俺の嫁だと言われても 3
恐ろしい。
ものすごく恐ろしい。
(こ、殺されるなら、で、できるだけ痛くありませんように……)
ハイパーネガティブ思考を炸裂させつつ、ジョゼフィーネは体を縮こまらせる。
まだ顔は上げていない。
上げていいと言われたって、上げられそうになかった。
「こちらに、いらしていただけますか?」
最初に聞こえたほうの声だ。
こちらは怖くないのだが、いかんせん体が動かない。
恐怖に固まっている。
顔すら上げられずにいるのに、玉座に近づくなど絶対に無理だ。
「聞こえておらんのか?」
びくう。
体が、反射的にすくむ。
ジョゼフィーネは、いよいよ、うつむいてしまう。
ロクな人生ではなかった。
転生を望まないくらいには、人生を降りてしまいたい。
と、死ぬ覚悟はできていても、怖いものは怖い。
転生後の生活による刷り込みもあった。
幼い頃から、ロズウェルド王国は「恐ろしい」と聞いている。
魔術が存在していて、人を簡単に殺せるらしいのだ。
殺されるとなれば、痛いかもしれないし、苦しいかもしれないし。
「我が君……」
「かまわん」
ぱたん、ぱたん。
ぞくう、と背筋に悪寒が走る。
死が間近に迫ってくるかのような恐ろしさを感じた。
前世でも今世でも引きこもっていたため、命の危険には晒されたことがない。
初めての経験だ。
「顔を上げよ」
そう言われても、やはりジョゼフィーネは固まったまま、動けずにいる。
視線の先に、声の主の足先があった。
黒い、高級さがわかる、ぴかぴかに磨かれた革靴。
それすらも恐ろしい。
前世では中学1年から、今世にいたっては物心つく前からの引きこもり。
生粋の引きこもり星人なのだ。
内気とか引っ込み思案とかいうレベルを超えていた。
接触不良の電球だって、明かりは点いたり消えたりする。
が、ジョゼフィーネの場合、そもそも「接触」がない。
すなわち「人間関係」という名の明かりが点くこともないのだ。
「よもや、本当に聞こえておらんのか?」
ぎゅっと、ジョゼフィーネは、目をつむった。
聞こえているのに、無視している格好になっている。
無礼打ちされてもしかたがない。
相手は、大国の次期国王なのだ。
「まぁ、よい」
言葉と同時に、ひょいっと顎をすくわれる。
手のひらに顎が乗せられ、持ち上げられたのだ。
反射的に開いたジョゼフィーネの目と、王太子の目がぶつかる。
青みがかった緑色。
こく…と、喉が上下した。
視線をそらせたいのに、そらせずにいる。
動いたら相手の怒りをかうのではないか、との恐怖にのまれていた。
王太子は、16歳のジョゼフィーネより、ひと回り以上年上の30歳。
そのように聞いている。
が、それほど年上には見えなかった。
くすんだ金髪は、つんつんと短い。
短いからなのかはわからないが、金髪なのに、落ち着いた色に見える。
鼻はすっきりと高く、少し吊りぎみの目の中にある瞳は丸い。
ライオンの目に似ていた。
前世の記憶にもライオンはいたが映像はなく、今世の絵で見たものを思い出している。
「国に帰りたいか?」
問われて、ジョゼフィーネの思考が、ピタッと止まった。
王太子の言葉が、思考を占領している。
帰りたいか?
答えは、明白だ。
帰りたくない。
そして、帰れもしない。
ジョゼフィーネの帰還を喜んでくれる者などいないと、知っている。
「聞こえておらんわけではないのだな」
じっと、瞳を覗き込まれていた。
見つめ返さざるを得なくなっているジョゼフィーネの目が潤んだ。
怖いし、悲しいし。
どうすればいいのか、わからなかった。
ジョゼフィーネに願いがあるとすれば、部屋に引きこもっていたい。
それだけだ。
誰とも関わらず、1人で自分の好きなことだけをしていられる生活。
前世では本に漫画、テレビにゲーム三昧な日々だった。
映像はなくても、どんなふうに生きていたかは覚えている。
家どころか、部屋からも、ほとんど出ていなかった。
それでも、困ることは、なかったのだ。
両親はとっくに諦めており、ジョゼフィーネに金だけ与えていたので。
「帰りたいとは思わぬか?」
顎は、まだ手のひらに乗せられたままだったが、強く握られてはいなかった。
ジョゼフィーネは、かなりの勇気を振り絞って、わずかに首を横に振る。
「そうか。ならば、よい」
手が、スッと離れた。
が、王太子は、ジョゼフィーネの前から動こうとしない。
緑色の瞳で、じぃいいっと、ジョゼフィーネを見つめている。
それから、うむ、とうなずいた。
「今日から、お前は、俺の嫁だ」
瞬間、ジョゼフィーネは、恐怖を忘れる。
そして、王太子の腕を、はっしと掴んだ。
非常に良い手触り。
黒いフォーマルなタキシードは仕立ても生地もいいのだろう。
なんて、全然、関係のないことを考えるのは単なる現実逃避。
反射的に腕を掴んだものの、どうすればいいのか、わからず固まっていた。
首をかしげる王太子の顔を、ただ見つめる。
さりとて、言いたい言葉は出てこなかった。
「リロイ」
「かしこまりました」
なにが、かしこまられたのか、ジョゼフィーネはわからない。
そのジョゼフィーネの体が、ふわっと浮く。
気づけば、王太子に抱き上げられていた。