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Collections

作者: 甘いぞ甘えび

 あるところに、矢印を収集している人がいた。その人は大層な富豪で、道楽の一環として矢印を集めていた。矢印収集家としては、右や左に出る者がいないほどのマニアで、金に糸目をつけずに集めるために、そのコレクションはそれはもう酷い有様になっていた。

 どうして矢印なんかを集めているのかと訊かれたその富豪は、だって矢印なんだぞと逆に問い返した。どうして君は集めないのか、と。

 とにかくどうして金持ちというものはどこかおかしなものだ。人とは違うことをやりたがる人も多いし、なまじ金を持っているだけにやることなすこと半端ない。やると言い出したらとことん何が何でもやり遂げる。そのくせ自分だけでは出来ないと知ればすぐに人を雇ってそれをやらせる。

 そうしていくうちにどんどんとそのコレクションは膨大に膨れ上がっていって、矢印のために専用倉庫まで用意された。ただ集めて倉庫に入れておくだけではもったいないからと倉庫はギャラリーになって、ギャラリーはミュージアムになった。

 世界初の矢印を集めた博物館はインターネットやメディア上の話題を攫うことは決してなかったが、とりあえず何か記事を書かなきゃいけなかったネタに困ったライターが面白半分に記事にした。その記事は二、三人にリツイートされたが、それで終わった。

 矢印ミュージアムに展示されているものは、矢印収集家のコレクションのほんの一部でしかなかったが、それでも建物内には人が一生で見るだろう矢印の半分の量が展示されていた。大きいものから小さなものまで。真っ直ぐな矢印から、回転している矢印まで。

 入場料は取っていなかったが、一日の入場者数は平均して十人を越えることはまずない。遠足シーズンや芸術シーズンになると団体での予約が入ることがあったが、一年を通して入場者数がゼロという日があることを考えれば、平均入場者数はそれくらいになる。

 その矢印コレクターは矢印を闇雲に集めていたが、別にそれを研究している研究者というわけではなかった。だからその矢印にどういった曰くがついていようが、その示す向きになにやら不思議めいた理由があろうとなかろうと、矢印であれば金に物を言わせ、時には暴力沙汰になりながらも手に入れた。だが矢印ではないものは容赦なく切り捨てた。

 何故矢印にこだわったのかという質問は、出来れば当のご本人に直接お願いしたい。傍から見ているだけでは矢印というものに一体どんな魅力が隠されているのか分かりようもなかったし、矢印が世界を制するとは子供でも信じられるものではない。

 棒にくの字のついたただの記号に一体どんな魅力を感じたのか、その理由は憶測の域を出ない。だが矢印がそこにあるのとないのとでは、状況に大きな変化があるということだけは認めておこう。矢印とはそこに何かがあると指し示すためのものであり、そうした使用をするという点においては右に出る者はいないのだ。それはすなわち、矢印がこの世界において非常に重要で、かつ他に追随を許さない、スケールの大きな存在であると言えなくはない。

 もしこの世の中に矢印が存在しなかったとしたら、どうなっていただろうか?

 まあ一番身近なところで、道に迷う者が続出していただろうことは想像に難くない。建物名はあれど、それがその看板から見て右にあるのか左にあるのか、それとも後方に位置しているのかが分からなくては、その建物に辿り着くことは出来ない。道路に方向を示す矢印がなかったら、車はそれぞれに好き勝手走り回ってしまうのも危険だ。

 更に、もし矢印がなかったとしたら、ベクトルを示すときに非常に困るだろうし、論理演算を行うのに馬鹿みたいに長い方程式を書かなくてはならなくなるかも分からない。コンピュータ上ではマウスカーソルがどこを示しているのか分からなくなってしまうだろうし、キーボードの配列がすっかり変わってしまうだろうことは必死だ。

 こうして並べ挙げてみると、矢印というものもあながち馬鹿には出来ない存在だということが分かる。たかが棒三本で校正されているただの指示記号だ、なんて言ったら祟られてもおかしくはない。お矢印様は低調に扱わなければならない。道に迷いたくなければ。

 だが矢印マニアが矢印を集め始めると、世の中に溢れんばかりに存在している矢印がほんのちょっとだけ減った。減ったといってもただミュージアムに移動させられただけのことだが、本来あるべき場所からは消えてしまった、ということは確かだ。それがなくても困らないものなら良いのだが、富豪の収集家がそんなことを考えて行動するとは決して誰も想像もしなかった。

 おかげで世の中からほんの少しの矢印が消え、致命的なまでに方向音痴な人はそのおかげで目的地に辿り着くことが出来なくなった。それでもそこまでの方向音痴が何百人といるわけでもないし、そういう人は大概にしていつも遅刻をしてくるので何も変わったことはなかった。

 しかしながら矢印コレクターは頑張った方だった。ミュージアムの他に三つも倉庫が必要になるほどの矢印を集め、有名デザイナーにオリジナルの矢印デザインを依頼したり、矢印とは無関係の人に矢印を関係させてみたりとコレクターらしいことは全てやってみた。矢印につぎ込まれた資金は何十億だとさえ語られたがその真偽のほどは分からない。矢印型の家を建ててみたり、矢印をテーマにしたハリウッド映画を作ってみたり。

 しかしそこまでしたにも関わらず、その富豪の矢印コレクターは不意に矢印を集めることをやめてしまった。前触れもなく、と言いたいところだが、実は前触れはあった。その人が収集をやめる数ヶ月前から、その人は周囲の人間にこうもらしていた。

「重要なのは矢印を集めることではなくて、その示す先に何があるか、だ」

 矢印の性質からするとそんな当然のことを今更歴史的大発見のように言われたところで誰も驚きはしなかった。その人以外の人にとっては矢印などただの記号であるからだ。指示記号はその指示される対象があってこそ役に立つ。それだけがただぼつねんとしていたところで、何の意味も持たない。

 それからその人が収集をやめるに至るまでの数ヶ月間、その人の周囲の人たちは口を揃えてその人の言動はどこかおかしかったと言う。矢印にご執心なのには変わりはなかったが、その見ている方向が違った。その人の目はもう矢印を見てはいなかったのだ。矢印の示すその先をじっと何かを考え込むようにして見つめていたのだという。

 しかし、矢印の先を見るのは正しい行為だが、しこたま溜め込んだ何万何十万という数の矢印はてんでバラバラの方向を示しているのに、一体どこを見つめようというのだろうか。人々の疑問をよそに、その人はじっとどこかを見つめていた。

 そしてその人が長年続けていた矢印収集をやめたその日、その人はテーブルに広げた新聞紙に油性のマジックで大きく矢印を書き記し、なにやら重大な秘密に気がついた様子で「そうだったのか」と叫び、その姿をくらませた。

 それ以後、その人の姿を見た者は誰一人として存在していない。矢印を集めていた当の本人が行方不明となってしまったのだから、当然のように矢印はもう集まってくることはなくなった。ミュージアムや倉庫に腐るほど溜め込まれた矢印は公共のオークションに出され、今では車の倉庫と現代美術を展示する美術館になってしまった。その中にあった矢印が一体どうなったのかは分からない。

 ある日突然その姿を消してしまったその人は、もしかしたら集めていた矢印のその先に旅立ったのかも知れないし、そうではないのかも分からない。

〈了〉

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