俺の嫁だと言われても 4
目の前に、柱が現れた。
2本の柱には人が通れるだけの間があり、その向こうに別の景色が見えている。
ディーナリアスの私室だ。
リロイが「点門」という魔術を使って、大広間と私室を繋いでいた。
ディーナリアスは、ジョゼフィーネを抱きあげたまま、門を抜ける。
リロイも続き、すぐに門が閉じた。
振り向かず、カウチのほうに歩いていく。
由緒あるカウチだ。
「それでは、私は、これにて失礼いたします、我が君」
後ろで声がした。
が、やはり振り向かないし、返事もしない。
いちいち指示したり、返事をしたりする必要はないからだ。
リロイは、ちゃんと、わかっている。
そうでなければ、傍には置いていない。
ディーナリアスは、面倒なことを好まない性格をしている。
とはいえ、彼自身が面倒と思うことは、一般的ではなかった。
むしろ、逆だったりする。
ディーナリアスが面倒なことは、たいていは、ごくあたり前のことなのだ。
彼の好むことのほうが、周囲には「面倒」と思われている。
ディーナリアスはカウチに座り、ジョゼフィーネを、改めて見てみた。
薄い緑の髪に、薄紫色の瞳は大きく、はっきりした二重瞼をしている。
鼻は小さくて、つんと高かった。
ぽてっとした唇は、薄い赤。
(無理は強いていないと、リスは言っておったな。本人に、帰る気もない)
ということは、自分の正妃になるのを納得している、と考えられる。
なのに、どういうわけなのだろう、と首をかしげた。
ジョゼフィーネは、まだ震えている。
彼女の体をかかえている腕から、震えが伝わってくるのだ。
「いかがした?」
聞いても、彼女は答えない。
唇が震えているのにも、気づいた。
(よくわからんな……俺は、それほど恐ろしく見えるのであろうか……)
自分のことなので、よくわからない。
けれど、周りにいる者たちから、これほど怯えられたことはなかった。
これまで、女性とも、ある程度は関係を持ってきている。
嫌がられたり、拒絶されたりしたことはない。
彼女らは、ベッドをともにするのを、自ら望んでいたのだ。
(だが、俺の嫁を、俺が怖がらせてどうする)
ディーナリアスには「嫁」に対する信念がある。
大いなる勘違いの部分もあるのだが、それは、彼のせいではなかった。
ディーナリアスの信念の柱になっているもののせいだ。
ユージーン・ガルベリーの書。
王族だけが読むことを許されている文献。
ディーナリアスは、それを幼い頃から何度となく読み返している。
197章、注釈まで含め、すべて丸暗記しているくらいだった。
その第1章第2節には、こう書かれている。
『嫁(妻となる女、または、妻となった女の別称)は、いかなることがあっても守り、泣かせてはならない。また、誰よりも大事にし、常に寄り添い合い、愛し愛される関係を築く努力をすべし』
ちなみに第1章は、家族について書かれている章だ。
その2節は、妻に対する、己の姿勢がどうあるべきか、述べられている。
かなり延々と。
王族であっても、誰もが、この書を基本としているわけではない。
どちらかと言えば、あまりに長過ぎて放り出した者のほうが多かった。
が、ディーナリアスは違う。
ユージーン・ガルベリーは、ディーナリアスの曾祖父だった。
ディーナリアスが生まれる14年前に、曾祖父は亡くなっているため、直接には会ったことはない。
だが、この国の言葉が表現豊かなのは、曾祖父の編纂した「民言葉の字引き」によるのだ。
それまで貴族言葉が主流だった、この国に、新たな言葉を普及させている。
ディーナリアスは、そんな曾祖父を尊敬していた。
ゆえに、50年ほど前に書かれた文献を、信奉してもいる。
彼にとって、この書は「絶対」なのだ。
さりとて、ディーナリアスは、自分が婚姻するとは思っていなかった。
彼がベッドをともにしてきたのは、手慣れている女性ばかり。
いっときのものだと、お互いに割り切ってつきあってきている。
元々、即位するつもりだってなかったため、正妃も必要なかったからだ。
「ここは俺の部屋なのだが、今日からは、お前の部屋でもある」
言うと、ジョゼフィーネの顔が、一気に蒼褪めた。
ディーナリアスには、その理由がわからない。
婚姻前ではあるが、嫁とは「分かち合う」ものだと、あの書には書いてある。
部屋も、当然に分かち合うべきものだ。
「ああ、そうか。案ずるな。お前の調度品は、すぐに用意させる」
彼女が蒼褪めたのは、きっと女性用の調度品が何もないからだ、と思った。
明日にでも、ひと通り、揃えさせることにする。
ジョゼフィーネは、身ひとつでの輿入れだ。
不安になるのもわかる。
思いつつ、何気なくディーナリアスは、彼女の頭を撫でた。
存外、心地良く、繰り返し撫でる。
(まったくリスも気が利かぬものよ。事を急くのであれば、その程度は、用意しておくべきであろうが)
おかげで「俺の嫁」を蒼褪めさせてしまったではないか。
などと、ちょっぴりリスに腹を立てた。
ディーナリアスにとって「嫁」は「誰よりも」大事にすべき存在なのだ。
「服でも靴でも宝飾品でも、いかようにでもしてやる」
ディーナリアスは王族であり、次期国王となることが決まっている。
国は豊かで財政には余裕もあった。
そうでなくとも、彼は、ほとんど金を使ってこなかったので、かなり贅沢をしても、なんら問題はない。
なでなで、なでなで。
リスに腹を立てながらも、無意識に、ディーナリアスは、ジョゼフィーネの頭を撫でている。
反対の手では、がっちりと彼女の手を握っていた。
それも、無意識だ。
「あ、あの……」
かぼそい声に、ハッとなる。
ジョゼフィーネは、まだ蒼褪めていた。
唇も震えている。
が、今の声は、ジョゼフィーネのものだ。
なにしろ、この部屋には、ディーナリアスとジョゼフィーネしかいない。
「いかがした?」
ジョゼフィーネは、うつむいている。
それでも、困った顔をしているのは、わかった。
「わ、私……そ、そういうものは……あまり……」