ア瞳ニモマケズ(夏詩の旅人シリーズ第8弾)
2006年9月中旬。
僕は家の窓から外を眺めていた。
しとしとと降り続く雨。
8月の終わりから10月頃まで続く秋雨。
“秋の長雨”と云われるこの雨が終わる頃、外の空気はひんやりとし出し、本格的な秋の到来を知らせてくれる。
3週間ほど前まで、僕は湘南の茅ヶ崎にいた。
そう言えばあの時も、こんな風に雨ばかりが降っている毎日だった…。
2006年8月下旬。
僕は茅ヶ崎の南口駅前にあるライブBARで、弾き語りライブの仕事をしていた。
ブッキングイベントの仕事だったので、僕の持ち曲は5曲だけだ。
2番目に出演し、ライブを終えた僕は、他4組の演奏をクアーズをやりながらカウンター席で聴いていた。
2時間後、全てのライブも終わりお開きとなった。
僕は店主に挨拶を済ますとライブBARを後にした。
外はしとしとと雨が降っていた。
右手にギターケース、左手に傘を持って歩く僕。
僕が今夜宿を取ったのは、駅の反対側にある北口のビジネスホテルであった。
ちょっと距離があるので雨宿りがてらに、どこかで一杯飲んでからホテルへ戻る事にした。
ちょうど目の前に、小さな海鮮居酒屋があったので、そこへ入ってみる事にした。
ガラガラ…。
扉を開ける僕。
「いらっしゃい!」
僕が暖簾をくぐると、若い女性の声がした。
店に入ると目の前にはエプロンをした、少し小麦色に焼けた少女がニコッと微笑んで立っていた。
白いTシャツの袖を少し捲り、ホットパンツデニムからスラっと伸びた長い脚。
そして足元はビーチサンダル履きのその少女は、見るからにいかにもロコガールという感じであった。
「お客さん1名?」
彼女が僕の前まで近づいて言った。
「背ぇ高いねぇ…?」
僕は正面の彼女に、少し驚いて言う。
彼女は「ふふ…」と微笑むと、「同じくらいだと思うけど…」と僕に言った。
つまり彼女の身長は、180cmくらいあるという事か…。
「どこでも好きなとこへどうぞ…」
彼女が僕に言う。
店内には僕以外、誰も居なかった。
店の奥の厨房には、寡黙な中年男性が魚をさばいている姿が見えた。
僕は四人掛けのテーブル席に腰を下ろし、脇にギターケースを置いた。
「これギター?」
「そう…」
「ふ~ん…」
ちょっと興味ありそうに、ギターケースを見つめる彼女。
「あの人お父さん?」
小さな店だったので、きっと家族経営なんだろうと思った僕が彼女に聞いた。
「ちがう、ちがう」
彼女は手を左右に振り、笑いながら僕に言った。
「バイトのコです!」
「自立する為に、ここでバイトを始めたそうです」
奥の厨房にいる男性が遠くから僕に言った。
(親子じゃないんだ…)
僕がそう思っていると。
「あたしはメイ!」
「トトロのメイとおんなじメイ。よろしくね!」と、彼女は明るく言った。
“トトロのメイ”とは、ジブリアニメに登場した人物の事だと彼女は言った。
“瞳”に“衣”と書いて、“瞳衣”と、読むのだそうだ。
ちなみに年齢は二十歳らしい。
僕はメイに黒ラベル1本と、アジのたたき、サザエの壺焼き、それと焼き蛤を注文した。
しばらくするとアジのたたきが先に出て来た。
僕はビアタングラスに黒ラベルを注ぐ。
そしてそれを、生姜醤油につけたアジのたたきと一緒にやった。
「くぅ~~~~~…」
新鮮なネタはやっぱ美味い!
「ねぇ?それっておいしいの?」
メイが僕に聞く。
「あたり前だろ、海の近くの魚は…」
僕がそう言いかけると。
「ちがう!ちがう!ビール!」とメイが言った。
「ビール?、ああ…うまいよ」と僕。
「あたしも一緒にいただいちゃおうかな…?」
「ねぇ!店長いいでしょ?お客さんいないし」
メイが厨房の男性に呼び掛ける。
「好きにしな」
遠巻きからそう応える店長。
「もうハタチになったからさぁ…」
メイはそう言うと、自分のビアタングラスを持って来て僕の前に座った。
ここはスナックかよ…?
