風変わりな次期君主 3
ベッドの中に女性といて、なにもしない。
そんなことがあるのが、不思議だった。
そもそも、朝、自分のベッドに女性がいること自体、不思議に思える。
ディーナリアスは、どんな女性とも朝を迎えたことがない。
自分の寝室に、女性を入れたこともなかったのだ。
たいていは、王宮内の別の部屋を使っていた。
そして、行為が終わったあと、少しの会話を残し、部屋を去る。
今までは、そうしていた。
(だが、これは俺の嫁なのだ。嫁とはベッドを同じくすべし)
あの書を信奉しているディーナリアスにとって、嫁と別部屋などありえない。
それに、なんだか良い気分にもなっていた。
昨夜は、ジョゼフィーネを腕に抱いて「なにもせず」眠っている。
目が覚めても、彼女は、ディーナリアスの腕の中。
とても無防備に見えた。
寝顔を見つつ、改めて、自分が守るべき存在だと認識している。
さりとて、本当には、もう少し親密になりたいとも感じていた。
深い口づけがしたくなる。
それを我慢して、すぐに唇を離したのだ。
また昏倒させるといけないので。
「さきほどから、俺は、ずっと考えていたのだがな」
ディーナリアスは、ジョゼフィーネの頭を撫でながら言う。
薄紫の瞳が、ゆらゆらと揺れていた。
彼女は、いつも、なにかしら不安そうにしている。
見知らぬ土地にいるので、落ち着かないのかもしれない。
「お前の愛称だ」
家族間では愛称で呼ぶのが、一般的だ。
好意を持つ相手に対しては別の慣習があるのだが、それはともかく。
ジョゼフィーネは、ディーナリアスの嫁であり、家族。
よそよそしい呼びかたをしていては、なかなか打ち解けられないだろうし。
「おそらく、一般的なのはジョージーかジョーであろうな。だが、それでは特別な意味合いにならん」
リフルワンスには、ジョゼフィーネの家族もいる。
そちらの家族と、自分とでは意味合いを変える必要があった。
彼女はもう、ロズウェルド王国の者なのだ。
「ゆえに、ジョゼと呼びたいが、どうか?」
気にいらなければ、名そのものから離れた愛称を考えるつもりでいる。
日々の呼び名になるのだから、本人が嫌がるものであってはならない。
呼ばれて不愉快になる愛称では、愛称本来の意味を失ってしまう。
「気にいらんか?」
重ねて聞くと、ジョゼフィーネが、首をわずかに横に振った。
ディーナリアスは、ジョゼフィーネに、うなずいてみせる。
「ならば、今後、俺は、お前をジョゼと呼ぶ。俺のことは、ディーンと呼べ」
親しい者は、ディーナリアスを、ディーンと呼ぶのだ。
ジョゼフィーネは嫁なのだから、とくに親しい者と言えた。
ディーナリアスにとっては当然のことなのだが、ジョゼフィーネは、あまり良い顔をしていない。
「……そ、それは……し、失礼なのでは……」
「何を言う。お前は、俺の嫁なのだ。失礼などということがあるものか」
むしろ、是非そう呼ばれたい。
夫婦円満のためにも。
「……よ、嫁……っ……」
急に、ジョゼフィーネが顔色を変えた。
すっかり蒼褪め、また、ぷるぷるしている。
横向きにした体を、縮こまらせていた。
「いかがした、ジョゼ?」
この愛称が、実は、気に入らなかったのだろうか。
少し近づいたと思えたのだが、また彼女は遠ざかってしまっている。
なにが良くなかったのか、考えてもわからない。
ディーナリアスは、ジョゼフィーネが、ハイパーネガティブ思考の持ち主だとは知らないのだ。
「わ、わた、私……よ、夜の……おつ、おつ、おつとめを……」
「これ、つとめ、などと言うでない」
さほど強く言ったつもりはないのだが、ジョゼフィーネは、ますます縮こまってしまった。
ぷるぷるも、おさまっていない。
その様子に、ディーナリアスは、ジョゼフィーネの幼さに気づく。
16歳というと、この国では、立派な大人だ。
リフルワンスでも同様だろう。
(だが、ジョゼは教育を受けておらん。つまり、外を知らぬということだ)
にもかかわらず、いきなり「嫁」という立場になった。
大人の世界に、ぽんと放り込まれた子供も同然。
ディーナリアスはリスとは違い、面倒などとは少しも思わない。
むしろ、大事にしたい気持ちが強くなる。
「怒ってはおらん。案ずるな」
言ってから、ジョゼフィーネの体を、ゆるく抱きしめた。
びくっとされたが、かまわず繰り返し頭を撫でる。
「ジョゼ、夫婦のいとなみとは、つとめではない。そう捉える者がおるのも事実だが、俺は、そのようには思っておらんのだ」
ユージーン・ガルベリーの書にも、そう書いてある。
第1章、第16節。
『夫婦のいとなみとは、愛し愛されていることを、実感、または確認するための行為である』
それを思い返しつつ、ディーナリアスは言葉を続けた。
ジョゼフィーネの頭も、なでなで。
「確かに、俺とお前の婚姻は政略的なものを含む。しかし、だから、愛がなくても良い、ということではなかろう?」
もそっと、ジョゼフィーネが顔を上げる。
ぷるぷるは、おさまっていた。
「……あ、あ、愛……?」
「今は、まだ互いのことも、よく知らぬし、愛し愛される関係となるのは、難しいやもしれん。ただ、婚姻も決まっておるのだし、ゆっくり、そうした関係になってゆけばよいのではないか?」
ジョゼフィーネの薄紫の瞳が、じいっとディーナリアスを見つめている。
さっきまでのように、ゆらゆらとは揺らいでいない。
ディーナリアスは、ジョゼフィーネの頬を撫でた。
ついで、軽く唇を重ねる。
ぱちぱちっと瞬きをしたあと、ジョゼフィーネの頬が赤く染まった。
初めて見る表情だ。
「血色が良くなったな」
おおむねディーナリアスは、いつも無表情なのだけれど。
ジョゼフィーネの赤い頬をつつきながら、ほんの少し、笑う。




