俺の嫁だと言われても 2
ジョゼフィーネは、癖のない薄緑の髪をしていた。
透明感のある、その髪が、たらりと肩口から垂れている。
会釈をしているためだ。
頭を下げているので、顔は見えない。
(辞退する者はおりませんね)
魔術師リロイから、即言葉と呼ばれる魔術で話しかけられる。
術者と受け手の2人にしか、この声は聞こえない。
ここ、ロズウェルド王国は、この大陸で、唯一、魔術師のいる国だ。
その力は絶大で、長らく戦争をふっかけてくる国はなかった。
大きな戦争は、百年以上も起きていない。
ちょっかいをかけられたことはあったが、それも70年ほど前になる。
いずれも退け、以来、ロズウェルド王国は、大陸1強。
外交では、常に優位に立っていた。
彼、ディーナリアス・ガルベリーは、ロズウェルド王国の王太子だ。
次期国王になることが決まっている。
正妃を迎え、正当な王位継承者となれば、即刻、即位。
おそらく半年後には、国王となっている。
正直、ディーナリアスは、即位などしたくはなかったのだ。
なにが楽しくて、不自由で窮屈な暮らしをしたがるというのか。
兄が病にさえならなければ。
兄の子が即位に足る十分な歳になっていさえすれば。
ディーナリアスは、国王なんてものにならずにすんでいる。
さりとて、実際には、兄は病だったし、子は幼い。
そして、血族たちは、こぞって即位から逃げ出した。
逃げ遅れたというか、選ばれたくもないのに選ばれてしまったというか。
ともかく、ディーナリアスは「しかたなく」即位することにしたのだ。
だから、兄の子が即位できる歳になるまでの「繋ぎ」くらいの気持ちでいる。
それでも、即位すると決めた以上、正妃を娶る必要はあった。
(リロイ)
(はい、我が君)
リロイの、自身への呼びかけには、いつも少しだけむず痒くなる。
しかし、リロイがそう呼びたがるので、好きにさせていた。
ディーナリアスが王太子となったのは、ついさっき、ほんの半日前。
それまでは、王族の1人に過ぎなかった。
にもかかわらず、リロイは、仕え始めからずっと、彼を「王」と定めている。
そのため「殿下」とは呼ばない。
リロイ独特のこだわりがあるらしかった。
深く追求したことはないけれども。
(ここは、少し寒いのではないか?)
彼女は、さっきから、ぷるぷると震えている。
大広間は、魔術師により、適度な温度が保たれていた。
ロズウェルドの者にとっては適温かもしれない。
さりとて、彼女は、リフルワンスの者なのだ。
(恐れながら、我が君。大広間は、適温にございます)
(だが、あの娘は震えている)
(それは、緊張からくるものでございましょう)
リロイの言葉に、首をかしげたくなる。
なぜ緊張などしているのか、よくわからなかった。
ここには、正妃候補が並んでいる。
誰もが納得の上、もっと言えば、望んで、ここにいるのだ。
好き好んで来ているのだから、緊張する理由がない。
(リスを呼べ)
ディーナリアスが言うと、リロイが、すぐにうなずいた。
複数で会話のできる「集言葉」が発動される。
もっともリロイが口を挟むことはないのだけれど、それはともかく。
(リス)
(あれ? 今、正妃選びやってるはずだろ?)
リスこと、リシャール・ウィリュアートンは、この国の宰相だ。
20歳と若いものの、頭は切れるし、腕も立つ。
現状、リスをおいて宰相の役割を担える者はいない。
誰もが、リスの手腕を認めていた。
ディーナリアスとは十歳違いだが、平気で「タメ口」を使う。
それについて、ディーナリアスは、なんとも思っていない。
ディーナリアスが、リスの「タメ口」に無反応なためだろう。
リスより5歳上のリロイも「タメ口」を使われているが、何も言わずにいた。
(真っ最中だ。確認したいことがあって、連絡した)
(言っとくけど、無理に引っ張ってきたわけじゃないぜ?)
(む。問う前に答えられては、問えぬであろうが)
(それと、大広間は適温。その娘が震えてんのは、アンタが怖いから)
リスは、こともなげに答える。
いつも、こんな調子だ。
魔術を使えないくせに、まるで見ていたかのように、物事を言い当てる。
(俺を怖がっていると言うか?)
(そーだよ。アンタの声って、威厳あり過ぎ?って感じだからサ)
言われても、ディーナリアスには、ピンとこない。
自分に威厳があるなどと、思ったことがないからだ。
(アンタが、どう思うかは関係ねーだろ? なあ、リロイ?)
リロイは、返事をしなかった。
ディーナリアスが視線を向けても、表情は変わらない。
ということは、リスに同感、ということになる。
3人の間の暗黙の了解。
返事をしないのが、返事。
たいてい、それは肯定を意味する。
2人が同調しているのだから、きっと間違いではない。
(そうか)
(そーいうこと。じゃあ、正妃選び、さっさと片づけちまえよ)
リロイに、うなずいてみせた。
魔術が切れ、リスとの会話は終了。
ディーナリアスは、改めてジョゼフィーネ・ノアルクに視線を向けた。
(ぷるぷるしておる……それほどに、俺が怖いのか……)
頭にはハテナ。
なにしろ、ディーナリアスは、なにもしていない。
ただちょっと声をかけただけだ。
しかも、正妃選びの儀、お定まりの台詞。
実は、正妃は、すでに決まっている。
そのため、ディーナリアスは、どうしたものか、と思っていた。
無理に引っ張って来られたのではないにしても、あれほど怖がっている。
そんな者を正妃とするのは「イジメ」ではなかろうか。
(我が君、どうなさいますか?)
(本人の意思を確認するしかなかろう)
立ち上がり、ディーナリアスは、立ち並ぶ女性たちに声をかけた。
「そこの者だけ残っていろ。あとの者は下がれ」