なんでもありなんだな、この店は(笑)
「うわぁッ…、苦ッ!」
ビールを一口飲んだメイが言う。
「喉で飲まないからだ…」と僕。
「ノドで飲む?」とメイ。
「ビールは喉に直接当てる様にして飲むんだ」
「何それ?ムリ!、だって舌に当たっちゃうじゃない!」
「やってみろ」
言われた通りに試すメイ。
「どうだ?」
「ふぅ~…、なんとなく苦くない様な…?」
メイが笑顔で言った。
それから僕は、最初に頼んだ三品を食べ終えたので、“うるか”と熱燗を追加注文した。
“うるか”は鮎の塩辛だ。
イカの塩辛よりも、しょっぱい味付けになっている。
「ぎゃぁ~!しょっぱいよコレ!」
“うるか”をつまんだ彼女が言う。
「これが日本酒に合うんだよ」
僕は笑顔でメイに言う。
「では…」と、メイは僕が持つお猪口に燗を注ぐ。
「ああ…、あ~、あ~…」と僕。
メイが注いでくれた徳利は、お猪口に注がれずに、だらだらと下にこぼれてしまった。
「日本酒を注ぐときはこうやるんだ…」
メイにお猪口を持たせて燗を注ぐ僕。
「徳利の注ぎ口と、お猪口をぴったりとくっつけて注ぐんだ。そうすれば酒はこぼれない」
僕が酒を注ぎながらそう言うと。
「これじゃ、どっちが飲み屋の店員か分かんないね」と、メイが明るく笑った。
「君さ、さっき自立する為にバイトって言ってたけど…?」
僕は、少しほろ酔い気分になっているメイに、さっき店長が言ってた話を聞いた。
「ああ…、私ね父子家庭なの。小さい頃から母親がいなくて、お父さんとずっと2人暮らしだったの」
メイが話し出す。
「それでね…。今度お父さんが再婚する事になったんだ…」
僕は正面のメイの話を聞いている。
「お父さんが再婚したら、私は新しいお母さんと一緒になんか住みづらいじゃない?、なんか邪魔者みたいで…」
「お父さんも今まで私を成人するまで育ててくれたんだし、今度はお父さんにも自分の人生を送って欲しいと思うの」
メイが僕に淡々と話した。
「だから自立して一人暮らしを始めようと…?」
僕が言うと。
「そう」と、一言だけメイは言った。
「早く結婚しちまえ!」
奥から、笑いながらの店長の声。
「ははは…相手がいないよ店長…。こんなデカい女に」
彼女が苦笑いで言う。
「まぁ、でもね…。意外と私って、良いお嫁さんになれる気がするんだけどね…」
トロンとした目で頬杖をつき、もう片方の手でグラスをブラブラ振りながらメイが独り言の様に言った。
「私ってね、“よく気が付く女だね?”って、言われるんだよ!」
自慢気に彼女が僕に言う。
「“よく気が付く女”じゃダメだ」
「“よく気が回る女”にならないと、男からは愛されないぜ…」
僕がメイに言う。
「なにそれ?、一緒じゃない!?」
「違う」
「“よく気が付く女”というのは、相手のアラを探してるだけなんだ」
「“あなたって、私が見てあげないとホント全然ダメね!”みたいな事をいう女さ」
「でも、それじゃ自分のポイントは上がっても、相手の顔は潰してしまう」
ふんふん…と聞くメイ。
「“よく気が回る女”というのは、男のミスを周りが気が付かないうちに、男のメンツを潰さずに処理できる女って事だ」
「そういう女は男から感謝される…。つまり愛されるというワケさ…」
「なぁ~るほどねぇ~!」
勉強になったわと、メイが言った。
「また来てね!」
店の前でメイが僕に言う。
「ああ…、2~3日はここにいるつもりだ。また来るよ」
僕はそう言うと店を後にした。
外の雨は、すっかり止んでいた。
駅前に向かって歩いていると、目の前のTATSUYAから、あのハリーが出てくるのが見えた。
「あれッ!?、ハリーさんじゃないか?」
僕は彼に言う。
サングラスにオールバックのハリーは、ビクッとして僕を見た。
「いやいやいや…はははははは…、よく会いますねぇ~」
袋を抱えたハリーが僕に言う。
「なんでここに?」
