百年の恋が冷めました 4
掴んでいたアントワーヌの手を、振り放す。
ジョゼフィーネを背中に庇い、ディーナリアスは、アントワーヌの前に立ちふさがっていた。
冷静な怒りが、ディーナリアスをつつんでいる。
そんなディーナリアスとは真逆、激情に駆られているアントワーヌを睨んだ。
「ジョゼは、俺の嫁だ。乱暴は許さん」
「薄汚い奴め! 地位をかさに、ジョージーを穢したのだろうっ!」
「仮に、そうだったとしても、お前が、俺の嫁に手出しする理由には成り得ぬ」
「大国だからと偉そうに! ジョージーは私のものだ! 返してもらう!」
アントワーヌが、前に出ようとする。
その足元に、小さな雷を落とした。
ぱしんっと弾ける金色の光が、アントワーヌの足を止めさせる。
驚きが、瞬く間に恐怖に変わっていくのが、わかった。
「ま、魔術を使うとは……卑怯な……」
「ロズウェルドは魔術師のおる国だと、知っていて来たのではないのか?」
人は、見聞きしたというだけでは、危険を実感することができないものだ。
実感がないから、避ける努力が疎かになる。
たとえば、ライオンを知っていても、実際に牙をむかれるまで、それは、絵本の中の動物に過ぎない。
危険の度合いが測れないため、迂闊に近づいたりもする。
「私を殺せば、戦争になるぞ」
「外には近衛騎士がおる。騒ぎとなれば、ここに来る手筈だ」
戦争になって困るのは、リフルワンスだ。
ディーナリアスは、ちっとも困らない。
ロズウェルド王国内の乱れも少ないだろう。
力の差は歴然としている。
アントワーヌの顔色が変わった。
自分が追い込まれていると自覚したらしい。
密入国者として捕まれば、断罪されてもしかたがないのだ。
リフルワンスに、文句を言われる筋でもなくなる。
「……ジョージー……きみが、私を裏切るなんて……」
ジョゼフィーネを責める言葉に、イラっとした。
ディーナリアスは、ジョゼフィーネが王宮を出てからのことを知っている。
視ていたからだ。
彼女が躊躇うように、曲がり角の前で足を止めたことも。
決意に満ちた瞳をして顔を上げ、歩き出したことも。
一生懸命に自分の気持ちを話そうとしていたことも。
そして、そのことごとくが無視されたことも。
すべて知っている。
だから、腹立たしい。
乱暴をしようとしたことよりも、言葉によって、ジョゼフィーネを傷つけていることが許せなかった。
口を縫ってやりたいくらいだ。
「己の愚かさを、ジョゼのせいにするな。近衛をつけておることも、俺が護衛しておることも、ジョゼには話しておらん」
というより、ディーナリアスが「護衛」しているのは、誰も知らない。
リロイにもサビナにも、話してはいなかった。
2人は、近衛騎士だけで大丈夫だろうかと、心配していたのだ。
が、ジョゼフィーネとアントワーヌの「逢瀬」を、ほかの者に見聞きさせることはできない。
ジョゼフィーネの尊厳に関わる。
そう思って、ディーナリアスは、自分だけで彼女を「護衛」していた。
危険がなければ出るつもりはなかったし、2人の間に「なにか」あったとしても、黙っているつもりでいた。
ディーナリアスの心配は、ただ1点、ジョゼフィーネが「国に帰る」と言い出すか否かにあったのだ。
「私を……どうするつもりだ?」
「どうもせぬ。勝手に入って来たのだから、勝手に1人で帰れ」
言い捨てて、くるっとアントワーヌに背を向ける。
アントワーヌのことなど、もはや、どうでもいい。
これ以上、ジョゼフィーネを傷つけさせたくなかった。
「そう言いながら、外に出たとたん、近衛に囲ませる腹だろう! 汚い奴だ!」
ディーナリアスは、またイラっとする。
帰れと言っているのだから、素直に帰ればいい。
それで、事はおさまるのだ。
どうでもいいアントワーヌのことで、面倒を引き起こす気はなかった。
「そうまで言いながら、なぜ、お前は俺に決闘を申し込まぬのだ? お前が、俺に手袋を投げるのなら、魔術なしで相手をしてやるぞ?」
肩越しに、アントワーヌを睨む。
アントワーヌが、言葉を詰まらせた。
結局のところ、アントワーヌは、リフルワンスの王太子としての自尊心を保っていたかっただけなのだ。
どんな覚悟も持ってはいない。
「大人しく国に帰れ。1人で、な」
ディーナリアスは、震えているジョゼフィーネの頭を撫でる。
臆病で脆い彼女が、どれほど頑張ったか、わかっていた。
たくさんの傷を負いながら、ジョゼフィーネは必死で闘ったのだ。
ディーナリアスのために。
「さすがは俺の嫁だ」
サッと、ジョゼフィーネを抱き上げる。
瞬間、扉が、バタンと開いた。
振り返ることなく、部屋を出る。
アントワーヌは、引き留めては来なかった。
引き留められていたら、殺さない程度に吹き飛ばしていただろうが、それはともかく。
「ディーナリアス殿下!」
道に出たディーナリアスへと、近衛騎士の1人が駆け寄ってくる。
サビナの夫、オーウェン・シャートレーだ。
暗い銀色の髪と瞳をしており、近衛の騎士隊長服を身にまとっていた。
足を止めたディーナリアスの前に、跪いてくる。
「捕らえますか?」
「いや、むしろ、あれが無事に国へ帰れるよう見張っておけ」
「かしこまりました」
オーウェンの目が、少しだけ揺らいだのを、ディーナリアスは見逃さない。
オーウェンは近衛騎士隊長をしているのだ。
王宮の護衛のほかにも、様々な役割を担っている。
(リスにも、なにか言われておるのだろうな)
リスが、アントワーヌに見張りをつけていないはずがない。
ディーナリアスにも、いくつか気になる点があった。
が、それはリスに任せることにする。
ディーナリアスが気にしようと気にすまいと、リスは好きなことをするのだ。
この国の宰相、リシャール・ウィリュアートンとして。
「リロイ」
呼ぶと、リロイが、すぐに姿を現す。
言うまでもなく、ディーナリアスの私室へと点門が開かれた。
ジョゼフィーネを抱きかかえ、ディーナリアスは、門を抜ける。
頭から、アントワーヌのことなど、すっかり消えていた。
それよりも、もっと大事なことを、考えていたからだ。




