日常茶飯事 2
ジョゼフィーネが、眉間に皺を寄せている。
ディーナリアスは手を伸ばし、その場所を指で撫でた。
(うなされておるようだな。なにか嫌な夢でも見ておるのか)
ジョゼフィーネが、ディーナリアスのベッドで眠るようになって5日。
いつもディーナリアスは、彼女より少しだけ早起き。
ジョゼフィーネの寝顔を見るのを、楽しみにしている。
が、こんなに寝苦しそうにしているのは、初めてだ。
「ジョゼ?」
ゆさゆさ。
軽く、体を揺すった。
どんな夢かはともかく、起こしたほうがいい。
そう判断している。
(夢の中までは、助けにゆけん。そういう魔術があれば良かったのだがな)
魔術は、万能ではないのだ。
人の心を操ることはできないし、覗くこともできない。
ロズウェルド王国では、有史以来、様々な魔術を研究、開発してきている。
それでも、その2つは「ない」ものとされていた。
他者に作用するような魔術は、とかく制約が多いのだ。
魔術との言葉が持つ心象とは違い、簡単なものではない。
たとえば、リロイは平然と集言葉を使う。
が、今のところ、あれを使えるのはリロイだけだった。
1度に5人まで会話に加われるとのことだが、それは、自分以外の4人の意思を自分の意識の上に乗せるに等しい。
魔力の消費も大きく、場を維持するのも困難になる。
平たく言えば、4人が座るソファを、1人で持ち上げるようなものなのだ。
支える側の心が、少しでも揺らげば、たちまちひっくり返る。
そんなふうに、なにかにつけ制約のある魔術は、万能ではなかった。
だから、ディーナリアスは、ジョゼフィーネの夢の中には入れない。
「ジョゼ? ジョゼ?」
「う……ん……」
ジョゼフィーネは、ディーナリアスの胸のあたりを、しっかと握っている。
その手を、自分の手で覆う。
握って、額に口づけた。
「う……ぅん、ん~……」
薄く、ジョゼフィーネが目を開いた。
まだ半分は夢の中にいるようだ。
額をくっつけ、薄紫色の瞳を覗き込む。
「ジョゼ、目は覚めたか?」
ゆっくりとした瞬き。
数回ののち、ジョゼフィーネが、ぱちりと目を開いた。
今度は、素早い瞬き。
驚いているらしい。
「あ、あの……」
「起きたな」
うむ、とうなずいてから、額を離す。
が、すぐに顔を近づけ、唇に小さな口づけをした。
少なくとも1日に3回の口づけと、あの書には書かれている。
さりとて、ディーナリアスは、毎日、3回以上は、口づけていた。
無意識だ。
しようと思って、義務的にしているのではない。
ジョゼフィーネを見ていると、なんとなく、したくなる。
(俺としては、もっと……いや、いかん。ジョゼは、慣れておらぬのだからな)
初日に「慣れるまで舌は入れない」と約束もしている。
一応、その約束を守るつもりではいた。
ただ、日に日に、守りきれる自信がなくなっている。
ディーナリアス自身、実は、困っているのだ。
もとより彼は生真面目で、自分の決めたことを曲げない主義。
約束をしたからには、守るべきだとも考えている。
守れない約束は、はなから、しないようにしていた。
今まで関係を持ってきた女性に対して、なんらかの約束をしたこともない。
守れないとわかっていたからだ。
(我が君、少し、お時間よろしいですか?)
リロイが、即言葉で話しかけてくる。
ジョゼフィーネの頭を撫でながら、頭の中でだけ応じた。
(本日は、ご公務がございます)
(公務? どのような公務だ)
(妃殿下を、お披露目する夜会についての打ち合わせにございます)
(リスに任せてはおけぬのか?)
思ってから、ジョゼフィーネの顔を見つめる。
ディーナリアスは、夜会や審議など、公務という公務を面倒に感じていた。
民に対しての新年の挨拶に、各地への行幸は、それほど苦ではない。
こと貴族と関わるのが、面倒に思えるのだ。
(それでは、リスに……)
(ああ、いや……ジョゼに関わることだ。俺が差配する)
(かしこまりました)
(打ち合わせの段取りをリスにさせ、ほかの者は、しばし待たせておけ)
リロイとの会話を終わらせてから、ちょっとだけ悔やむ。
日延べをしたほうがよかったかもしれない、と思ったのだ。
ジョゼフィーネは、今朝、うなされていた。
不安から悪い夢を見たのかもしれない。
さりとて、重臣たちを集め直すとなると、時間がかかる。
1人でも欠けると、誰それが来られなかったので次回に仕切り直し、などということが繰り返されるのもめずらしくはないのだ。
たびたび、ジョゼフィーネとの時間を邪魔されるほうが、煩わしい。
「ジョゼ、朝食後に、俺は公務があってな。出かけねばならぬのだ」
体を起こすディーナリアスにつられたように、ジョゼフィーネも体を起こした。
少し、ほさほさっとなっている髪を撫でる。
身なりを整えていなくても、ジョゼフィーネは可愛らしかった。
「こ、公務……」
首をかしげたジョゼフィーネに、ディーナリアスの頭に書の言葉が浮かぶ。
ユージーン・ガルベリーの書。
第1章、第6節
『嫁に隠し事をする際は、墓場まで持っていく覚悟を持ってすべし。常日頃は、誤解をまねく言動を厳に慎み、潔白に努めよ』
王族には、絶対に秘匿しなければならないこともあった。
なんでも、つつみ隠さず話すというわけにはいかない。
それゆえに、日頃は、誤解を与える言動を慎み、いざという時に、揺らぐことのない信頼関係を築いておく必要がある。
それを怠れば、肝心な時に「不逞をしている」と疑われるのだ。
「公務というのは、お前の、お披露目をする夜会の打ち合わせだ。重臣らも集まるのでな。どうしても、出ねばならんのだ」
どうしても、のところに力を入れて言ってみた。
離れたくて離れるのではない、というのは本音なのだけれども。
「お、お仕事……頑張って、ください……」
ジョゼフィーネの言葉に、誤解を免れた以上の喜びを感じる。
公務嫌いのディーナリアスだが、ちょっと頑張ろうかな、という気分になった。