「いや、実はこの近くの雑居ビルの警備員が時期をずらした夏休みなもんで、私が代打で駆り出されたというワケでして…」
へへへ…と、笑いながらハリーは言う。
ハリーはミュージシャンだが、普段は警備の仕事をしているのだ。(※6話参照)
「なんか借りたのかい?」
僕が、レンタルTATSUYAから出て来た彼にそう聞くと。
“宮本武蔵 一乗寺の決斗”という、中村錦之助(萬屋錦之介)が主演で昭和39年に大ヒットした映画のDVDを、ハリーは慌てて僕に出して見せた。
この映画は、僕も子供の頃TVで観た事があった。
京都の名門吉岡道場の兄弟を果し合いで破った武蔵を、吉岡の門弟約100名が決闘を申し込むという話だ。
いくら武蔵が強いといっても、100名といっぺんに戦っては勝ち目がなかった。
そこで武蔵は門弟たちを山の林の中へ誘い込む作戦を取る。
それは木で囲まれた場所では100人の門弟たちも、武蔵と戦う時には常に一対一となるからだ。
こうして武蔵は、吉岡一門をたった一人で打ち負かす事となったという内容の映画だった。
「へぇ~、シブイ邦画借りるんだね?」
僕がそう言うと、ハリーはホッとした様に、ニコッと笑った。
「で…?、他は何を…?」
僕がそう聞くと、ハリーはいきなりバッと後ろへ飛び下がり、「じゃッ!、私明日も早いんでッ!」と、手を挙げてスタスタスタ~と、走って行ってしまった。
「えっちなやつだな…?」
僕はニヤニヤとそう呟き、走り去って行くハリーの背中をただ見つめていた。
翌朝。
僕は海岸通り沿いの遊歩道を散歩していた。
この日は曇りだったが朝から蒸し暑かった。
時刻は9時。
今日は土曜日だ。
サザンビーチには海水浴客がチラホラと集まり出していた。
海の家が既に開いていたので、僕はそこでバニラバーを1本買った。
バニラバーを食べながら遊歩道を歩き始めると、僕の後ろから変な歌声が聞こえて来た。
バ~ニラ、バニラ、バ~ニラ♪
バ~ニラ、バニラ、こぉうッしゅぅッにゅう~ッ!
驚いてパッと振り返ると、目の前に汗だくのハリーが白い歯をむき出して、ニヤニヤしながら立っていた!
ハリーのサングラスは、彼の身体から出る湯気で曇っていた。
「なんだッ!?、なんだッ!?、あんたかよッ!?、びっくりさせないでくれよ!」
僕がハリーにそう言うと。
「実は朝のトレーニングでジョギングしてますッ!」
「ふぅ~…、グレイシー充実~~~~ッ!」
ハリーはそう言うと、肩に下げてる白タオルで顔の汗をぬぐった。
「警備の仕事は?」
僕が聞くと。
「遅刻ですッ!」と言って、ガハハハハ…と笑うハリー。
「じゃッ!」と言うと、ハリーはまた遊歩道を走り出す。
「チョリソォ~ッ!」
“チョレイ”と“チェスト”を合わせた様な、変な叫び声を上げて、彼は去って行った。
僕は、走り去って行くハリーの背中を、ただ黙って見つめていた。
日が暮れた。
僕は晩飯を食べに出かける事にした。
外はまた雨が、しとしとと降り出していた。
僕は傘を差し、メイのいる海鮮居酒屋へ寄ってみる事にした。
「いらっしゃッ…」
扉を開ける僕を見てメイは、“あッ!”という顔をした。
「また来てくれたんだ?」
メイが明るく僕に言う。
「言ったじゃないか、2~3日はここに居るって」
僕はメイに笑顔で言った。
店内は雨のせいか、今日も客は僕しか居なかった。
昨日と同じ席に着く僕。
今日はイカ焼きとアジフライ、それと釜揚げシラスをメイに注文した。
店に入って15分後。
店内には僕しか居なかったので、案の定、メイはまた僕の前に座っていた。
「昨日、ふと思ったのよ…」
目の前に座るメイが僕に言う。
「何が…?」と僕。
「年上も良いんじゃないかってね…」とメイ。
「おいおい…、俺は年上過ぎるぜ!」
ビールを飲みながら笑って言う僕。
「違うわよッ!」
ちょっと顔を赤らめて言うメイ。
