私じゃなくてもいいのでは 3
目の前で、ぱしんっと扉を閉められた気分だ。
なにがジョゼフィーネの態度を一変させたのかが、わからない。
ディーナリアスからすると、あまりにも唐突に感じられた。
ジョゼフィーネがサビナに支えられ、離れて行く。
寝室で横になったほうがいいのだろう。
もしかすると、姉2人に会ったことで、精神的に疲れているのかもしれないし。
(しかし……どうにも嫌な感じがする……)
このまま、ジョゼフィーネは、自分の元に戻って来ないのではないか。
そんな気がした。
正妃選びの儀の時とは違う種類の、怯えのようなものが漂っている。
単純な、身の危険といったようなものに対する恐怖ではない。
(ジョゼは……疲れておるのだ……明日になれば、また笑ってくれるであろう)
疲れているところに、あまり、あれこれ言ったり聞いたりしたくなかった。
彼女を、よけい疲れさせるだけだ。
自分に言い聞かせてみるが、効果は薄い。
なんとも言い様のない不安にとらわれてしまう。
何事にも無関心で、けれど、やりたいことはやる。
そういう毎日を過ごしてきた彼は、なにかに不安になったことなどなかった。
ジョゼフィーネの心が、アントワーヌの元にあるのではないかと気にかけていた時と似ている。
実際的な距離ではなく、感情としての距離が遠くなったと感じるのだ。
そんなディーナリアスの頭に、書の言葉が浮かぶ。
ユージーン・ガルベリーの書
第1章、第8節。
『己の心を言葉にするよう努めよ。言わずとも理解し合えることもあるが、逆もまた、あり得る。とくに不和の生じた際には、言葉を尽くし、語り合うべし』
「待て、サビナ」
振り向いたサビナは、眉をひそめている。
ディーナリアスに「やめて」と言いたげな表情だ。
ジョゼフィーネは振り向かず、小さくなっている。
寝室との間にある扉に近づきかけていた2人に、ディーナリアスは歩み寄った。
「少しだけだ。サビナも、ここにおればよい」
ジョゼフィーネが、サビナに信頼を寄せているらしいことには気づいている。
茶会前までにはあった自分との親密さは消え、信頼も失っていると感じた。
だから、サビナに下がれとは言わずにおく。
サビナがいることで、ジョゼフィーネも少しは安心するだろうと思ったのだ。
「俺は、お前との関係を、より良いものにしたいと考えておる」
どこから、なにから話せばいいのかと、ディーナリアスは逡巡する。
ジョゼフィーネの変容の原因が掴めずにいるからだ。
言葉ひとつが、離れていく彼女の気持ちへの決定打となりかねない。
だいたい、今まで「言葉を尽くす」なんてしたことがなかったし。
「俺の傍におってほしいのだ、ジョゼ」
それが、どう伝わったのか、ジョゼフィーネが体を、さらに小さくする。
その体を、ぷるぷるっと震わせ、そして。
「……わ、私じゃなくても……お姉さまたちのほうが……」
小声で言うジョゼフィーネに、ディーナリアスは驚いた。
一瞬、言葉をなくす。
が、すぐに気持ちを落ち着けた。
ここは、絶対に間違えてはいけない。
振り向かないジョゼフィーネに、そう思った。
彼女は、怯えている。
怖いのだと、わかった。
「だから、私……国に……」
「待て、ジョゼ。その言葉は、俺の話を、もう少し聞いてからにしてくれぬか?」
ジョゼフィーネが気持ちを固めてしまう前に、言っておかなければならない。
正直に、話す必要がある。
「正妃選びの儀の朝、俺は、リスに、正妃を娶り即位しろ、と言われた。渡された報告書に、ひと通り目を通し、お前の出自も、あの王太子とのことも知った上で、あの広間に行ったのだ」
ディーナリアスは、順を追って語ることにした。
ジョゼフィーネが、それを、どう判断するかはわからない。
失う可能性もある。
「正妃となるのを承服しているのであれば、誰でもかまわぬ、と思っていた」
びくり、とジョゼフィーネが、大きく体を震わせた。
彼女が恐れているのは「それ」なのだ。
「そもそも、俺に選ぶ権利はなかったのだ。リスには、自国の女性以外を正妃候補にするよう申しつけていたのでな。誰であろうと正妃として娶るつもりであった」
あの時点での、ディーナリアスの正直な気持ちだった。
もとより、己で出した条件だ。
条件を満たしている以上、誰であれ受け入れる。
ディーナリアスは、生真面目に、そう結論していた。
「だが、大広間でお前を見て、国に帰りたがっているのではないかと思い、確認をしたのだ」
ジョゼフィーネの、ぷるぷると震えていた姿を思い出す。
リスからは「アンタを怖がっている」と言われた。
けれど、報告書を読んでいたディーナリアスは、彼女の心がまだアントワーヌの元にあり、国に帰りたがっているのかもしれないと思ったのだ。
「お前は国には帰らないと示した。ゆえに、お前を、俺の嫁とすることに決めた」
「……ほ、ほかの人が……選ばれてたら……」
「そうやもしれん。あの場にいたのが、お前でなければ、俺は、お前と出会うことすらなかったのだからな。その場にいた者を正妃として娶っていたはずだ」
それも揺るがしがたい事実だった。
あの場にジョゼフィーネがいたのは、偶然と言える。
リフルワンスの国務大臣には3人の娘がおり、その内の1人が愛妾の娘だった。
リフルワンスでは、愛妾の娘は厄介者扱いされている。
父である国務大臣がジョゼフィーネを選んだのは、それが理由でしかない。
もし、3人とも正妻の娘であったなら、誰が来ていたかはわからないのだ。
もしかすると、国務大臣の娘でさえなかったかもしれない。
「それでも、あの場にいたのは、お前なのだ、ジョゼ」
これは仮定の話ではなく、現実だ。
実際にいたのは、ほかの誰でもなくジョゼフィーネだったのだから。
「俺は、お前以外を、正妃とする気はない」
「私なんかより……っ……ほ、ほかに、ふ、相応しい人、いるよ……っ……私に、正妃なんて無理っ! いいとこなんてないし! できそこないだしっ! みんなに嫌われて、ウザがられてるのに、正妃なんて、できない! だから、国に……」
最後までは言わせない。
振り向かないジョゼフィーネの腕を掴み、バッと引き寄せた。
すぐさま、唇に、唇を重ねる。
いつもは、こんな強引な真似はしないのだけれど。
彼女は怯えている。
己でなければならない理由を見つけられないからだ。
ジョゼフィーネは、彼女自身を嫌っている。
だから、怖いのだ。
ディーナリアスの前で、初めてジョゼフィーネは感情を吐露した。
そして「自分でなくてもいいはずだ」と、何度も訴えている。
ディーナリアスが、彼女を大事にしているとわかっているのに、だ。
つまり、今ではなく、この先を見ている、ということ。
(俺の心変わりが、不安なのであろう? お前は、俺を好いているから)




