百年の恋が冷めました 1
ジョゼフィーネは、だいぶ戸惑っている。
もともとディーナリアスのことは、よくわからない人だ、とは思っていた。
が、ここにきて、さらにわからなくなっている。
(やっぱり言わないほうが、良かったかな……サビナに頼めば、行けたのに……)
アントワーヌに会おうとしているのを、ディーナリアスに話したのは失敗だったのだろうか。
ここ数日、彼は、とても憂鬱そうだ。
表情は変わらないが、それでも伝わってくる。
それに、ディーナリアスからの言葉が、明らかに減っていた。
(私と話すのが……嫌になった? 嫌われたの、かも……)
そもそも好かれていたのかどうか、という話だ。
ディーナリアスから「俺の嫁」と言われてはいた。
さりとて、「好き」とか「愛している」というようなことは言われていない。
恋人という過程なく、いきなりの婚姻。
政略結婚だから、告白なんてないものなのかもしれないけれど。
(だって……なんか、違うんだもん……キス……前と、違う感じ……)
ここのところ、キスの回数は増えている、気はする。
だが、なにか変なのだ。
もちろん、自分が慣れていないからわからないだけ、ということもあり得る。
前世も含め「おつきあい」をしたのは、アントワーヌが初めてだったし、アントワーヌとはキスなんてしたことはなかったし。
ディーナリアスを思い浮かべながら、ジョゼフィーネは、とぼとぼ歩いていた。
王都の街は、王宮の外周にあると聞いている。
その片隅に、指定された宿はあった。
ジョゼフィーネは、そこに向かっている。
6月に入ってから陽が長くなっていて、夜でもまだ、外は明るい。
外気は、リフルワンスより暑い感じだ。
王宮内などは魔術師が温度調節しているので、意識できずにいたが、夏に入ったのだな、と感じる。
サビナが袖の短いドレスを着せてくれた理由がわかった。
角を2つ曲がれば着く、というところまで、リロイが送ってくれている。
それを指示したのは、ディーナリアスだった。
護衛をつけると言っていたが、その姿は見えない。
魔術師は姿を隠せるらしいので、近くにはいるのだろう。
さりとて、姿が見えないと、1人で歩いている気分になった。
(くるんってするの、なくなったし……私がヘタだから……? 飽きた……?)
なんとも不安で、後ろ向きなことばかり考える。
だんだんにおさまりつつあった、ハイパーネガティブ思考が、またしても大きな顔をし始めていた。
どうせ、どうせ、と声がする。
(私の人生だもん、どうせ、こんなもんだよ。前だって、そう……今回だって……アントワーヌだって……)
そこまで考えて、ようやく、自分が、なぜここに来たのかを、思い出した。
アントワーヌに、きちんと伝えるためだ。
ディーナリアスとの婚姻の話を聞かされる、ひと月ほど前のことになる。
アントワーヌと廃園で会う約束をしていた。
が、ジョゼフィーネは廃園を訪れず、手紙を残したのだ。
アントワーヌとの婚姻は、なかったことにしてほしいということ、そして、もう会わないということを綴っていた。
(手紙、読んでないのかもしれないし……ちゃんと口で言わなかったから……)
アントワーヌに、自分の意思が伝わっていない可能性がある。
屋敷の中にいれば、アントワーヌは話しかけては来ない。
手紙を受け取ったかどうかの確認もできずにいた。
だから、会って話がしたかった。
しなければならないと、思った。
ジョゼフィーネの心は、決まっている。
あの角を曲がれば、アントワーヌの指定していた宿があるのだ。
手前で、ジョゼフィーネは、足を止める。
言わなければとの思いはあるが、どう言えばいいのか、言葉が定まらない。
ずっと引きこもっていて、人と接するのを避けていたため、彼女は、言葉を操るのが得意ではないのだ。
11年もの間、アントワーヌは、ジョゼフィーネの近くにいてくれた。
そのことには、とても感謝している。
1人ではないと思えるのは、ありがたかったからだ。
アントワーヌは、言葉もたくさんくれた。
好きだとか、愛しているだとか。
婚姻しよう、だとか。
結局、その言葉は真実にはならなかったが、いっとき夢は見られた。
アントワーヌの傍で家庭を築く。
そんな夢想が、日々のつらさから、彼女の心を救ってくれたのだ。
それだけで、肯とすべきだった。
彼を恨む筋の話ではないし、本当には、不満を持つのもおこがましいくらいなのだろう。
しかたないと諦めて、アントワーヌの愛妾になればよかったのかもしれない。
別れることにしたのは、自分の我儘であり、身勝手な逃げ。
ジョゼフィーネ自身、なにもしなかったからだ。
状況を変える努力もせず、傷つくのが嫌で逃げ出している。
アントワーヌより、自分の気持ちを優先させた。
(トニーに甘えてただけ……トニーが、なんとかしてくれるって思って……)
自ら、動くことから逃げていた自覚はある。
本当には、自分の後ろ向きな性格が嫌だった。
それでも、人の悪意に晒されるのが怖くて、逃げずにはいられなかったのだ。
前世も最悪、今世も最悪。
人なんてそんなもの、自分の人生なんてそんなもの。
自分の中に閉じこもっていれば、大きな傷を負うことはない。
1人ぼっちの世界のほうが、彼女にとっては安全だった。
けれど、今、彼女の世界は変わりつつある。
サビナの言ってくれた言葉を思い出していた。
『妃殿下、時には無理をすることも必要な場合がございます』
無理だと思っていたダンスも、ディーナリアスと一緒なら踊れたのだ。
明確に理屈があるわけではないが、ここは無理をするところだ、と感じる。
後ろ向きな思考にとらわれている場合ではない。
大きな顔をし始めていたハイパーネガティブ思考を、必死で振りはらった。
ディーナリアスの傍にいるためなら、無理だってできる。
彼に任せておけばいい、といった態度では駄目なのだ、きっと。
(ディーンは……助けに来てくれて……私のこと、信じてくれた、人……)
ディーナリアスは、ジョゼフィーネを庇ってくれた。
あの庭園の時だけではなく、いつもいつも、前に出てくれる。
あの大きな背中で、自分を守ってくれるのだ。
同じ目線まで降りてきてくれて、些細なことでも褒めてくれる。
ジョゼフィーネの、ハイパーネガティブ症候群すら抑えつけて、信じても大丈夫だと伝えてくれた。
だから、ここは逃げてはいけないところ。
そんなふうに感じる。
ほんのささやかであれ、前に進む1歩を踏み出したかった。
ディーナリアスと笑っていたいから。
ジョゼフィーネは、深呼吸をして、歩き出した。
角を曲がると、小さな看板がぶら下げられた宿がある。
人気はなく、ほかに宿もないので、すぐにわかった。
(ちゃんと言う……国には帰らないって……ディーンの傍にいたいって、言う)
決意を込めて、扉に手をかける。