「年上の男性ってさぁ…、なんか大人で、包容力ありそうで良いと思わない?」
僕に質問をぶつける様に言うメイ。
「そりゃあ都市伝説だ!」と僕。
「都市伝説?」
「どうも君くらいの年齢の女の子は、年上の男に過剰な期待を寄せ過ぎている傾向があるね」
「大人の男でもバカはバカだ」
「結婚して一緒になってみろ。君が大人だと思ってた男は、途端に君の年齢と同等の事しかやらない男に成り下がる」
「そうなの?」
「そうさ」
続けて僕は言う。
「大体君ら女性たちは自分の事を棚に上げて、都合の良い条件ばかりを男性相手に求め過ぎている」
「なんでも初めから、自分の条件に揃っているものばかりを求めちゃいけないよ」
メイは僕の話を、興味深そうに聞いている。
「俺の持論で言うと、恋愛は齢が近い者同士で一緒になった方が、良いと思うけどな」
「まぁ、君の年齢で言うと、せいぜい5歳くらい上までだな…」
「25の男なんて、ぜんぜんガキじゃん」とメイ。
「未熟だから良いんだ」
僕は続けて話す。
「お互い未熟者同士が、力を合わせて乗り越えて行く事で、2人の絆が強くなっていくんだ」
「自分のメリットで選んだ相手なんて、結婚して一緒になってから、実はそうじゃないんだって分かったら、すぐ離婚しちゃうぜ」
「好きになった男性が、たまたま年上だったら良い。でも、年上だから好きになったというのは、止めといた方が良いと思うね」
僕は目の前のメイにそう言うと、グラスのビールをグイッと飲み干した。
「そうなんだぁ…?」
メイが、僕の話を素直に聞いた様な返事をした。
「君はまだハタチだろ?、結婚なんてまだ考えなくたって良いじゃないか」
「自分の可能性を、いろいろ試してみる良い機会だと思うけどな…」
「私の可能性?」とメイ。
「そうだ。君しか出来ない事が、きっとあるはずだ」と僕。
「私にしか出来ない事かぁ…?」
そう言って、天井を眺めるメイ。
「君は背が高い。それを君はコンプレックスに思ってるみたいだけど、逆に考えたら、それは君にしかない特性だよな?」
僕は目の前のメイに言う。
「たとえば、モデルなんてのは良いんじゃないか?、君はスタイルも良いし…」
僕がそう言うと。
「モデルかぁ…」と、何かを考える様にメイは言った。
翌日。
この日も朝から雨だった。
僕は明日の朝には茅ヶ崎を発つので、この日はランチタイムに、メイのいる海鮮居酒屋へ行く事にした。
「こんちは…」
ガラガラガラ…と、扉を開けて店に入る僕。
「へいッ!らっしゃあいッ」
読んでいた新聞を閉じて、僕に言う店長。
外の天気も雨で、ランチタイムにもまだ早い時間だったからか、店は相変わらず客が誰も居なかった。
「あれ?、今日はあのコは休みなのかい?」
店内に居ないメイの事を、僕は店長に聞いた。
「ああ…、なんか今日は、モデルの面接に行くって言ってましたよ」
「店には夕方から出るって…」
店長が言った。
「モデルの面接…?」
またずいぶん気が早い事だなと、僕は思った。
「求人サイトに、モデルの募集が1件だけ出てたんですって…、しかもこの茅ヶ崎で…」と店長。
「モデルって…、求人サイトで募集なんかするのかね?」
僕は変だなぁと思った。
「バニラサイトっていう、求人サイトで見つけたって言ってましたよ」
関心無さそうに店長が言う。
「バニラサイト~…?」
僕は店長からそう聞くと、何の気なしにスマホでそのサイトを見てみた。
「ッ!!」
僕はそのサイトを見て驚いた!
「店長!、メイが面接受ける会社ってのはッ!?」
僕が慌てて聞く。
「さぁ…?、確か…ジェンキン?、ジェンキンなんとかって…」
よく覚えてない店長が言う。
僕は急いで検索する。
あった!
サイト内で、一件だけモデル募集をしている会社で、“ジェンキン・サン企画”という会社がッ!
ジェンキン・サン企画の他の募集広告も見てみる。
するとその会社の募集は、AV関係のものばかりだったッ!
