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日常茶飯事 1

 夢を見ている。

 どこかで、それには気づいているのに、登場人物の自分は、それが夢だと思っていない。

 周りは真っ暗で、何も見えない中、活字だけが降ってきた。

 

 『私たちが、頼んだんじゃありません』

 『この子が勝手に持ってきたんです』

 『読んでみてって、しつこくて困ってました』

 

 彼女らは、揃って、そんなことを言う。

 活字は、大きくなったり小さくなったりしていた。

 映像はなくても「抑揚」があるのだ。

 活字は、それぞれに、見た目や形も違っていて「個性」もあった。

 

 前世の記憶。

 

 あっても役には立たず、ただジョゼフィーネを苦しめる。

 生まれ変わっても、幼い頃から、この記憶に縛りつけられていた。

 新しい人生でやり直したい、と思うのに「自分は、こういう人物だ」と、記憶が彼女に、己の性質を突き付けてくる。

 

 『なんで、あんなこと言ったの? 貸してほしいって、頼んできたのは、そっちじゃん。先生に嘘ついて、私1人、悪者にして』

 

 中学1年、梅雨の時期だった。

 その日も雨で、本当は嫌だったが、友達に頼まれ、断りきれなかった。

 彼女は、学校に漫画を持って行ったのだ。

 私立の中高一貫の女子校で、比較的、校則に厳しい学校。

 当然、学校に漫画を持ち込むなど、許されてはいない。

 

 結果、彼女が彼女らに渡すところを、教師に見とがめられた。

 彼女らは、彼女を庇いもせず、むしろ、自分たちは被害者だと言わんばかり。

 当時の彼女は、まだ「言い返す」ということができていた。

 自分の正当性を、ちゃんと訴えたのだ。

 世の中には「正しさ」が存在すると、信じてもいた。

 

 話せばわかってもらえる、だとか。

 誠意には誠意で返してもらえる、だとか。

 

 『前から思ってたけど、あんた、ウザい』

 『そうそう。偉そうに説教ばっか。何様?』

 『宿題は自分でしなきゃ、とか、マジ、だっる~』

 

 ちりちり。

 そんな痛みを、初めて体に感じた。

 その痛みに、彼女は、少しだけ怯む。

 

 『だって、本当のことだし……私、悪いことしてないのに、叱られたんだよ? みんなが嘘ついたせいで……友達なら……』

 

 言葉が途中で切れた。

 彼女らが、馬鹿にしたように笑ったからだ。

 

 『は? トモダチ? なに言ってんの?』

 『あんた、みんなにウザがられてるんだよ?』

 『どこのグループにも入れなくて可哀想だから、入れてやったんじゃん』

 

 それが、本当だったのかは、わからない。

 ただ、その時には「本当かもしれない」と思った。

 少なくとも、目の前にいる彼女らは「友達」ではなかったのだ。

 

 『もうさ、面倒くさいから、いいや』

 『あんた、別のグループ行きなよ』

 『気にいらないんでしょ、ウチらのこと』

 

 そんなつもりで言ったのではない。

 嘘をつかれ、悪者にされたのが、悔しくて悲しかっただけで。

 なぜ嘘をついたのか、理由を話して、謝ってくれれば、それでよかった。

 納得できた。

 

 いきなり切り捨てられるなんて、思わなかった。

 

 あんな些細なことで。

 その後、彼女は、何度も何度も、繰り返し、そう思うことになる。

 その日から、本当にグループを締め出されたからだ。

 

 いくら話しかけても無視される。

 携帯電話でのやりとりもなくなった。

 そちらのグループからも、名前が削除されていた。

 彼女らに、徹底して無視されている彼女は、どこのグループにも入れなかった。

 誰も「厄介事」になんて関わりたくなかったのだ。

 そもそも入学後3ヶ月ほどが経っており、教室内のグループは定着していたし。

 

 教師もアテにはならなかった。

 彼女が「のけ者」にされていることには、気づいていたに違いない。

 が、やはり「面倒事」にはさわらないようにしていたようだ。

 声をかけてもくれず、彼女らを(いさ)めることもなく、見て見ぬふりをしていた。

 

 彼女は、日々、悩み、つらかったが、親に相談しようとはせずにいた。

 どうしてかはわからない。

 なぜか「恥ずかしい」と感じたのだ。

 

 そんな時だった。

 元のグループにいた1人から連絡が来た。

 仲間外れにされ始めて半月。

 彼女の心は、クタクタになっていて、その連絡に、飛びついている。

 

 それから2人で遊んだり、連絡を取り合ったりするようになった。

 嬉しかったし、心の支えでもあった。

 グループに戻れなくても、1人の友人がいさえすれば、元気を取り戻せる。

 彼女の暗鬱とした日々は、少しだけ明るくなったのだ。

 救いが、あった。

 

 けれど。

 

 『こいつさ、あんたらの悪口ばっか言ってんの』

 

 たった1人の友人、そう思っていた子に呼ばれて行くと、ほかの2人もいた。

 そこで、また嘘をつかれた。

 彼女は、2人の悪口など言ったことはなかったのだ。

 

 『言ってない! 私、悪口なんか言ってないっ!』

 

 ひと際、大きな活字が降ってくる。

 そう、あの時、大声で怒鳴った。

 絶対に言っていない、と、わかってもらいたくて。

 

 『言ってたじゃん! 嘘ついても、私、ちゃんと聞いてたんだからね!』

 『言ってないよっ! 嘘ついてるのは、そっちじゃんッ!』

 

 言った、言わないの応酬。

 これほどまで、彼女が否定をするのだから、おそらく「言っていない」が正解。

 わかっていたはずだ。

 絶対にわかっている。

 

 『あんた、前から嘘つきだったしね』

 『人の悪口を言う前に、自分の性格、直したら?』

 

 2人は、彼女が「言っていない」とわかっている上で、それを否定した。

 その時の、彼女の目に映ったのは、たった1人の友人と信じた相手の表情。

 

 笑っていた。

 

 近づいてきたのも、親しげに振る舞っていたのも、嘘だったのだ。

 すべて、自分を陥れ、貶めるための行動に過ぎない。

 それを悟った時、彼女の心は、ひび割れた。

 なにもかもが恐ろしくなった。

 

 こんな「悪意」が、世の中には存在するのか、と。

 

 些細なことだったかもしれない。

 大人が聞けば「そんなことで」と思う程度のことだったかもしれない。

 ほかの友達を作ればよかったのに、とか。

 小学校の友達に連絡してみればよかったのに、とか。

 

 いろんな手立てはあったのだろう、おそらく。

 けれど、12歳の彼女は、その時「人という存在」に絶望したのだ。

 そして、闘いきれなかった自分にも。


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