いきなりなんて困ります 2
リロイは、目の前の男を、ただ眺めていた。
馬鹿な男だ、とは思っている。
(リス。すぐに、こちらへ)
即言葉で連絡しながら、すぐに点門を開いた。
リスが寝室にいることくらい、わかっていたからだ。
夜会の日に、リスのすることは、決まっている。
女性をベッドに誘う。
リスは、外面がいい。
ベッドに引き込むまでは、至って「品行方正」なのだ。
が、同じ女性と、再び夜を過ごすことはしない。
それでも、悪い噂を立てられていないので、なにかしら、うまくやっているのだろう。
(わぁかった。すぐ行く)
ほんの数秒後に、寝間着姿のリスが、点門を抜けて姿を現す。
襟元からネックレスが下がっているのが見えた。
いつもは服の下に隠れて見えないのだが、今は寝間着。
リロイの口調から、なにかを察したのは間違いない。
だからこそ、ひと言の文句もなく、着替えもせず、時間を惜しんだのだ。
「さ、宰相様、これは、ご、誤解なのです!」
男のほうに、ちらっと視線を投げてから、リスはリロイと目を合わせる。
男の言うことには、まるで興味がなさそうだった。
「こいつ、なにやったんだ?」
「妃殿下を襲ったようです」
「ち、違います! け、けして、そのような……っ……」
男は、ごちゃごちゃ言っているが、リスに聞いている様子はない。
リロイも同じだ。
そもそも、意見を求めてはいない。
「で?」
「我が君は、大層に、お怒りでした」
「だろーね」
2人とも淡々とした口調になっている。
無表情でもあった。
お互いの考えは、わかっている。
「ディーンは、なんて?」
「あなたと私で、後始末をしておけ、と」
ひょこんと、リスが眉を上げた。
ディーナリアスが「後始末」などというのは、ものすごく稀なことなのだ。
それは、彼が優しいからでも、寛容だからでもない。
単に、無関心が過ぎるだけのことだった。
自分やリスに対して向けられている関心も、ほんのちょっぴり。
いても邪魔にならないし、役に立つこともあるから放っておこう、という程度のものだと、リロイは知っている。
とはいえ、不満はなかった。
自分たちがいなくても、ディーナリアスは、己で、なんとでもできる。
あえて役割を与えてくれているのだ。
だから、都合良く使われている、などとは思わない。
ディーナリアスは、リロイが、王に戴く、ただ1人の相手だった。
「ディーンが、そこまで怒るってのは……おい、まさか……」
「妃殿下は、怪我をされておいででした」
リスが、顔をしかめる。
リロイも、思い出して、嫌な気分になった。
ジョゼフィーネは、痛がることすら忘れるほど、恐怖に慄いていた。
ディーナリアスが問題にしているのは、むしろ、そちらかもしれない。
「で、ですから、私は、なにも……あの女が勝……」
「誰のこと言ってんだ、てめえ! ぁあ?!」
リスが言葉を荒らす。
もう、この男に外面は必要ないからだろう。
リロイも、リスを止めようとは思わない。
「我が君の大事なかたを傷つけたのですからね」
「ただですむなんざ思うんじゃねーぞ」
リスの剣幕に、男が体をすくませた。
口を閉じ、ぶるぶると震えている。
それを横目に、リスが、リロイのほうに顔を向けた。
「始末つけんのはともかく……嫌な感じだぜ……」
「どういうことでしょう? 嫌な感じ、とは?」
「こいつ、リフルワンスから正妃を迎えるってのに、反対してたんだよなー。おおかた、自分の娘を嫁がせる気だったんだろ」
「アテが外れて……ということですか?」
それで、ジョゼフィーネに逆恨みしたのだろうか。
思ったが、しっくりこない。
リスの「嫌な感じ」が、わかってくる。
「それにしては……」
「そうだ。遅過ぎんだよ、動くのが」
正妃選びの儀で、ジョゼフィーネが正妃になることは決まってしまっている。
今さら、どうこうできるわけがない。
ジョゼフィーネを襲っても、たいして意味はないのだ。
(妃殿下が、この男に穢されていたとしても……我が君は、妃殿下を咎められはしなかったでしょうし……なにより正妃は交代がきかない立場……)
今は廃されているが、後宮は、それゆえに必要だったと言える。
たとえ別の男に身を委ねても、正妃は、その立場から降ろされることがない。
結果、男のほうを寄せ付けない注意をするようになったのだ。
後宮の部屋は、すべて外からしか扉が開けない仕組みになっていた。
入れるのは、国王のみ。
最側近である魔術師長は、例外的に、国王の許しを得て入宮ができたそうだが、その事例は、極めて少ない。
「とはいえ、だ。こいつが、妃殿下を殺そうとしてたかってえと……」
「違うでしょうね」
そこが、おかしいのだ。
リフルワンスから正妃を迎えたくないのなら、国内で、早々に、それなりの動きをするだろう。
少なくとも正妃選びの儀の前に、阻止しようとする。
が、その動きは、ほとんどなかった。
そして、ジョゼフィーネを襲っておきながら、殺そうとまではしていない。
怪我の具合から見て、彼女は突き飛ばされたかなにかしたのだ。
手のとどく位置まで来ていたのなら、ナイフのひと突きで事足りる。
「そうか……なるほどな」
「リス?」
リスが、大股で、ずかずかと男に近づいていた。
怯えている男の胸倉を掴み上げる。
「おい、てめえ。妃殿下のほうから辞退させる気でいやがったんだろうが?」
男が、短く悲鳴を上げた。
どうやら、リスの言葉が的を射ていたらしい。
なるほどと、リロイも思う。
この国での婚姻は、女性に決定権があった。
ジョゼフィーネが、どうしても国に帰ると言えば、無理強いはできないのだ。
婚姻の儀は、まだ終わっていないのだから。
そうでなくとも、ディーナリアスは、彼女の意思を尊重したに違いない。
彼は、ユージーン・ガルベリーの書を信奉している。




