内川の誓い
「…塵労の穢土に、開かずの陵に、鮮血の驟雨が降り注ぐ…幾億の衆生が殺められ、それと入れ替わるかの如く、数多の悪鬼羅刹が怨霊怪異する…かの日の私が、そうであったように…でも、此度こそは…!」
この決戦には、世界各地から義勇軍が参陣している。東京大森からも、美保関天満や黒沢俄勝を中心とするアプリコーゼン中隊が、北方戦線へと急発進している。
「YFブラックウィドー、離陸準備完了。俄勝、出撃致します!」
この部隊を率いる女人・黒沢俄勝は、かつて忌まわしき祟りゆえに、永く棺に封じられていたが、地球に衝突した小惑星・隕石のエネルギーを浴びて蘇った、恐るべき妖魔である…のだが、色々な事情があって、今では人類文明を守護する側の味方になっている。この戦争は、表向きには国家の政治的対立だが、実際には、敵味方の双方に異類異形の者達が関与する、もう一つの「総力戦」であった。
「義勇軍の皆様、私達も野州を突破する事ができましたので、これより最前線の援護に参ります。宇都宮の三浦フレデリック様は、第一陣の会津軍と御一緒に、津軽海峡を制圧し、蝦夷島に上陸なさって下さい。安房総の黒井勇人様は、利根川を渡河して常陸へと北上し、第二陣の星川軍と合流なさって下さい。それから…東京の顯様は、十三宮教会による住民退避を指揮なさると同時に、第三陣の東海軍を誘導なさって下さい…過酷でしょうけど、死ぬまで持ち堪えて下さいね、あっくん♥」
「…さ~て次は、西国の皆様も出番ですよ。畿内・山陽の方々は、第四陣の軍役をお願い申し上げます。和泉の間宮主計様、安芸備後の益田権納言様を司令官とし、亡命パレスチナ傭兵を指揮なさっておられる、松浦アイユーブ安子様にも御参加頂きます…お三方、此度は同士討ちなど犯さず、仲良くやって下さいね。そして最後に、九州の軍勢が第五陣です。火州の夢宮魅咲様は芸備に、十三宮咲都季様は美濃飛騨の増援軍へと参陣なさって下さい。夢宮乖離様と米村桜華様は、瀬戸内海の航路を支援なさって下さい。それでは皆様、最善を尽くし、必ず生き残って下さいね…」
政府軍と義勇軍、各地に潜伏するコミューン軍が、蝦夷島だけでなく、日本全国で次々と戦端を開きつつあり、その戦火は、上空の人工衛星からも、そして黒沢俄勝の眼目にも、焼き付くほど良く見えた。彼女自身もまた、あるいは「世界最終戦争」と呼ばれるかも知れない戦いに、その身を投じようとしていた…。
「かつて私が望んだ事、それは神人への復讐、世界の破滅…あれから数百年前の歳月を経た今、私に希望があるとすれば、それは…世の平安。もう二度と、あの日の罪業を繰り返さないために。そして、一番の望みは…この私を受け容れて下さった、あなた様への祝福…だから、後もう少しの間だけ、待っていて下さい…必ず、あなた様の御前に帰るから…!」
津軽海峡の決戦では、第一陣の会津軍が蝦夷島に上陸し、これに第二陣の星川軍が続き、更に第三陣として、事実上の「十三宮軍」である津島三河も合流しつつあるはずだ。一方、私と姉さんは、やたら頼りになる須崎司祭に導かれ、見覚えのある場所に辿り着いた。ここは確か、あの邪馬台国事件の日に、姉さん達と出逢った場所である。あの頃が良い時代だったとは思わないが、皆が生きていた。後に権力の闇に呑み込まれた勇姉さんも、まだ学生だった。そして、私の隣には、今は亡き仁さんも…。
え…?
