おやすみまで 1
「本当に、無理矢理、連れて来たのではないのでしょうね」
サビナの強い口調に、リスは首をすくめたくなる。
サビナのことが、ちょっぴり苦手なのだ。
彼女は、8歳上で、リスを産まれた時から知っている。
リスは1人っ子だが、サビナが、姉のような存在だった。
大派閥の子息だったリスにも容赦なし。
両親は、サビナをお目付け役と考えていたため、叱られているリスを、庇ってはくれなかったのだ。
傍若無人なリスが、唯一、首をすくめたくなる相手。
「違うって……だいたい、オレが選んだわけじゃねーし……」
リロイの時とは違い、ぽそぽそと歯切れも悪く、言い訳じみた口調になる。
サビナに、ジロっと睨まれると、どうにも具合が悪かった。
ホウキの柄で、尻を引っ叩かれた記憶が蘇るせいかもしれない。
もしくは、魔術で、天井に吊り下げられたこととか。
「では、どうして妃殿下は、あれほど怯えておられるの? あなた、いったいどういうふうに”お迎え”にあがったのかしら?」
サビナは、両手を腰に、リスを見下ろしている。
リスは執務室のイスに座っているのだが、机の下に隠れたくなった。
ちらっと、サビナを見ては、視線をそらせる。
悪いことはしていないのに「悪い子」な気分だ。
「……そりゃあ、6頭だての馬車で迎えに行ったわけじゃねーけど……」
「あなたのことを聞いているのよ、リシャール」
う、と声を詰まらせる。
リスは正式名で呼ばれることが、ほとんどない。
リス自身が、あまり好まないからだ。
そして、サビナがリスを正式名で呼ぶのは「本気」を意味している。
きちんと、納得するように話をしなければ、本当に、天井にぶら下げられるかもしれない。
彼女の魔術の腕は、超一流なのだ。
「まず、リフルワンスの国務大臣ってのと、繋ぎを取った」
リフルワンスとは正式な国交がない。
そのため、直接、王族に接触するのは憚られた。
ひとつ間違えば「宣戦布告」と見做される。
あちらから仕掛けられるのはいいが、こちらからの開戦は望ましくないのだ。
「本当は、摂政ってのに、話を通そうと思ってたんだぜ? でもサ、国務大臣が、自分で”用立てる”とか言うもんだから……」
「失礼な言いかたは、およしなさい!」
「オ、オレが言ったんじゃねーよ! あの国務大臣が……」
尻すぼみに、声が小さくなった。
何を言っても、叱られそうな気がする。
こういう時のサビナは、とても厳しいのだ。
リスは、自分が5歳の子供に戻ったような錯覚に陥る。
「そ、それで、その国務大臣の末娘ってのが、妃殿下だったんだよ」
「国務大臣は、なぜ妃殿下を選んだの? こういう場合、姉が選ばれると思うのだけれど……もう婚姻していたのかしら?」
「そりゃあ、違う。妃殿下が愛妾の娘だからだな」
「リシャール・ウィリュアートン!!」
うわっと、反射的に、頭をかかえた。
拳骨を食らわされると思ったからだ。
「き、気をつける……気をつけるから、そんなに怒るなよ……おっかねーなぁ」
ふう…と息をつき、サビナが、なんとか怒りの矛をおさめてくれる。
本気で、執務室から逃げたくなった。
さりとて、リスは魔術が使えない。
リロイのように、パッと姿を消すなんてことはできないのだ。
「ディーンの前で、そんなこと言ったら、拳骨くらいではすまないわよ?」
「それは、わかってる。サビナの前だから、口が滑っただけサ」
「うまいこと言ったって無駄。褒め言葉にもならないわね」
リスは、少しだけ、しゅんとなる。
世辞で言ったつもりではない。
サビナは、1人っ子のリスにとって、本当に姉のような存在なのだ。
ちょっぴりの苦手意識はともかく、誰といるよりも、気が抜ける。
「まぁ、いいわ。話を戻すけれど、あなたが、お迎えにあがった時の、妃殿下のご様子はどうだったの?」
「うーん……ずーっと、うつむいてたなぁ。人生、諦めてるっていうか……井戸の底に突き落とされたってカンジ?」
「ロズウェルドは、リフルワンスにとって、いい国ではないものね」
「それもあるとは思うけど、それだけじゃねーな」
リフルワンスには、今でも、ロズウェルド王国に対する恨みが根深い。
リスとしては「逆恨み」としか思えなかった。
そもそも戦争をしかけてきたのは、リフルワンスだ。
当時のリフルワンスは豊かな土地と資源に恵まれ、大陸有数の大国だった。
民が飢えているわけでなし、国内が乱れているわけでなし。
他国に侵略戦争をしかける必要など、どこにもなかったのだ。
大国であることに勘違いした、馬鹿な貴族どもが欲をかかなければ、あんなことにはなっていない。
「我が国に対する印象だけではない、ということ?」
「リフルワンスはウチとは違うんだよ、サビナねーちゃん」
サビナが、ついっと眉を上げる。
リスが、サビナをそう呼んでいたのは8歳までだった。
以来、からかう時以外は、そんなふうには呼ばないのだ。
「ウチも、今じゃ貴族と平民の差別は薄れてきてるけど、昔は酷かったろ?」
現在のロズウェルドには、貴族と平民の間に「棲み分け」といった意識が根付きつつある。
貴族の中には、昔ながらの差別意識を持っている者もいるにはいるが、少数派になっていた。
貴族の生活が「民の税」により賄われていることは、動かしがたいからだ。
民にそっぽを向かれ、より魅力的な領地に移住されてしまうと、領地は荒れ果て、たちまち生活は困窮する。
昔は、民の移住は許されなかったが、5,60年ほど前からは、一部、許されるようになった。
それを、きっかけに、貴族も、民に多少は「気を遣う」ようになったのだ。
「あれより、酷えかもしれねーな。あ、怒るなよ? 絶対、怒るなよ? これは、リフルワンスにおいての事実なんだ。リフルワンスじゃ、愛妾の子は差別されて、メチャクチャ虐げられる。それで、ああいう性格になったんじゃねーか?」
「あなたが失礼なことをしたり、言ったりしたせいではない、というのね?」
「してねーよっ! オレが、外ヅラいいのは、知ってんだろ?!」
「自慢になりません」
ぴしゃりと言ってから、サビナは、すこし考えるそぶりを見せる。
ディーナリアスの判断は正しい。
サビナなら、きっと次期国王の「嫁」を、支えようとするに違いない。
「その国務大臣は、愛妾の子だから手放しても惜しくはない、と考えたのね」
「体のいい厄介ばら……いや、その国務大臣が、そう考えてそうだなって」
サビナに睨まれ、慌てて言葉を変える。
彼女の前では、辣腕宰相も形無しなのだ。
「ディーンは、知っているの?」
「いいや、そこまでは知らねえ。報告書に書いてあることだけだな」
「……あまり良くないわね。ディーンは妃殿下を大事に想っているようだし」
リスにとっては好都合というものだったが、ここは黙っておく。
言えば、絶対にサビナから「ド説教」を食らうとわかっていたからだ。




