1.悪役令嬢なんて面倒くさい
ああ、悪役するのも面倒くさい。とにかくひたすら寝ていたい。
私、エルミーヌ・バタンテールは常々そう思う。だって、眠いし。
ある朝不意に、前世とやらの記憶に目覚めた私は、この世界が前世にあったドキラブ夢なんちゃらという乙女ゲームによく似ているなーと気が付いたのだった。
まあ、気が付いただけで即二度寝キメたけど。ぶっちゃけ三度寝までなら平常だ。
前世の記憶によると、エルミーヌっていうのは悪役令嬢というやつで、主人公ジゼルのライバルポジションらしい。
ゲーム内だと、ジゼルのことをとにかくいびっていじめて、他のめぼしい可愛い女の子もいじめて足を引っ張りまくって、そのくせイケメン男性キャラクターに媚び媚びしているらしい。なんて面倒なことをやりたがる人なのだろう。自分だから人ごとではないが。
そして公爵家の令嬢という地位を有効活用して、ヴォルテーヌ王国の王太子の婚約者に収まり、更に威張りちらすようになるらしい。
はっきり言って面倒すぎる。王太子妃とか、絶対にやることが多すぎるじゃないか。忙しい上に睡眠時間が減るとかありえない!なりたがる人の気が知れない!
私は睡眠時間を最低でも1日15時間は確保したいのに、それが減ったら立ってだろうが目を開けてだろうが寝てしまう自信がある。今でもベッドに横たわれば、3秒以内に寝る。我が最高記録は0.95秒だ。のび太くんが生涯のライバルである。
寝るだけならいっそベッドがなくてもソファでもいいし、10分の暇な時間も寝て過ごしたい。というか隙間時間は全部寝ている。休みの日の睡眠時間は23時間。それが私だ。
つまり、王太子妃になるのはまっぴらであるのだが、今のところ王太子との婚約はそのままにしている。寝ていたいから会うこともないけど。
だって、私の記憶通りにいくのなら、悪役令嬢エルミーヌの運命は、ゲームの最後らへんで断罪イベントが起き、芋づる式に出てきた罪を償うために生涯を塔に幽閉されて終わるのだ。
それって──最高じゃない?
外に出なくていいし、食事は多分、映画とかのイメージだと小さい扉から自動で補給されるはず。まあ寝てるとあまりお腹が空かないから1日1食とかでもいいし。
塔の中なんて、何かしなきゃいけないこともなさそうだし、1日中寝て過ごせるだろう。そもそもお風呂も面倒だし、幽閉されて寝てるだけなら髪の毛を結んだりしなくていいだろうし、もういっそ服も着なくてよくない?裸で毛布にくるまるのは最高だと思う!
そんなわけで私はいずれ訪れる幽閉の日々をドキドキワクワクと心待ちにしているのであった。
本当ならゲームの通りに動けば完璧なんだろうけど、そんなの面倒くさい。それにはっきりと覚えているわけではないのだ。
だって、あのドキラブ夢なんちゃらをやっていたのは私ではない。前世の私の友人だった真里ちゃんがハマっていたのだ。真里ちゃんは親がやたらと厳しくて、ゲームとか漫画は完全禁止の家庭に育っていた。だから放課後にはよく私の家に来て、真里ちゃんが買って私の部屋に置きっ放しにしてるゲームをやっていた。その横で私は寝ていた。
だから、ゲームの内容なんてたまたま目が覚めた時に見たところしか覚えていない。ちなみに目を覚ます原因は真里ちゃんの興奮した悲鳴のせいが大半だった。
「ねえ、絵里子!見て!セドリック様のトゥルーエンディング!最高オブ最高!!まじ号泣の嵐!史上最高の推し!!」
「へーほーふーん、おやすみー」
「ギャー!ディオン様最高にキュート!!はちゃめちゃに顔がいいー!!もはや顔から生まれてるといっても過言ではない!!」
「そりゃー顔から生まれただろうねー。おやすみー」
なんて会話をした記憶ばっかりだ。
その割に案外覚えてるのは睡眠学習効果なのかもしれない。
ゲームや漫画を禁止したって、オタクになる時にはなるものなのだよ、真里ちゃんのお母さん。真里ちゃんはまあ、手遅れだ。私が布団を愛しているように彼女は乙女ゲームのキャラクターを愛していた。幸せの形は人それぞれだよね。
私にとって睡眠以外の大抵のことは面倒だが、とりわけ面倒なのは学校だ。
公爵家令嬢でも学校に行かなければならないのだ。どういう世界観だ、と私は思う。
「おい、起きろ」
「眠い」
「いつもだろ!起きろ!この寝坊助!」
三度寝の後、幸せな四度寝を決め込んでいた私を乱暴に揺するのはライオール・バタンテールだ。名字が同じなのは従兄弟だから。
公爵家は広いので、詳しいことは忘れたけど何か事情のあるライオール一家も住んでいる。ぶっちゃけ幼馴染みたいなものだ。