仁さん…いや、そんなはずは無い! 彼女は行方不明になった後、確かに「死亡」と発表された。死んだ仁さんに逢えるという事は、私達も死んだのか? 対小惑星隕石砲が着弾して、その炸裂で私は…。
「心配掛けちゃって、ごめんね…でも、約束は忘れないよ。私達はずっと一緒だもん! あなたの隣には、いつも私が…」
仁さん、ありがとう…! 言葉を言い終わる頃には、互いを強く抱き締め合っていた。この上は、皆で生き残る以外に道は無い!
一行に帰参した仁さんの問いに、須崎司祭が先に答えた。
「あれの中身が放射線であれ神経ガスであれ、こういう情況では、年少の方を優先的に保護するのが原則です。加えて、例え迎撃に成功しても、高々度での核爆発に伴う電磁パルスが発生し、社会資本の破壊と、甚大な混乱が予想されます。何らかのシェルターが必要ですね」
「また、顯ちゃんに編んで貰った資料を、確実に保存せねばなりません。そこで、前にもお話し致しましたが、お二人は一時的に、宝石の中に退避して頂こうと思います。その際、お持ちの『無題文書』も御一緒に!」
「つまり宝石の中にある世界を『防空壕』にするの? でも、そんな力を使いこなせる人は…」
「はい…亜紀ちゃんも明野様も『星』に成り、もう現世にはおられません…ですがあの後、お姉ちゃんも優和様から智慧を授かり修行を積み、ある程度は使えるように成りました。私と優和様が互いの力を共鳴させれば、扉を開く辺りまでは可能かと。やって見ないと分からない部分も残りますが…」
彼女らが話しているのは、地球のマグマなどから永い歳月で形成された鉱物が、その歴史を記憶する事で、内部に独自の「世界」を構築するという超自然観に基づく魔術である。パワーストーンの中でも、先天的な素質に左右される傾向が強く、須崎司祭はかなり前から防御手段として習得していたが、聖姉さんの能力は平均程度と言われる。過去、この魔術を極めようとした者が何人か居たが、多くは道半ばで破滅したり、不可思議な最期を迎えたりしている。
この機に及んで魔術頼みという発想が適切なのかは疑問が残るが、それが最善の方法だと皆が信ずるならば、今更批判するのも不毛であろう。
そう言われ、寿能城代の資料集を姉さんに手渡した。
「かの小惑星は『禍津日神』、またの名を『石の魔女』などと謡われました。そして、その魔女を討たんとして造られたバベルの塔が今、対小惑星隕石砲とか言う名前で、私達人間に裁きを下さんとしています。恐らく、人の世から罪や穢れは無くならないでしょう…ですが、過去を現在から未来へと継承する中で、それらを悔い改め、禊ぎ祓う事はできます! この無題文書が、贖いの水と成り得る時を願って、私が題名を名付けようと思います。皆様…石の魔女が始めた神話に、終止符を打つ覚悟は宜しいですか?」
仁さんと須崎司祭、そして私が頷く。
「かつて円卓の騎士は、物語の作者である同時に、登場人物でもあり、また聴衆とも成ったそうです。その意味で、これは地球世界と極東の神国を舞台とした、現代における騎士道物語なのかも知れません。それゆえ、本書の名前は…」
そして姉さんは、表紙の空欄に筆を乗せた。
「イッヒ ロマン」は「私小説」「一人称小説」のゲルマン語で、姉さんは本書に「私達の物語」という意味を込めた。あとは、これを持って…。
「対小惑星隕石砲が東京方面に接近! 地上に残っている区民は、大森大隊の誘導に従い、一刻も早く退避して下さい!」
「聖様、急ぎましょう! 今の私達には、単独でのフィールド展開に限界がありますので、少し強引な方法ですが、複数のパワーストーンを共振させ、ピラミッドを築きます。私は左に、海底のアクアマリンを配置します。全ての慟哭を、この藍玉に込めて…!」
「あ、そうやるんですか…それでは、私は司教の紫水晶を右に捧げて…何か強そうな事を申せば良いのですか? あ…浅き夢見じ、アメジスト!」
私とその隣の仁さんが困惑するが、すぐに分かった。
「私と聖様が点を二つ置いても、線にしか成りません。面を開くには、もう一つの点で3角形を創らなくては…」
当然の真理に今更気付き、落胆する一同。打開するには、能力者があと一人必要なのだが、思い当たる人物は、もうこの世に…。
「伝令! 津軽海峡にて星川軍苦戦中、玉砕の恐れあり! 東海鎮台は津島三河の進軍速度を上げると共に、可及的速やかに増派願いたいとの事! 以上の件、大森から転送致します!」
寿能城代はいつの間にか平和島司令官を気取っているが、指揮命令系統が崩壊するほど苦戦しているのか? しかし、あの星川軍が全滅寸前とは…ん? 星川?
