリアスは、体を少し倒して、ジョゼフィーネの額にキスを落とす。
彼女にとって大事なことなら、なんでも聞いておきたい。
さりとて、無理をさせるのも本意ではなかった。
少しずつでいい、と思っている。
婚姻の儀まで、あと2ヶ月ほど。
その後も、自分たちには時間があるのだ。
譲位や式典といった行事で、当面は忙しいが、落ち着けば、のんびりできる。
基本的に、国王は「なにもしない」ことが役目のようなものなのだから。
「あ、頭が……おかしくなったって……思わないで、ほしい、けど……」
「そのようには思わぬさ」
ジョゼフィーネは、言葉に器用ではない。
ディーナリアスの周りにいた貴族令嬢たちのように、言葉での駆け引きをしたり、誘いをほのめかしたりするようなことはできないし、しないと、知っている。
「……あのね……わ、私……この、字引きの言葉……ほとんど、わかるの……」
そのことに、ディーナリアスは驚かなかった。
なんとなく感じていたことだからだ。
ロズウェルドに来てから、ジョゼフィーネは、言葉そのものの意味に対しては、ほとんど問い返すということがない。
リフルワンスで普及されていないはずの言葉も、理解している。
「誰かに教わった、というわけでもないのだな?」
こくりと、ジョゼフィーネがうなずいた。
ジョゼフィーネは、貴族教育を受けさせてもらえていない。
貴族教育を受けているはずの姉2人ですら、字引きの言葉は知らなかった。
彼女に、ロズウェルド独自の言葉を教えられる者などいなかったはずだ。
「わ、わた、私……私ね……」
ジョゼフィーネが、言いにくそうに、うつむく。
それから、ぽつ…と言葉を落とした。
「前世の記憶が……あるの……」
その言葉が、スッと心に入ってくる。
ディーナリアスの趣味は、文献漁りなのだ。
古い文献には、そういう類の記述があるものもあった。
迷信と言われるような内容も少なくないが、迷信というのも、なにかしら理由があって生まれる。
古い土着の儀式だとか、気候により生じる変化だとか。
理解できないこと、不思議と感じる現象が、迷信化されたりするのだ。
口から出まかせを言うにしても、元になるものは必要とされる。
ただ、彼は、ジョゼフィーネが、迷信を口にしているとは思っていない。
「その記憶に、ロズウェルドの言葉もあるのか?」
「……ロズウェルドのって言うか……私の前世で使ってた、言葉だと、思う」
だから、彼女は、すぐに理解できるのかと、すんなり納得する。
ディーナリアスは、うつむいているジョゼフィーネの頭を撫でた。
ジョゼフィーネが顔を上げ、ちょっぴり不安げな表情を浮かべる。
「……わ、私……あ、頭がいいわけじゃ、ないよ……?」
元々、知っていた言葉だからわかっただけ、と言いたいらしい。
ジョゼフィーネは、己を、いつも低く見積もる。
自信のなさが、そうさせるのだろうが、ある意味で、それは謙虚とも言えた。
自分を良く見せようとはしないのだ。
そもそも「前世の記憶がある」などと打ち明けたりせず、字引きなしに理解していることを、自慢にしてもいいのに。
「だが、記憶は薄れるものだ。今も覚えておるのだから、賢いではないか」
ぱちぱち。
ジョゼフィーネが、瞬き数回。
「えと……あの……ディーンは、信じてる……?」
「疑う理由がなかろう?」
ジョゼフィーネは、まるで利にならないことを打ち明けているのだ。
それこそ「頭がおかしくなった」と思われる可能性のほうが大きい。
にもかかわらず、打ち明けている。
(俺を、信頼できるようになったがゆえに、話す気になったのだ)
臆病で、傷つき易いジョゼフィーネが、あえて打ち明けてきた。
となれば、それは真実に違いない。
少なくとも、ジョゼフィーネにとっての真実ならば、ディーナリアスにとっても真実だ。
「む。そうか」
「な、なに……?」
「国王というのは、基本、何もせぬのでな。この先、時間が有り余ることになる」
急に、話が変わったと思ったのかもしれない。
ジョゼフィーネが、首をかしげている。
「お前の力を借りて、新しい字引きを作ったりはできぬか?」
ジョゼフィーネの瞳が、きらきらと輝いた。
頬が、ほんのり赤く色づいている。
「わ、私も、ま、前にね、そ、そう思ったこと、ある……」
「そうであったか。俺とお前は、本当に相性が良いな」
嬉しそうに、ジョゼフィーネが、微笑んだ。
ディーナリアスも、にっこりする。
「お前が隣におると、この先の人生が楽しみになってくる」
肩を引き寄せ、ジョゼフィーネを、ぎゅっと抱きしめた。
抱きしめ返してくるジョゼフィーネが、とても愛しく感じられる。
自分の「嫁」が彼女で良かったと、ディーナリアスは、強く思った。




