百年の恋が冷めました 2
アントワーヌは、安普請な宿の室内で、苛々している。
室内を歩き回ったり、イスに腰をおろしたりを、繰り返していた。
今もまた、歩き回るのをやめ、イスに座ったところだ。
室内が暑いことにも、苛々させられる。
手紙を出してから3日が経っていた。
ファビアンは、ジョゼフィーネの手に渡るようにする、と言ったが、まだ彼女の手元には届いていないのかもしれない。
が、時間は迫っている。
長逗留はできないのだ。
前回は、体調不良を訴えての静養を口実にした。
さりとて、同じ口実は使えない。
今回は、ファビアンに同行し、抜き打ちの視察するのを名目に、リフルワンスを離れている。
視察先は、リフルワンス国内の領地と報告していた。
そのため、ロズウェルドに長くいることはできないのだ。
遅くとも明日の朝には、ここを出なければならない。
ファビアンから、それまでにジョゼフィーネが現れない場合は、ひとまず諦めるようにと言われている。
リフルワンスに事が露見するということより、アントワーヌの身が、危険となるためだ。
ロズウェルド王国内で、リフルワンスの王太子が捕まるようなことにでもなれば取り返しがつかないことになる。
前回も、密入国ではあったが、正式な謁見の申し入れをしたため、見逃されたに過ぎない。
今回は、謁見を申し入れてもいないのだ。
ただの密入国者として捕らえられれば、当然に断罪される。
だから、ジョゼフィーネを説得し、すぐに、ここを離れる必要があった。
会うことさえできればなんとかなる。
アントワーヌは、そう思っていた。
(ジョージー……きみは、私のことを想い、身を引いてくれたのだろうね……)
あの日、廃園で会う約束をしていたのに、ジョゼフィーネは来なかった。
残されていたのは、別れの手紙。
読んだ際には、かなりの衝撃を受けている。
ジョゼフィーネは、いつもアントワーヌを頼りにしていた。
彼女の世界には、自分しかいなかったはずだ。
気が弱く、控え目で、決断のできない大人しい女性。
それが、アントワーヌにとってのジョゼフィーネだった。
アントワーヌの言うことに、なんでもうなずいてくれて、否定などしない。
だから、ジョゼフィーネが自分を拒絶するとは、どうしても思えずにいた。
アントワーヌは、ジョゼフィーネが、王太子である自分の立場を慮り、身を引いたのだと、結論している。
そうなる前に、決断しなかった自分の責任だとも感じていた。
結果、こんなことになってしまったのだ。
謁見の日を思い出す。
イスに座ったまま、前かがみになり、握り締めた両の拳を見つめた。
あの男、ディーナリアス・ガルベリー。
アントワーヌは、より強く手を握り締める。
ディーナリアスは、ジョゼフィーネを抱きかかえ、謁見の場に現れた。
しかも、そのまま、彼女を膝に抱いての会話をしている。
傲岸不遜にもほどがあった。
いかにも大国の王太子といった、尊大さが腹立たしい。
(ジョージーは、あの男を恐れているのだろう)
自分のほうを見ることすらできないほど、恐ろしい目に合っているに違いない。
もしかすると、よけいなことを言えばリフルワンスの王太子を殺すと、脅されていたのかもしれない、と思う。
そうでもなければ、ジョゼフィーネが自分の呼びかけに応じないなんて、あり得ないのだ。
(くそっ……私のジョージーに……っ……)
アントワーヌは、ジョゼフィーネは自分のものだ、と思っている。
彼女は、ずっと従順だった。
アントワーヌが嫌だと言うことはせず、してほしいと言ったことだけをする。
ジョゼフィーネ自身の立場もわきまえていて、けして前に出ようとしなかった。
ほかの貴族令嬢とは違い、文句や不満を言うこともない。
アントワーヌが体の関係を結んできた女性たちは、よく不平をもらす。
そして、少なからず、なんらかの要求をしてくるのだ。
そういう女性には煩わしさしか感じなかった。
さりとて、欲はある。
ジョゼフィーネと関係を結べない以上、我慢するよりほかなかった。
人目が憚られ、ジョゼフィーネを屋敷の外に連れ出すことはできない。
かと言って、あの廃園で情事に及ぶわけにもいかない。
そのため、アントワーヌは、長らくジョゼフィーネを「自分のもの」にできずにいた。
口づけくらい、と思ったことはある。
が、やはり人目が憚られたのだ。
万が一、屋敷の者に見とがめられでもしたら、と思い、危険を回避した。
(ジョージーが、ここに来てくれさえすれば、すべてが正せる)
ファビアンから、この国では「婚姻に女性の意思が必要」だと教えられている。
ならば、話は簡単だ。
ジョゼフィーネを、説得しさえすればいい。
彼女は気が弱い。
あの男を恐れ、なにも言えずにいるのだろう。
婚姻に、女性の意思が必要だとも、知らされていない可能性もある。
少なくともリフルワンスでは、彼女に選択権はなかった。
その経験から、意思を示そうなどとは思っていないはずだ。
だとしても、自分が説得すれば、わかってくれる。
気の弱い彼女だが、きっと勇気を出せるに違いない。
ジョゼフィーネだって、あんな男の元にはいたくないだろうし。
愛する男性がいるので国に帰りたい。
そう言えばすむことなのだ。
それで、ジョゼフィーネは、自分の元に帰って来られる。
アントワーヌも、もう彼女を手放すつもりはなかった。
ジョゼフィーネが帰ってきたら、すべきことをする。
そう決めていた。
さりとて、時間がない。
今夜を逃せば、次にロズウェルドに来られるのが、いつになるのか。
王太子であるアントワーヌは、口実なくして国を空けられないのだ。
口実の種だって、いくつもあるわけではない。
落ち着かなくて、苛々して、アントワーヌは立ち上がる。
室内を行ったり来たりし始めた時だ。
コンコン。
扉の叩かれる音がした。
すぐに飛びつきたくなるのを我慢する。
扉の外にいるのがジョゼフィーネだとは限らないからだ。
「どうぞ」
扉が開かれ、その向こうに、ジョゼフィーネが立っている。
おずおずといった様子で入ってくるのを見て、安堵が広がった。
あとはジョゼフィーネを説得するだけで、彼女を取り戻せる。
アントワーヌは、自分の思い描く結果のみを、信じていた。




