いきなりなんて困ります 1
「俺の嫁に、なにをしておる」
ディーナリアスは、倒れているジョゼフィーネの前に立っている。
エドモンドの視線を、自分の体で遮っていた。
エドモンドには、悪びれた様子がない。
ディーナリアスの声が、淡々としていたせいだろう。
彼の心情に気づいていないのだ。
「殿下、勘違いをなさらないでください」
「俺は、俺の嫁に、なにをしたか、と聞いておる」
「ですから、それが勘違いだと申し上げているのですよ」
エドモンドが、ジョゼフィーネを指さす。
そして、あからさまに馬鹿にした口調で言った。
「妃殿下のほうから、私を、お誘いくださったのです。所詮は、リフルワンスの女、ロズウェルドの貴族と、懇意になろうとの浅知恵が働いたのでしょう」
その段階で、エドモンドに対する、彼の判断は確定する。
2度と覆ることもない。
「ジョゼ……恐ろしき目に、合わせてしまったな」
ジョゼフィーネのほうに向き、しゃがみこんだ。
すぐさま、しっかりと抱き上げる。
抱き上げる際に気づいた。
彼女は、手や足に怪我を負っている。
ドレスに、血が滲んでいた。
「……殿下……その女は……」
「俺の、嫁だ」
ディーナリアスが守り、大事にするべき、たった1人の、女性。
そして、今は「愛し愛される」関係になるための、大切な時期なのだ。
「殿下! その女は、リフルワンスの者なのですよ? 嘘をつき、私に取り入ってきたのです!」
「そのような薄汚き口、縫ってやってもよいのだぞ」
「お、お待ちください、で、殿下……っ……ほ、本当に……」
聞いているだけで、不快感が募ってくる。
本当に、その口を黒糸で縫ってやりたかった。
ディーナリアスは、エドモンドに、冷ややかな視線を向ける。
「俺の嫁は、そのようなことはせぬ」
きっぱりと、言い切った。
そして、エドモンドという存在自体を無視する。
「リロイ」
「はっ! お傍に」
リロイは、ジョゼフィーネの傷に気づいたに違いない。
すぐさま治癒の魔術をかける。
体の傷は、たちまちのうちに治っていた。
ディーナリアスに言われる前に、リロイは点門を開く。
ディーナリアスとジョゼフィーネの様子から、ホールに戻る気はないと、察していたのだろう。
門の向こうには、ディーナリアスの私室が見えた。
「リスとともに、後始末をしておけ」
「かしこまりました、我が君」
跪いているリロイを無視し、エドモンドは、ディーナリアスに縋ってきた。
「お、お待ちを……ど、どうか……私の話を……」
もちろん聞く気などない。
ディーナリアスは、エドモンドを振り返ることなく、門を抜ける。
腕の中で、ジョゼフィーネが、ぷるぷる震えていた。
初めてロズウェルドに来た時のようだ。
ジョゼフィーネを抱き上げたまま、カウチに座る。
膝に置いているジョゼフィーネの両手を、自分の手のひらに乗せた。
怪我は治っているが、思い出さずにはいられない。
細かい擦り傷ができていて、血が滲んでいた。
膝も同じように、擦り傷に血が滲んでいた。
「……ご、ごめ……ごめん、なさ……」
ジョゼフィーネは、左手で、ディーナリアスの胸のあたりをつかんでくる。
そして、うつむいたまま、震えていた。
その頬に手をあて、反対の手で頭を撫でる。
「謝るな。お前は、何も悪くない」
ほんのわずか、彼女の手が離れ、その姿を見失ってしまった。
大いなるしくじりをしたのは、自分なのだ。
怒られこそすれ、詫びてもらえる立場ではない。
守るべき嫁に、怪我までさせている。
「俺が、悪いのだ……お前を、傷つけさせてしまった……」
これでまたジョゼフィーネは、心を閉ざしてしまうだろう。
ロズウェルドを、怖い国だとも思っているはずだ。
きゅっ。
胸のあたりを掴んでいたジョゼフィーネの手に、力が入る。
顔を上げ、彼女は、ディーナリアスを、じっと見つめてきた。
幸いにも、彼に対する恐怖心は蘇らなかったらしい。
「た、助けに……き、来てくれた……」
そうだ、と思い返す。
ジョゼフィーネの頬を、ゆっくりと撫でた。
「庭園に、逃げたのは上出来だ。俺ならば迷わず、お前の元にゆける。俺の嫁は、とても賢い」
ディーナリアスも、ジョゼフィーネを、じっと見つめ返す。
頬を撫でながら、親指で、ジョゼフィーネの唇をなぞった。
「俺の名を、呼んだな」
はっきりと、声が聞こえたのだ。
ジョゼフィーネの、自分を呼ぶ声。
彼女は、ディーナリアスを「ディーン」と呼んだ。
初日に「愛称」を言っておいたが、呼ばれたことはなかった。
さっき、初めて、ジョゼフィーネは、彼を愛称で呼んでいる。
それだけ近しい存在になっている、という気がした。
繰り返し、唇を、親指でゆっくりと、なぞる。
「あなたのことが……ディーンのことしか……思い浮かば、なくて……」
ジョゼフィーネは、少し顔を赤くして、眉を下げていた。
彼女のことだから、迷惑をかけたと思っていてもおかしくはない。
胸が苦しくなるほど、ジョゼフィーネが愛おしかった。
そんな顔で、そんなふうに言われたら。
「ああ……ジョゼ……お前は、本当に……愛らしいな」
両頬を手でつつみ、唇を重ねる。
無自覚に、ディーナリアスは自制を、放り出していた。
己の「嫁」が、愛しくて、たまらなかったのだ。