姉さんはそう言うと共に、お気に入りのタロットカードを取り出した。『クリスタルタロット』と書かれているが、トランプ占いをしている場合だろうか? そんな疑問をよそに、姉さんは手馴れたカードをシャッフルし、三つの束にカットする。
「十三番『死』の逆位置、さすが仁ですね! では、あなたが二枚目を!」
そう言われ、私もカードを一枚引く。それを裏返し、描かれていたのは…。
「素晴らしいです! 十七番『星』、これならできます! 二人とも、そのカードを十字に重ねて下さい!」
良く分からないが、望ましい結果らしい。「星」はともかく、「死」って良いカードなのか? 取り敢えず指示通り、私と仁さん、互いのカードを重ねる。すると姉さんは、先程の紫水晶とは別に、もう一つの鉱物…どこか見覚えのある薔薇水晶を取り出した。そして…。
「南無や…至りし者の御霊よ、天の叡智のもとに蘇り給え! せいやーっ!」
十字展開したカードに薔薇水晶が触れた刹那、火花放電の如く生じた光が輝き、間も無く柱を描いた。やがて光の中から、人影らしき形が…。
「…ん? あら、ここは…?」
聞き覚えのある声…いや、まさか…?
私と仁さんが、一斉に目を丸くした。現れたのは星河亜紀、またの名を「青薔薇」と俗称された。今は亡き星川家総帥の、分家の姪に当たる。また、先ほど姉さんと須崎司祭が実行しようとして失敗した魔術の真理を、誰よりも知り尽くした者(の一人)である。そして…数年前の不幸な戦争に際し、敵の大軍に包囲された母校、渋谷七宝院学園に籠城し、将軍を戦死させるなど敵方に一矢を報いた後、自身も星夜へと消えた、紛う事なき故人である。
「えーっと…私は確か、朱鷺と愛美と夢有を先に逃がして、私と椿と湊は渋谷に残って、結のもとへと向かう政府軍を足留めするために、最期の手段を…」
「亜紀ちゃん! 永眠中の所を強引に召喚してしまい、申し訳御座いません…ですが、お力を貸して頂きたい事が…」
「…ああ、結の家出先の…あの怪しい教会の皆さん? 聖さんに、『グラなんとか』さん。あなたは…『ひとみ』よね?」
仁さんが、庖丁を突き立てた…。
誠に遺憾である。
「入信の勧誘ですか? 私、神話には多少関心もありますが、形骸化した在来の教会には…」
「信じて下さらなくても構いませんので、取り敢えずお聴き下さい。まず、あなた様はもうお亡くなりになっています。次に、かつてあなた方が『メモリア』などと呼んだ魔術は、まずカール様があなた様に討たれ、次いで明野様も蒸発し、最期にはあなた様自身がああなった結果、今や禁忌と化し、生き残っているのは、この唯一神グラティアただ一人と…」
弁論術に定評のある須崎司祭が(論理を飛躍させながら)懸命に説得を試みている。青薔薇は、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの態度で聴いているが、少なくとも私達を「味方」だと認識してくれたようだ。
「…つまり、たった1回のメモリア展開のために、私を叩き起こして、ここまで引き摺り出してくれたわけ? そもそも、3人なんて必要ないわ。私一人で充分よ…でもまあ、試して見ましょうか? 聖さんと須崎さんが底辺を支えてくれれば、一人よりは長持ちするかも知れないし」