そればかりか、この“バニラサイト”という求人サイト自体が、女性向けに高収入をうたった、××××なものや、××××のもの専門の求人サイトではないかッ!
「店長ッ!、このサイトは××××や、××××ばかりの募集だよッ!」
僕が声を荒げて店長に言う。
「お客さん…、××××や、××××って、一体何を言ってるのか、あっしにはさっぱり…?」
「ほらッ!」
じれったい僕は、そのサイトを店長に見せた。
「こりゃあッ!、××××の、××××ばっかじゃねぇですかいッ!」
店長も驚いて言う。
「これは釣り広告だッ!」
ピンと来た僕が言う。
「へっ?」と店長。
ピンと来ない店長にイライラして、僕が語気を荒げて言う。
「これはモデルなんかの募集じゃないッ!、モデルと言って騙して募集して、実はAV女優の募集をする悪徳業者だッ!」
「ええッ!」と店長。
ようやく事態が飲み込めた様だった。
「メイが危ないッ!」
僕はそう言うと、ジェンキン・サン企画の住所を確認し、雨の降る中、店を飛び出した。
「お客さん!ランチは!?」
走り去る僕の後ろから、今はどうでも良い事を店長が確認している呼び声が聞こえた。
ジェンキン・サン企画が入っているビルは、茅ヶ崎駅からそんなに離れていなかったので、僕はそこへすぐ着く事が出来た。
ビルの前に立って、外の看板を確認する。
ジェンキン・サン企画があるフロアは、ビル最上階の10階だった。
僕がビルの中へ急いで入ると、受付窓口の警備員に呼び止められた。
「あれッ?、ハリーじゃないかッ!?」
呼び止めた警備員を見て僕は言う。
「ややッ!、こりゃまぁどうもそうも…」と挨拶をするハリー。
「あんたが臨時で入ってる警備って、このビルだったのか!?」
僕がそう聞くと、ハリーは「ええ…」と頷いた。
「さっきこのビルへ、身長がこんくらい高くて、脚が長くてスラッとした20代くらいの女の子が入って来なかったかッ!?」
身振り手振りで、慌てて言う僕。
「はい…、20分くらい前に来ましたねぇ…」
「そのコは騙されて、10階のジェンキン・サン企画に面接に行ったんだッ!」
僕は両手を振って説明する。
「ええッ!、ジェンキン・サン企画にッ!?」
「そうなんだッ!」
「ジェンキン・サン企画と言えば…、かなり過激な作品をリリースしてる、今売り出し中のレーベルですぜ…」
「詳しいな…?」(そういう事は…)
「ええ…、まぁ仕事ガラね…」とハリー。
(カンケーねーだろ!、あんたはケイビ(警備)で、ケイジ(刑事)じゃね~んだからッ…)
「そうそう!、この前ニュースでやってた、ほら、あの素人のコが騙されてAV出演させられたっていう裁判でモメてる会社…、あれジェンキン・サン企画ですぜ」
「間違いないのか!?」
「ええ…」
「でも似たような名前の会社が多いと思うが…」
「わたしが間違うわけがありませんッ!」
(そうとうレンタルしてるな…)
「このビルの警備員のあんたには悪いが、行かせてもらうぜ」と僕。
「待って下さい!、わたしもお供しやす」とハリー。
驚いてハリーに振り返る僕。
そしてハリーは怒りを露わに叫び出す。
「あんないたいけな少女を騙して…、AV撮影をしようなんて…、ゆるせんッ!」
「誰がそんなもんを観るかぁ~ッ!!」(よく言うよ…)
握った拳を胸にハリーが吠えた。
「まぁいいや…、とにかく急ごうッ!」
僕はハリーにそう言うと、エレベーターのボタンを押した。
「はい…、ではこちらの契約書にハンコを…」
ジェンキン・サン企画社長の盛川が、ニタニタしながらメイに言う。
革張りの黒いソファに座るメイが、契約書をじっと見る。
「まぁいいから、いいから…」
目の前に座る盛川が、契約書を読み込もうとするメイを制止して、さっさと判子をもらおうと急かし出した。
(なんか胡散臭いオヤジ…)
メイは盛川の事をそう感じつつ、判子を押さずに契約書を読んだ。
「ああッ!」
契約書にざっと目を通したメイが言う。
「なによコレ~!?、契約内容が、全然ファッションモデルなんかじゃないじゃないッ!」
メイが怒って盛川に言った。
「いいから契約書にハンコ押しなさいってッ!拇印でもいいから…ッ!」
「ちょっとッ!…、ヤダッ!放してよッ!」
盛川はメイの手首を無理やりつかむと、親指へ強引に朱肉を付けて契約書に捺印させた。
ガーッ
最上階の10階に着いたエレベーターのドアが開いた。
「ハリー!ジェンキン・サン企画の場所はッ!?」
僕がそう聞くと。
「正面の、あの一番奥のドアがそうですッ!」と指差すハリー。
僕らは細長い通路の先にある、ジェンキン・サン企画に向かってダッシュした。
「や~ん、もお返してよ~!」
困り顔で、その契約書を奪おうとするメイ。
「ダ~メ!、ダ~メ!、もう契約しちゃったもんね~♪」
浮かれ顔の盛川が、契約書を持った手を高く上げ、メイからそれを奪われない様に、ひょいひょいと逃げ回る。
ドン!