つまり、私がいかに眠るのが好きで、常に寝ていたいかを知っているし、一番に愛しているのが愛用の布団であるとも知っている。どんな有能なメイドもお手上げの寝汚なさを誇る私を無理矢理に起こして学校に連れて行ってくれる係というわけだ。
無理矢理に布団を引っぺがし、メイドに引き渡される。立ったまま寝ている私はメイドに顔を洗ってもらって、着替えをしてもらって、準備が出来たらまたライオールに運ばれて馬車に放り込まれる。
ライオールはいつも私を布団の簀巻きにしたまま小脇に抱えて運んでくれる。便利だ。布団の次に好きだ。
公爵家令嬢は面倒なことも多いけど、立って寝ているだけでもメイドが全ての世話をしてくれるのだけはいい。
ギリギリまで寝ていてもこうして馬車で寝られるし。
目を開けずに、私はライオールに話しかける。
「ねえ、ライ、昨日お風呂に入らないで寝ちゃった。洗浄魔法かけてよ」
「は?汚ねえな」
しかも、この世界にはこんな便利な魔法まであるのだ。
ライオールは口は悪いけど面倒見がいいので、私が頼めば洗浄魔法をかけてくれる。私も出来るけど面倒くさいから。他人に出来ることはお任せしたい。
ライオールは私のおでこに自分のおでこをコツンと当てて魔法を発動させた。
シュワっといつもの泡みたいな感覚が通り過ぎて、体はピカピカのすっきり。お風呂も必要なし。便利すぎる。
他人に魔法をかける時は、体に接触するのが手っ取り早いらしいが、必要なら別にいくら触っても構わない。むしろライオール様々である。
「ありがと」
「お前のせいで洗浄魔法がやたら上達したっての」
「やったな」
「やったなじゃねえわ、この馬鹿」
そしてギリギリまで寝て、学園の門あたりに差し掛かったところで私は朝食のパックを取り出す。三度の飯より睡眠が好きな私はちゃんと食べるのが面倒くさい。咀嚼してたら寝てしまうし。でも、他のことは他人に頼めても食事とトイレは代わってもらえない。
そんなわけで私が開発した、液状の総合栄養食カロリーフレンドをぐびっと飲んだ。栄養価が高く、カロリーも劇的に高く、このカロリーフレンドを飲んでおけばお腹も空きにくい。しかもトイレに行く回数も少し減る。私はとにかく寝る時間を増やすためなら努力は惜しまない方だ。
最近は軍のレーションにも採用されたとか病院での流動食に使われたとかなんとか。まあどうでもいいけど。
学校に到着。ライオールに引っ張られて馬車から降りる。
学校ではあまり寝られない。授業はそれなりにまともに聞いているような、睡眠学習のような、つまりはそういう感じ。
授業は寝て過ごして、家で自主学習した方が効率が良ければそうするし、授業を聞いているのが最高効率なら起きている。
睡眠時間を確保するためなら効率厨になるのが一番だ。補習とか無駄な時間過ごすなら寝ていたいだなんて言うまでもない。
昼休みになると、私はゆっくり眠れる中庭の特等席のベンチへ向かう。木陰が気持ちいいし、人も少ない最高の昼寝用ポジションだ。もちろん寝ることが最優先なので昼食を食べている暇などない。私は寝るのに忙しいのだ。
メイドにやたらとでかい折詰のお弁当を持たされているが、カロリーフレンドを朝に飲んだからお腹は空いていないし。
中庭に向かう途中の廊下に、細くて大人しそうな女子生徒がトボトボ歩いていたので呼び止める。
「そこの人、このお弁当を私の代わりに食べなさい。公爵令嬢の命令よ。あ、いつもみたいに食べ終わったら折詰は洗わないで机の横に置いておいて」
「あっ、エルミーヌ様……いつもありがとうございます……!」
これでお弁当の処理は終了。コックの料理も無駄にならず、メイドに怒られることもない。ついでにゲーム通りに、通りすがりの女子生徒に理不尽な命令をしていじめたことにもなるだろう。だってさっきの女子生徒、目をウルウルさせて、泣く寸前だったし。
そして私はいつもの特等席の木陰でゆっくりと眠ったのだった。
昼寝っていいよね、幸せ。
昼休みが終わる時もライオールが探しに来てくれるし、遠慮なく叩き起こしてくれるから午後の授業に遅刻することもない。
そして馬車で寝て、帰宅して寝る。だいたいそんな1日だ。
あ、今日も主人公のジゼルに意地悪をし忘れた気がする。だってあの子は常に忙しそうなんだもん。いつ見ても男子生徒と一緒にいるし。日替わりランチのように毎日別の男と過ごすなんてすごいバイタリティだ。真似できない。だって眠いし。
そんなわけで今日もおやすみなさい。