次期君主とダンスを 4
彼の目だけを見つめて踊ったのが、良かったらしい。
ジョゼフィーネは、転ぶこともなく、足を踏むこともなく、踊り終えている。
(あ、あんな台詞……漫画に出てくる人みたい、だった……)
少女漫画のヒロインが恋をする相手。
まさに、それを連想させるに足る台詞だった。
『俺のことだけを見ておれ』
映像はなくても、活字はある。
ジョゼフィーネの記憶には、漫画を実写化する時さながら、脚本のごとく台詞が羅列されていた。
そのせいで、気恥ずかしくて、照れくさかったのだ。
踊ったからではなく、頬がまだ、ぽっぽっと熱い。
(この人が言うと、似合う……あ、あれは、私に……言ったんだよ、ね……?)
彼の前にいたのは、ジョゼフィーネだけなのだから、当然に、そうなる。
さりとて、ジョゼフィーネは、ハイパーネガティブ症候群。
いまいち、信じきれない気持ちでいた。
キスだって、未だに「口を塞ぐつもりなのでは」と半信半疑でいるくらいだ。
自分が、少女漫画のヒロインに似つかわしいとも思っていない。
とん。
あ…と、声を上げる間もなかった。
彼の腕からジョゼフィーネの手が離れる。
ぼんやり考えごとをしていたために、人が近づくのに気づかなかった。
驚いているうちに、彼との距離が開いてしまう。
「殿下、どうぞ次は私と」
「その次は、私にお相手を務めさせてください」
口々に言いながら、女性たちが、彼を取り囲んでいる。
ジョゼフィーネは、どうすればいいのか、わからない。
判断も行動も、彼に委ねてきたからだ。
自分では、なにも決められずにいる。
(は、離れちゃう……ど、どうしよう……人がいっぱい……見えない……)
あっという間に、彼の周りには、女性の垣根ができていた。
ジョゼフィーネは、すっかり押しのけられている。
彼女は、自分の人生を、ずっと諦めていた。
そして謂れのない罵倒や仕打ちにも、耐えるという感覚なしに耐えてきている。
経験上、口ごたえなどしないほうが、身のためだと知っていたからだ。
ただ降りしきる雨が行き過ぎるのを待つのみ。
それが、傘を持たないジョゼフィーネのスタンスだった。
(は、端っこに……寄って……邪魔にならないように……)
ジョゼフィーネは、後ずさりして、輪から遠ざかる。
危険地帯には近づかない。
そこは、人の悪意が渦巻いているから。
「ジョゼ!」
呼ばれたのは、わかっていた。
けれど、どうしても彼の元には行けずにいる。
女性たちの輪を崩してまで、強引に進むことなどできはしなかった。
むしろ、どんどん後ずさりする。
彼女たちにとって、自分は邪魔者でしかないはずだ。
思うと、怖くてたまらなくなる。
前世でも、今世でも、多くはジョゼフィーネを傷つける者でしかなかった。
ほんの少し前に踏み出そうとしていたジョゼフィーネの道が閉ざされる。
「殿下は、女性に人気がおありのようですね」
びくっとして振り向いた。
さっきテーブルに挨拶にきたエドモンド・ハーバントという男性だ。
声をかけられても、ジョゼフィーネは、うまくかわすことができない。
そもそも、人と話すのが苦手なのだから、言葉すら出て来なかった。
「こちらにどうぞ、妃殿下」
腕を掴まれ、グイっと引っ張られる。
恐怖に、喉が引き攣った。
必死で彼のほうに顔を向けたが、女性たちの垣根に遮られ、その姿は見えない。
そのままテラスに引っ張り出されてしまう。
さらに、奥まった暗がりに引き込まれた。
ジョゼフィーネの顔から血の気が引く。
体も緊張と恐怖で冷たくなっていた。
掴まれた腕を振り放す勇気すら出ない。
見向きもされないとか、声もかけられないとか。
そういうことには慣れている。
けれど、関心を持たれることには、慣れていないのだ。
相手が、どういうつもりなのかも、わからなかった。
(こ、この人……え、偉い人……私より、ずっと……)
なにか叱られたりするのだろうか。
あまりにも自分が場違いだから、連れ出されたのかもしれない。
ジョゼフィーネは、ひたすら狼狽えるばかりだ。
助けを求めることも、思いつかなかった。
もとより、助けてくれる人なんて、今まで誰もいなかったから。
「殿下は、いたく妃殿下を気に入っておられるご様子でしたな」
ちりちりとした痛みのようなものを、全身に感じる。
ジョゼフィーネにとって「馴染みのある」ものだ。
「どうやって殿下を垂らし込んだのか、その手管を知りたいものだ」
体中が痛い。
これは、知っている。
悪意だ。
そう気づいた瞬間、ジョゼフィーネの本能が、激しく警鐘を鳴らした。
ようやく、バッと腕を振りはらう。
唐突なジョゼフィーネの動きに、虚を突かれたのかもしれない。
男性が後ろによろめいた。
絶対に、逃げなければならない。
警鐘は鳴り続けている。
が、男性が前にいるのでホールのほうへは戻れなかった。
それでも、逃げなければならないのだ。
ジョゼフィーネは、身を翻し、ホールとは逆方向に駆け出す。
何を言っているのかは定かではないが、男性が声を上げていた。
追われていることに、恐怖する。
靴が脱げてもおかまいなしに、走った。
(そ、そうだ……庭園……あそこに……)
迷宮庭園なら隠れる場所もあるはずだ。
うまくいけば、男性は迷って、追うのを諦めてくれるだろう。
薄暗がりの中、ジョゼフィーネは、緑の繁っている方向を目指した。
そして、庭園に駆け込む。
瞬間、後ろから突き飛ばされた。
地面を滑るようにして、倒れ込む。
「リフルワンスの馬鹿な女め。王族でないのは、お前も同じだろうが」
倒れているジョゼフィーネに、男性が近づいてきた。
諦めて、物事を黙って受け流すだけの人生をおくってきたけれど。
「……ディ……ディーンッ!!」
ジョゼフィーネの脳裏にはアントワーヌではなく、その人の姿が、あった。
そして、目の前にも。