浮かれ顔をした盛川の背中に何かが当たった。
何だぁ…?と振り返る盛川。
そこには、入口のドアを開けたまま、僕とハリーが仁王立ちしていた。
盛川は浮かれ過ぎて、僕らが事務所に入って来た事に気が付かなかったのだ。
「あッ!」
僕が盛川の手から素早く契約書を奪い取ると、やつがそう言った。
そして、その契約書を盛川の前でビリビリに破ると、それを紙吹雪の様に僕はぶちまけた。
「て、ててて…、てめえ!、なにしやがるッ?!」と盛川。
同時に、メイが救われた顔で、僕の名を叫んだ。
「お前、こんな汚いやり方で、いつも商売してやがったのか…?」
僕が盛川に凄んで言う。
「てめえにはカンケーねぇだろぉッ!」
「あッ!…、お前ここの警備員だな?」
僕の隣のハリーを見て、盛川が言った。
「おいッ!警備員!、ちょうど良かった!、そいつを不法侵入者で取り押さえろッ!」
「黙れ!この悪党がぁッ!」
「こんないたいけな少女を騙して、AV撮影をしようなぞッ!、断じて許さんぞッ!」
(レンタルしてた事を棚に上げて)ハリーが盛川に言う。
「ぬぬぬぬぬ…ッ!」
盛川が凄い形相で、こちらを睨む。
盛川がこちらを睨んでいる最中、僕は入口の横にある陶器仕様の傘立ての中に、修学旅行先で買った様な木刀が、1本刺さってるのに気が付いた。
僕はそれを手に取ると、木刀の切先を盛川に向けて言った。
「さぁ、彼女を返して貰おうかッ!」
「きさま~ッ!、こんな絶妙のタイミングで出て来やがって…、大岡越前にでもなったつもりかッ!?」と盛川。
「アホウッ!、それを言うなら桃太郎侍だろが…」
木刀を突きつけながら僕が言う。
「くそ~…、野郎どもッ!、曲者だぁッ!、出合えッ!出合えッ!」
盛川がそう叫ぶと、奥の部屋から木刀を持った社員たちが、続々と出て来た。
敵の数は10人くらいか?
なんだか時代劇みたいな様相になって来た。
盛川は逃げようとするメイの腕を引き寄せて、部下たちの後ろに隠れた。
「ちょっとやっかいな人数ですね…」
ハリーが僕にボソッと言った。
「ハリー…、武蔵だ!、一乗寺の決斗だ!」
「へッ?」
「映画も観たんだろッ!?」(えっちなやつ以外も…)
「何をごちゃごちゃ言ってやがるッ!?」
盛川が叫ぶ。
「外の通路に出るぞ!あの狭い通路なら、戦うときは常に一対一になるッ!」
「なるほど…!」合点がいったハリー。
「やれぇいッ!」
号令をかける盛川。
僕らはドアの外へ飛び出す。
ドアを出て数十メートル先で止まり、ドアから出てくる敵と僕は対峙した。
「俺が、向かって来た敵に一太刀喰らわせたら、そいつをあんたに預ける」
「あんたはダメージが残る相手に、警備仕込みの柔道技で叩き伏せろッ!」
僕がハリーに説明する。
「にしても…あの人数。大丈夫ですかい…?」とハリー。
「安心しろ。木刀を持った俺は、そうやすやすとやられはせんッ!」
木刀を構えながら僕が言う。
おらぁ~ッ!