「…来た! 迎撃開始の電報を受信! 間もなく、伊豆反射砲がレーザーを発射する! 閃光に注意して下さい! 繰り返す…」
「さあ、急ぎましょう! 優和様・亜紀ちゃん、皆の力を一つに!」
須崎司祭が、左下にアクアマリンを。
姉さんは、右下にアメジストを。あとは、青薔薇が頂点に第三の宝石を…。
この情況でも遊ぶのは彼女らしいが、しかし、薔薇水晶の頂点を遂に得た三角形は、点から線へ、線から面へと次元を昇華させた。やがてその面は現世から遊離し始め、局所的な擬似ブラックホールの如き様相を呈した。
「…開けましたね! 優和様、それに亜紀ちゃん! ありがとう御座います! そして、亜紀ちゃんを呼べたのは、あなた方のお蔭ですよ^^」
しかし姉さん、タロットカードから一体どういう因果で、星河亜紀の幽霊を呼び出したの?
「簡単な事ですよ。『死』の逆位置…つまり死とは逆の事象を、『星』に対して奏上申し上げた次第です。なお、『死』のカードには『扉を開く』という意味が御座います。また、星座や惑星などの『星』は、その子弟である守護石と密接に関わると、太古より信じられて参りました。私達が認識する宇宙の中で、これらに引き寄せられるお方と言えば…」
「私と、七星くらいしか居ないわね…まんまと釣られたわ。さあ二人とも、時間切れになる前に、さっさと入りなさい。私も早く還りたいんだから…」
「水底にて天主の恩寵を賜り、早数十年…この上は私、須崎グラティア優和、しぶとく見届けさせて頂きましょう! 全てが終焉した後、聖杯を手にする騎士はどなたなのかをね…」
上空には対小惑星隕石砲と、それに対する迎撃ミサイル、ついでに緊急発進した戦闘機、更にはレーザー光線までもが飛び交っているらしいが、もはや自分の眼中には入らない。宝石の中に構築されたもう一つの世界において、私自身と、ついでにこの『プラネット ブルー』とか言う偉そうな資料を保護しなければならない。それが短期的な「避難」で済むか、長期的な「封印」と化すのかは分からないし、鉱物の「内部」も未知数だ。ただ、地球の歴史を身に刻んだ宝石の中に、「私達の物語」と銘打ったばかりの文書を持参するのだから、それは必然的に、この世界における一切の存在、その記憶の欠片を辿る旅になるであろう。その中には、自分自身の姿もあるかも知れない。
さあ、突入だ…と前に進み始めた時、片腕を抑えられた。振り向いた、後ろの正面には…。
「一人で抜け駆けしちゃ、駄目だよ? 初めて出逢った時も、あの年の夏にも、約束したでしょ? 私の隣には、あなたが、あなたの隣には、私が居る…私達は、ずっと一緒だって!」
仁さん…あなたの瞳には、今日という時も見えていたの?
「どうなんだろう? その答えはきっと、この先にある旅で、分かるんじゃないかな? さあ、一緒に行こうよ! そうだ、昔みたいに腕を組んでもいーい? だって…大好きだから^^」
私は深く頷き、二人で共に歩み始めた。開かれた「門」へと近付くに連れて、視界が光で満たされて行く。支えて来てくれた皆と共に、友との約束を、信じた未来を、忘れ去られつつある全ての大切な記憶を、守り続ける。私の前には、いつも聖姉さんが居てくれた。彼女の胸には、勇姉さんの想いも。そして、私の隣には…。





