俺の嫁だと言われても 1
「これよりディーナリアス・ガルベリー王太子殿下の、正妃選びの儀を執り行う」
大広間に、静かで落ち着いた声が響き渡る。
知らない者の声だった。
(私を、ここに連れてきた人とは、違う……)
当然、顔を見ていれば、そんなことは、すぐにわかる。
が、頭を下げているため、相手の姿は見えないのだ。
見えているのは、大理石の床だけ。
声で判断するよりほかない。
ここへの案内人は、もう少し低く、ザラついた声だった。
口調は、なめらかで優しげだったが、どこかわざとらしさを感じた。
そのため、胡散臭いとしか思えなかったのだ。
詐欺師にでも騙された気分。
(でも……どうせ、私の人生なんて……いっつも最悪だし……)
ひたすら大理石を見つめつつ、自嘲する。
自分に対しての自信など、ひと欠片も残ってはいない。
ここに来る前に持っていた、小さな断片すら、木端微塵になっていた。
「では、最初に、辞退する者がおれば申し出よ」
びくっと、体が震える。
足にも震えが伝わり、ドレスの下で、膝が、がくがくした。
今度の声は、今までとは、まったく違う性質のものだ。
低いとも高いとも言えない、耳触りのいいものであるには違いない。
なのに、通りのいい声が大広間を抜け、腹まで串刺しにされた気分になる。
(こ、怖い……)
その場にうずくまりたくなるのを、必死で堪えた。
隣に並んでいる貴族令嬢たちに、変わりはない。
同じように頭を下げ、平然と立ち並んでいる。
自分だけ、倒れるわけにも、うずくまるわけにも、いかないのだ。
ジョゼフィーネ・ノアルクは、公爵令嬢だった、一応。
おそらく並んでいる女性たちも、それなりの爵位を持つに違いない。
この大国、ロズウェルド王国と、小国であるリフルワンスとの爵位に、どれだけ差があるかはともかく。
ジョゼフィーネは、公爵令嬢なのだ、一応。
(ど、どうせ……私の人生なんて、ロクなもんじゃないし……)
体を、ぷるぷるさせつつ、思う。
正妃に選ばれようが、選ばれまいが、最悪なことに違いはない。
殺されたっていいくらいだ。
そして、願わくは、2度と生まれ変わらずにすむようにと、祈る。
そう、2度とだ。
ジョゼフィーネにとって「この」人生は、2度目のものだった。
ざっくりと前世の記憶を持って、産まれ落ちている。
なにができるというわけでもなかったが、赤ん坊として泣いたり、食事をしたりしながらも、頭での思考は可能だったのだ。
『なに? ここ、どこ?』
『あれ? 私、今、もしかして赤ん坊になってる?』
『あ~、あれだ、転生。転生したんだ』
『でも、いつ、私、死んだんだろ?』
こんな具合に、赤ん坊姿のまま、状況把握に努めている。
さりとて、明確に、なにがどうなったのかは、わからなかった。
前世の記憶は、あまりにざっくりしていたからだ。
わりと裕福な家で育ったのは覚えていても、両親の顔は思い出せない。
初恋が小学3年だったのは記憶しているのに、相手の顔は思い浮かばない。
すべてが、そんな調子だった。
自分史として活字はあるのに、映像がない、といったふう。
あげく、自分が「死んだ」状況だけは、どうしても思い出せなかった。
ただ、赤ん坊なのは確かだったため、転生したのだろうと、そこは納得。
そして、今度こそ「まっとう」で「幸せ」な人生をおくると決めた。
前世のジョゼフィーネは、引きこもりニートだったので。
長く人づきあいなんてしていなかったし、したくもなかったし。
もちろん、だからこそ、引きこもっていたわけで。
ジョゼフィーネにとって、前世の記憶は、黒歴史以外のなにものでもない。
今世では、自分を変えるのだと、意気込んでいた。
が、しかし。
今世でも、ジョゼフィーネは、引きこもりニートをやっていた。
性格は、前世以上に、ハイパーネガティブを炸裂させている。
なにかというと「どうせ」と思うのが癖になっている始末だった。
挫折を知り、人は強くなるという。
さりとて、ジョゼフィーネは違った。
挫折を知り、心の中でさえも引きこもり状態。
すっかり自分の殻に閉じこもっている。
人と深く関わりさえしなければ、傷つかずにすむからだ。
(こんなとこにいるのは嫌だけど……どうせ帰るところも、ないし……)
帰ったって、喜ぶ者だっていやしない。
どうせ。
心の中で、また自嘲する。
ジョゼフィーネは、とことん後ろ向きだった。
それには、それで理由がある。
生まれ変わった当初から、ハイパーネガティブだったのではない。
せっかく生まれ変わったのだからと、自分を変えようと試みたのだ。
とはいえ、その気持ちが萎えるのに、時間はかからなかった。
かなり早かった。
3歳。
前世の記憶を持って生まれたがゆえに、ジョゼフィーネは、周囲の言葉を正しく理解できた。
そのせいで、使用人のみならず、家族が、自分をどう捉えているか、知るはめになったのだ。
愛妾の産んだ子。
ジョゼフィーネは、ノアルク公爵令嬢として生まれている。
けれど「所詮は」愛妾の子でしかない。
2人の姉は、彼女に冷たかったし、使用人たちも、姉たちと同じように扱ってはくれなかった。
母は、ジョゼフィーネを産んでまもなく死んでおり、父はジョゼフィーネと、姉たちを「区別」する。
リフルワンス国では、認知されていても愛妾の子を、まともな令嬢として扱う者などいないのだ。
認知しないのも外聞が悪いと、建前で、認知されているに過ぎない。
(アントワーヌも、結局、ほかのみんなと同じだったし……)
ジョゼフィーネの幼馴染であり、リフルワンス国の王太子。
彼だけは違うと思っていたのは、彼と婚姻を誓い合っていたからだ。
その想いも、今となっては、打ち砕かれた。
そのため、今の彼女は、ハイパーネガティブにブーストがかかっている。