木刀を持った相手が、僕に襲い掛かって来た!
かわすッ!
小手ッ!
ぎゃッ!
相手は木刀を落とす。
そして脇腹へ胴を喰らわした。
うッ…。
前によろける敵。
「ハリーッ!」
僕はそいつを避けて、ハリーに預ける。
「チョリソォ~ッ!」
後ろで控えるハリーが、そいつに大外刈りを決める!
ズダンッ!!
動けなくなる敵。
くおらぁ~ッ!
次が来た!
僕は相手の木刀を自分の剣で受ける!
そして足で相手を後ろに蹴り下げ、腹へ突きを喰らわす。
うッ…!
「ハリーッ!」と言って、前かがみにフラフラ進んできた敵を後ろのハリーへ受け渡す。
「チョリソォ~ッ!」
ハリーが、今度は払腰で投げ飛ばす。
ズダンッ!
更に次!
僕は敵の肩口を叩く。
ぐぇッ!
「ハリーッ!」
「チョリソォ~ッ!」
ズダンッ!
僕らは次々と敵を制圧する。
バシッ!
痛てぇッ!
「ハリーッ!」
「チョリソォ~ッ!」
ズダンッ!
あっという間に、敵の数は盛川を入れて2人となった。
そして僕らは事務所の入口まで押し返して来た。
「まま…、まて!」
後ずさりしながら盛川が言う。
「どうだ?取引しないか?」
「取引?」と僕。
「そうだ!、このコのDVDの発売後には、それにサインを付けて2人にプレゼントするッ!」と、しょうもない事を言い出す盛川。
「何ィッ!?…、うむむむむ…」
悩むハリー。
「悩むなッ!」
僕は隣のハリーに怒鳴る。
「実は少しだけ撮影した…」
ニヤニヤしながら言う盛川。
「嘘よッ!」
後ろにいるメイがすかさず叫ぶ。
「××××なシーンや、××××なシーンもな…」
へへへ…と、不敵に笑う盛川。
「……ッ!!」
前のめりに喰いつくハリー…。
ガンッ!
その時、盛川が白目をむいて、身体をくの字に曲げて失神した。
バタンッ!
倒れた盛川の後ろには、怒ったメイが肩で息をしながら、両手に灯油缶を持って立っていた。
メイの持ったスチールの灯油缶は、かなりヘコんでいた。
「ドリフのコントみたいな最後だったな…」
僕が気絶してる盛川を見下ろして言った。
「メイッ!、もう大丈夫だ。帰るぞ!」
僕が彼女にそう言うと、メイは僕の方へ半べそになりながら走り寄って来た。
「もう大丈夫だ…」
彼女を受け止めた僕が言う。
シクシクと泣いているメイ。
「お嬢さんッ…、一つだけ聞いても良いですか…?」
泣いているメイにハリーが静かに…、だが力強くゆっくりと聞いた…。
「どんな撮影したんですか?」
「おいッ!」
泣き伏せてたメイがキッと顔を上げ、ハリーに怒った。
静寂の事務所。
僕は、ただ黙ってハリーを見つめるしかなかった。
それから僕らは、メイのバイトしている海鮮居酒屋まで戻って来ていた。
ちょうど店は、夜の営業時間開始までの休憩時間となっていた。
「ちょっと買い出しに行って来る…」
店長がメイにそう言うと、外へ出掛けて行った。
外はまだ雨が降っていた。
「ビール1本貰うぜ」
僕はそう言うと、店の冷蔵庫から黒ラベルを1本取り出した。
メイは先ほどの一件がショックだったのか、いつもの明るさはなく、おとなしく黙っている。
「なんか刺身でも出してくれよ」
僕がメイにそう言うと、彼女は厨房のあるカウンターの中へ入って行った。
冷蔵庫から三崎マグロの切り身を出して準備するメイ。
しばらくすると、「痛ッ…」と言うメイの声がした。
「どうした?」
「包丁で指切った…」
「どれ、見せてみろ…」
僕はそう言うとカウンターの中に入り、メイの傷を診た。
「しょうがないな…。絆創膏…、絆創膏はと…」
僕はそう言って、カウンターの後ろにある壁棚の上を覗き、救急箱を探した。
うッ…、うぅぅ…。
すると僕の後ろから、メイの小さな泣き声が聴こえた。
「おい、そんな泣くような痛みじゃないだろう…?」
メイに振り返って僕が言う。
