おやすみまで 2
王太子と手を繋ぎ、庭園の散歩。
庭園といっても、ジョゼフィーネの知っている「廃園」とは違う。
小道の両脇には、見上げるほどの木々が繁っていた。
きちんと刈り込まれ、整えられている濃い緑の葉が、とてもきれいだ。
足元には、背の低い芝が植えられている。
歩くたびにフカフカして、とても気持ちいい。
踏んだあとがどうなるのか、ちょっぴり気になって振り向いたが、とくに傷んだ様子はなかった。
魔術がかかっているからなのか、そういう性質の芝だからなのかはともかく。
「俺は、ここでサビナと会ったのだ」
サビナというのは、さっきの魔術師の女性だ。
そういえば「幼馴染み」だと、王太子が言っていたのを思い出す。
ジョゼフィーネにとって「幼馴染み」との言葉には、深い意味合いが込められていた。
どうしても、アントワーヌのことが頭に浮かぶのだ。
「サビナは、オーウェンと喧嘩をしていてな」
新しい名前が出てきた。
まだ会ったことのない人だろう。
と、思ったのだけれど。
「オーウェンは、近衛騎士隊長をしておる。ジョゼも会ったことがあろう」
言われても、思い出せない。
もとよりジョゼフィーネは人と関わらないようにしている。
人間関係を維持しようとの努力もせずにいた。
そのせいで、必要以上に、人の名前や顔を覚えていないのだ。
「リスと一緒に、お前を迎えに行っていたはずなのだがな。覚えておらんか?」
しかたなく、首を横に振る。
覚えていないものは、覚えていない。
嘘をついたって、すぐにバレるのなら、ここでがっかりされたほうがいい。
落胆されることには慣れている。
「なに、覚えておらずともかまわんさ。どの道、この先、会うことになる。その時に、改めて紹介すればよいことだ」
王太子には、ジョゼフィーネの思ったような「落胆」する様子はなかった。
なんとも妙な感じがする。
がっかりされることに慣れ過ぎているせいで、がっかりされないことには慣れていないのだ。
(……私のことなんて……どうでもいいから……がっかりも、しない……)
少しでも良い方向に思考が向きそうになると、ハイパーネガティブ思考炸裂。
すぐさま、ジョゼフィーネを後ろに向かせる。
期待をするのも、されるのも、怖かった。
彼女は、開き直るということがない。
ただ、同じくらい、捨て鉢になったり、自棄になったりもしない。
ひたすら後ろだけを向いている。
なにか行動を起こすことで、傷つきたくなかったからだ。
「そのオーウェンとサビナは婚姻をして、今は2人の子を育てておる」
え?と、ジョゼフィーネは王太子を見上げる。
幼馴染みという関係上、王太子とサビナは親密なのだと思っていた。
必ずしも、そうとは限らないのだが、自分とアントワーヌとの関係に重ねて考えていたのだ。
(あ、あの人……人妻……この人とは……つきあって、ない……?)
それを肯定するように、王太子が語る。
「あの2人は、いつも喧嘩ばかりで、なぜ仲良くせぬのかと、思っておったのだ。俺は、仲裁に忙しくしておったというのに。あれが、愛情表現なら、放っておくのであった」
王太子の口調には、妬いているような雰囲気はない。
サビナのことは、本当に、友達以上には思っていないようだ。
(うう……それ、ツンデレって、教えたい……でも……)
さすがに、そんな言葉を使っては怪しまれる。
ジョゼフィーネは、公爵令嬢なのだ、一応。
迂闊に、リフルワンスにない言葉を口にすることはできない。
前世の話なんてできはしないのだから。
(話しても……頭がおかしくなったって……思われる、だけだし……)
実は、アントワーヌには、話そうとしたことがある。
が、アントワーヌに、困ったような顔をされ、慌てて、夢を見たのだと話をすり替えた。
最も近しいと信じていたアントワーヌでさえ、彼女の言葉を信じそうになかったのだ。
昨日、知り合ったばかりの王太子が信じるわけがない。
「ジョゼ?」
王太子が、足を止めている。
ジョゼフィーネも立ち止まり、王太子を見上げた。
なでなで、なでなで。
王太子の癖なのだろうか。
彼は、しょっちゅうジョゼフィーネの頭を撫でる。
「この庭園には、秘密があってな」
秘密と言われ、少しだけ興味が引かれた。
元々、この庭園に入った時から、感じていたことだ。
迷路のような迷宮庭園。
おとぎの国にしか存在しない、ある種の憧れでもある庭。
迷子になるかもと、無意識に、繋いだ手に力が入る。
それでも、知らず、わくわくしていた。
「王族の血筋を持つ者にだけ、必ず出口がわかる」
ジョゼフィーネの目に、初めて光が灯る。
やはり、ここは「迷宮庭園」だったのだ、憧れの。
「み、道が……か、変わったり……」
「お。よく知っておるではないか。その通りだ」
なでなで、と頭を撫でられた。
少しずつ王太子の「癖」にも慣れ始めている。
褒められたような気がして、ちょっとだけ嬉しくもなった。
ジョゼフィーネは、ちらっと、王太子に視線を向ける。
とたん、王太子が、かがんできた。
軽く唇がふれる。
これには、まだ慣れない。
(な、なんで、すぐ口をくっつけるの?……うるさかった、から……?)
口を塞がれたのだろうか。
思うと、そんな気もしてくる。
親密さアピールのキスだなんて、ジョゼフィーネは思わないのだ。
「俺の嫁は、賢いのだな」
絶対に嘘だ。
碌な教育も受けていない自分が、賢いはずなどないのだから。




