私じゃなくてもいいのでは 2
私室に戻ってきても、心がざわついている。
姉たちの言葉が思い出され、またハイパーネガティブ思考に陥っていた。
そもそも、というところに、気持ちが向いている。
姉の言葉を思い出した。
途中切れになってはいたが、十分に言葉を繋げられる。
『元々、あなたでなくても良かった』
(そう、なんだよね……私じゃなくても良かったんだ……誰でも良かったのに、私みたいなのが来て……本当は……ウザがられてるのかも……しれない、よね……)
捨てたくても、記憶は捨てられない。
勝手に、表情がこわばった。
ジョゼフィーネの、最も嫌な記憶が蘇ってくる。
『前から思ってたけど、あんた、ウザい』
『あんた、みんなにウザがられてるんだよ?』
『どこのグループにも入れてなくて可哀想だから、入れてやったんじゃん』
人は恐ろしい。
親しげに振る舞う、その裏で、悪意を隠し持っている。
ロズウェルドに来て、ディーナリアスを知り、安心感をいだくようになった。
けれど、なぜ信じられたのかが、わからなくなっている。
誰でも良かった。
自分である必要はなかった。
その思いに、とらわれている。
彼は、単に「嫁」に対しての責任を果たしているだけなのだ。
貧相で取柄のない自分を可哀想に思い、我慢してくれているのかもしれない。
政略結婚でも愛は必要だと、ディーナリアスは言った。
が、もし、ほかの誰かが選ばれていたら、その人と愛を育んでいたのだろう。
そんなふうにしか考えられない。
彼女の心は、12歳で止まっている。
今世では16歳となり、大人と認識される歳になった。
けれど、その心の奥には、小さな子供が膝をかかえて、うずくまっている。
そして、「怖い、怖い」と泣いているのだ。
信じきって、心をあずけて、そのあと、切り捨てられたら?
せっかく前に進んでいた道を、一気に、びゅんと逆戻り。
自分の部屋に引きこもりたくなっている。
「ジョゼ、いかがした?」
びくっと、体が震えた。
ジョゼフィーネは、ディーナリアスのことが好きなのだ。
アントワーヌの時のような、曖昧な「好意」ではない。
はっきりとした自覚がある。
だからこそ、頑張ろうとしたのだが、今は、逆に、怖くてたまらなかった。
自分でなくとも良かったのならば、いつか、この手を失うのかもしれない。
離されてしまう手なら、繋がないほうがいいのだ。
最初から、握ってくれる手などないと諦めていれば、傷つかずにすむ。
『は? トモダチ? なに言ってんの?』
『もうさ、面倒くさいから、いいや』
『人の悪口を言う前に、自分の性格、直したら?』
思い出したくもないのに、活字が、バラバラと降ってきた。
信じていたものが、壊れた時の記憶だ。
向けられていた笑顔や言葉を、真に受けて痛い目に合った。
それらが、ジョゼフィーネを、後ろに後ろにと引っ張る。
自分が、彼を好きになり過ぎたのがいけないのだ。
だから、こんなにも怖い。
ディーナリアスの顔を見る勇気も出なかった。
膝の上で体を縮こまらせ、うつむいている。
「ジョゼ」
失うものがなければ、失うことを恐れずにいられた。
諦めてしまえば楽になれる。
ジョゼフィーネは、経験則で、それを知っていた。
「先ほどのことは、気に病む必要はないのだぞ?」
必要があろうとなかろうと、彼女には関係ない。
気に病むものは気に病むし、思い出した記憶も消せなかった。
体を硬くして、黙り込む。
心の殻が、再び、彼女の心を取り囲み始めたのだ。
ディーナリアスの手が、頬にふれてくる。
ジョゼフィーネは、反射的に、バッと顔をそむけた。
「ジョゼ……」
声に、驚きと落胆が混じっているのを、敏感に察する。
がっかりされた、との思いが、なおさらジョゼフィーネを追い詰めた。
胸が苦しくて、痛い。
こんな時でさえ、どうすればいいのかが、わからなかった。
「妃殿下は、お疲れなのでしょう。少し休まれたほうがよろしいかと存じます」
サビナだ。
ジョゼフィーネは、顔を上げ、サビナのほうを見る。
サビナは、本当の意味で、信頼できるのだ。
サビナが自分に「悪意」を持っていないと、わかっていた。
「殿下」
「……わかった」
ディーナリアスが、ジョゼフィーネを膝から降ろす。
すぐにサビナに体を支えられた。
少しだけ、ホッとする。
(もう……期待、しないように、しなきゃ……)
自分を求めてくれていたと感じたのは、勘違いだったのだ。
ディーナリアスは「嫁」を求めていたに過ぎない。
そして、その「嫁」は、誰でもよかった。
ジョゼフィーネにとって、彼は特別な人になっている。
けれど、彼にとっては、違うのだろう。
自分は特別に思われているなどと、馬鹿な勘違いをしていただけだ。
ディーナリアスは誰であっても「嫁」なら助けたし、信じたに違いない。
彼は、真面目だから。
(……傍にいられたらいいって、思ってたのに……)
ディーナリアスの傍にいられるのなら、愛妾でもかまわない。
そう思えた時もあった。
なのに、今は、傍にいること自体がつらくなっている。
同じ気持ちを返してもらえないのが、悲しくてたまらなかった。
愛し愛される関係を、彼は誰とでも築けるのだ。
さりとて、ジョゼフィーネのほうは、そうはいかない。
ディーナリアスでなければ、そんな関係を築けるとは思えずにいる。
彼にも「お前でなければ駄目だ」と言ってほしかった。
(……欲張り、過ぎ、だよ……私なんかより、相応しい人が、いるよ……)
ロズウェルドに来た頃よりも、ハイパーネガティブ思考が炸裂。
悪いほうにばかりとらわれて、道の先を見ることができなくなっている。
それは、ジョゼフィーネに、初めて大事な人ができたから、だった。