「違うの…」
うつむいた彼女が小声で言う。
「私って…、ホント全然ダメなんだなぁ…って、何にも出来ないんだなぁ…って思って…」
「ハタチになっても、包丁も満足に扱えない自分が情けなくて…」
メイが目を潤ませて言う。
「そんな事、気にするな…」
「それは今まで君が、単に包丁を使う機会が無かったからだけの話だ…」
僕の言葉を黙って聞いているメイ。
「俺は君みたいなタイプの女の子を、これまでたくさん見て来たよ」
「そんな彼女たちも今じゃ結婚して子供を産み、立派に母親をやっている」
「誰だって、まだ始めていない事は出来やしない…」
「お父さんが再婚する事で、良いキッカケが出来たじゃないか?」
僕がそう言い終えると、メイが僕の肩に両手を置いて顔を伏せて泣いた。
「私ってデカいから…、みんなから強い女に見られてるけど、ホントはそうでもないんだよ…」
少しかがんだ姿勢でメイが言う。
「私だって男の人の胸の中で泣いたりして、慰めてもらいたいときだってあるんだよ…」
「胸でなくて申し訳ない…」と僕。
「いいの…」
そう言うとメイは、くすんと鼻をすすった。
「料理なんてものは、続けていれば必ず上達する」
「但し…、食べてくれる人がどうすれば喜んでくれるのかと、いつも考えて料理しなければ上達しないけどな…」
「それも“気の回るオンナ”という事…?」
顔を上げて、僕を見つめて言うメイ。
「そうだ…、それも“気の回るオンナ”だ…」
僕はそう言うと、彼女の髪を撫でた。
一瞬の沈黙…。
「いいなぁ…」
すると不機嫌そうなハリーの声。
そうだったッ!
僕らはこの店に来た時、警備会社をクビにされたハリーも一緒に連れて来ていた事を、すっかり忘れていた!
店の席から、厨房にいる僕らを不満そうに腕を組んで見つめるハリー。
僕とメイは、慌てて身体を引き離す。
「良い匂いしたでしょ…?」
ハリーが面白くなさそうに、僕へそう聞いた。
翌朝。
ホテルをチェックアウトした僕は、サザンビーチ前のR134号線の路肩に車を停めていた。
この日は久々の晴れ。
海から流れてくる風が心地よかった。
ガードレールに寄りかかっているメイと、その隣にはハリーも立っていた。
彼らは東京へ戻る僕を見送りに来ていた。
「ねぇ…?、今度いつ茅ヶ崎に来るの?」と、メイが僕に聞く。
「わからん…」
僕がそう言うと。
「ねぇ…、私も一緒に連れてってよ…」
メイが言った。
「それはできない…」
「どうして?」
「君はまだ、自分のこれからの人生を、どうするのか決めていない」
「もう、人の人生なんかに付き合うのはやめるんだ…。だからダメだ…」
僕はそう言うと、車に乗り込んでドアを閉めた。
「また会えるの!?」
開いている窓からメイが聞く。
「それもわからん…。俺は一ヶ所にずっといる事が出来ないタチなんでね…」
そういうと僕はエンジンをかけ、車をスタートさせた。
「あッ!」
メイを置いて、車は走り出した。。
僕は窓から右手を出して、後ろで見ているメイへ手を振った。
それが彼女への、最後の別れの挨拶だった。
離れていく僕の車を見つめているメイ。
その彼女へ、後ろにいたハリーが突然言い出した。
「お嬢さん…、やつはとんでもないものを盗んで行きましたなぁ…?」
はぁ…?と、ハリーに振り返るメイ。
「アナタのココロですッ!」
そういうとハリーは、ガハハハハ…と笑い出した。
つられてメイも吹き出した。
「アハハハハ…、何それぇ~?、知ってるわよ!ウケル~!」
「銭形かよ~!」
「しかも、ぜんぜん似てねぇ~し!」
僕はバックミラー越しに、メイとハリーの笑っている姿を確認しながら車を加速した。
R134号は防砂林を抜けて橋を渡る。
左側からカイトサーファーたちの姿が見えた。
波が太陽からの陽射しを受けて、乱反射していた。
fin