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おやすみまで 3

 アントワーヌは、友人であり商人のファビアン・ソルローの屋敷を訪れた。

 ソルロー家は、王室ご用達の商人だ。

 アントワーヌとも、幼い頃からつきあいがある。

 お互いに気のおけない仲だった。

 

「おいおい……それは、あまりに無茶というものだろう、アントワーヌ」

「ファビ、私は、どうしてもジョージーを取り戻したいと思っているんだ」

「それは、わかるが……相手は、あの国なんだろ?」

 

 ファビアンの私室に、2人はいる。

 向かい合って、1人掛け用のソファに腰かけていた。

 人ばらいを頼んであるので、部屋にはメイドも執事もいない。

 2人の間にあるテーブルに置かれた紅茶も、ファビアンが淹れたものだ。

 

 くすんだ銀髪に、深い青色の瞳、くっきりした鼻筋と薄い唇。

 堀の深い顔立ちだが、あまり無骨そうには見えない。

 ファビアンには、いつも、どことなし物憂げな雰囲気が漂っている。

 それなりに、長いつきあいをしていても、ファビアンが声を荒げたり、怒ったりする姿は見たことがなかった。

 

「あの国だからこそ、お前に頼んでいるのじゃないか」

 

 ふう…と、ファビアンが溜め息をつく。

 ファビアンは、アントワーヌより5つ年上の25歳。

 実質、ソルローの家を、取り仕切っているのはファビアンだった。

 だからこそ、アントワーヌは、ここに来たのだ。

 無理を言っている自覚はある。

 

「……ジョージーが、どんな目に合わされているかと思うと……」

 

 両手を膝の上で組み、アントワーヌは、深くうなだれる。

 自分の手を離れ、初めてジョゼフィーネの存在を強く意識していた。

 彼は、どうしてもジョゼフィーネを(そば)に置いておきたかったのだ。

 自分にだけ向けられていた笑顔を取り戻したい。

 

「陛下には……相談はできない、か」

 

 アントワーヌは、リフルワンスの王太子であり、現国王は父だった。

 けれど、親子だからと言って無理は通らないのだ。

 国王には、国王としての役割、そして、体裁がある。

 

 普通の貴族でも、息子のために頭を下げる父は、ほとんどいない。

 ましてや、国王ともなれば、その行動が持つ意味は、大きかった。

 下手をすれば、国全体を巻き込む事態にもなる。

 相談しても、父が動かないことは、わかっていた。

 むしろ、叱責されるに違いない。

 

「具体的な案は、考えているのか?」

「……ロズウェルドの次期国王と話をつけるしかない」

「話をつけるって……アントワーヌ……」

「わかっているさ。だが、小国とはいえ、私はリフルワンスの王太子だ。まだ即位していない次期国王とは、立場は対等なはずだろう」

 

 大陸最大のロズウェルド王国と小国のリフルワンスとでは、格が違う。

 同じ王太子でも、対等な立場のはずはなかった。

 おまけに、両国の間には、まともな国交がないのだ。

 ロズウェルドの次期国王が、アントワーヌを尊重する義理は、どこにもない。

 とはいえ、ほかに方法も考えつけずにいる。

 

「そういえば……」

 

 言葉に、アントワーヌは顔を上げる。

 ファビアンが、青色の瞳を揺らめかせていた。

 なにかを思いついたらしい。

 

「昔、聞いたことがある。あの国では、婚姻するにあたって、女性の意思が必要だとか……彼女が断れば、もしかすると……」

 

 ファビアンの言葉に、一条の光が見える。

 ジョゼフィーネは、自分を愛してくれていた。

 迎えに行きさえすれば、一緒に帰ってくれるはずだ。

 

「思い出してくれて、ありがとう、ファビ。ずいぶんと気持ちが楽になった」

「それはいいが……」

「あの国に、私を連れて行くことはできないか?」

 

 ロズウェルドとは、国交はないものの、商売での繋がりはある。

 隣接している国同士なのだから、完全に国境を封鎖することはできない。

 そのため、ロズウェルドも辺境地の国境間で行われている商売は見過ごしにしているところがあった。

 リフルワンスも同様だ。

 

「しかし……王太子が長く国を空けることになれば、問題になるだろう?」

 

 アントワーヌが、ただ不在にしているだけだと、当然に、どこに行ったのか、という話にはなる。

 さりとて、リフルワンスの王太子としてロズウェルド入りすることは、絶対に、不可能だ。

 なにより、国王の許可がおりない。

 

「しばらく静養に行く、との名目で、王宮を空ける」

「そんな理由、通るものか」

「明日から数日、私は体調不良を訴えるつもりだ」

「……それも、俺に用意しろと?」

 

 ファビアンに頼りきりになるのは、申し訳ないと思う。

 が、頼れる相手もいなかった。

 王太子であっても、できることは限られている。

 むしろ、制約のほうが多いくらいだった。

 

「すまない……きみを巻き込むのは、心苦しいが……」

「本気、ということなんだな?」

「ああ……私はジョージーを迎えに行きたい、どうしても……」

 

 ファビアンが、しかたないと言いたげに、苦笑いを浮かべる。

 どうやら、自分の頼みをきいてくれる気になったようだ。

 

「薬は、あとで渡す。量を間違えないようにしろよ」

「わかった」

 

 単に、体調不良を訴えるだけでは、説得力に欠ける。

 医師の診断も受けることになるだろうし、まずは、そこを、かいくぐらなければならない。

 ファビアンの言う薬とは、適度に本物の病らしく見せるためのものだった。

 以前、ファビアンから聞いたことはあったが、実際に使うのは、初めてだ。

 

 どのような作用があるのか、不安はある。

 が、躊躇(ためら)う余裕はなかった。

 こうしている間にも、時間は過ぎていく。

 ジョゼフィーネが手の届かないところに行ってしまう前に、取り戻さなければ、一生、後悔することになると、わかっていた。

 

「早くても、準備に、4,5日はかかる。それまでに、口実を作っておくんだぞ、アントワーヌ。どのくらい時間が稼げるかに、かかっているんだからな」

 

 ロズウェルドまで、馬を飛ばしても片道2日はかかる。

 向こうで、どのくらい時間を要するかは、未定だ。

 すぐに謁見が叶うとは限らないのだから、少なくとも、十日は時間を稼ぐ必要があった。

 

「静養先に連れて行く侍従は、王太子に意見なんぞ言えないような、下っ端だけにしておけよ。警護は、俺から手を回しておく」

「本当に、すまない、ファビ。ありがとう」

「そんな情けない顔をするなよ。商人の子と対等なつきあいをしてくれたことに、俺は、感謝しているんだからな」

 

 リフルワンスでは、貴族は平民を、徹底して差別している。

 が、アントワーヌは、ファビアンとは、友達としてつきあってきたのだ。

 恩にきせる気はないが、頼れる友がいることは、とてもありがたかった。


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