東京市大森区 平和島
「こちら、空中警戒管制機クリスタロス。当該作戦区域内における、トムキャット・ホーネット・ライトニング及び艦載各機の出撃を確認。指揮下の全機に告ぐ、状況を報告せよ」
あれから十年近い歳月が過ぎた。その間、数多の戦乱が勃発し、様々な勢力が台頭し、そして衰亡した。群雄割拠の日本列島が、再び平和を取り戻すのも、恐らくは時間の問題だろう。残る最後の敵は、蝦夷島(北海道)を占領するロシア軍と、彼らに支援された革命政権「箱館コミューン」である。極東ロシア軍は、日露交流のための鉄道敷設という名目で、津軽海峡の青森・箱館間に世界最長級の海底トンネルを建設し、冷戦後も本州侵略の機会を窺っていたのである。更に、国際法・軍縮条約で新築が禁止された、あの対小惑星隕石砲の開発にまで手を染めていた。
「航サザンクロス落合より全機、戦場ヶ原を突破する! 最悪の区域だが、これが最速の近道だ。来たか…前方に敵機影を確認、可変翼を戦闘形態に移行! あれは…ラインハート?」
対小惑星隕石砲の着弾を阻止するべく、日本各地に地対空ミサイルなどの迎撃システムが緊急配備されている。その中には、二十年近くに及ぶ試行錯誤と、堀越碧の執念によって、遂にレーザー兵器としての実用化を達成した、あの伊豆反射砲も含まれている。南東の羽田飛行場などからは、戦闘機・攻撃機の類が次々と離陸し、蝦夷島での最終決戦に出撃している。勇姉さんは数年前、政府・軍部の実力者に出世した後、政変と内乱の末に帰天した。彼女の平和への遺志を受け継いだ聖姉さんは、今となっては大勢の信徒を抱える教会指導者の一人であり、傷病者の救護や、捕虜への教誨などに奔走している。そして…私の隣にいつも居てくれた仁さんは、もう…。
「これが『第三次大戦』、あるいは『世界最終戦争』などと呼ばれる事になるのでしょうか? しかし、よりによって立花様とアガタ様が敵方に与するとは…未だに信じがたいです」
橘ラインハルト立花、そして中浦アガタ。箱館コミューンの日本側共謀者とされる彼らだが、かつては十三宮教会と協力した事もある知己である。ましてや橘立花は、私の先輩にして親友の一人でもあった。そんな彼らが名を連ねる箱館コミューンは、私達が所属する「旧世界」に対し、次のように宣戦布告して来た。曰く、諸人民は選択すべき運命を誤ったのであり、その大罪を贖うには、小手先の改革など有害無益であり、日本も世界も、破壊し尽くされた廃墟から創造し直すほかない(のかも知れない)のだと。信じる心を以て、平和の礎石を成さんとする聖姉さんの祈りは、またも裏切られた。人は、過ちを繰り返す…。
「橘立花と中浦アガタは、恐らく誰よりも人間を信じ、世界を慈しみ、万物を愛していた。そうあるべきと生きて来た。だが同時に、愛するに値する理想から遠ざかり、同じ過ちを繰り返す現実への憎しみも、劣らず強かった。希望と絶望、創造と破壊…二つの心が葛藤し、結局は後者のほうが勝ってしまったのだろう」
姉さんの嘆きに、画面を眺めながら反応する富田巌千代、称号は「寿能城代」、生前戒名は「十三宮顯」。地理学専攻で、十三宮家に帰依して「創氏改名」し、教会の史誌編纂係らしき仕事を担当している。余談だが、これまで挙げた「聖」「勇」「仁」「碧」「顯」のように、十三宮家とその信徒は、雅な漢字一文字の名前を好み、それを宗教上の法号(戒名・洗礼名)に用いるなど、教会なのに東アジア的な慣習を伝えている。とは言え例外も少なからず、その一人である須崎グラティア優和が、続いて発言した。
「何度苦悩しようとも、結末は同じです。初めからそれが、中浦の本質だったのです。あの者は元より怒れていました…片割れの八洲様も、最後の堤防と成り得た宇都宮宗房さえも亡き今、もはや氾濫する事しかできない血液です。司教様…いえ、十三宮聖様! 私に案が御座います。もう二度と、あのような受難を謡わせぬために…!」
大概の事では動揺しない須崎司祭が、珍しく震えている。その理由と、彼女が挙げた者達に関しては、話せば長くなるが、いずれ語るべき機会が訪れるであろう。いずれにせよ姉さんは、須崎司祭の思惑を裁可したくない。
「錯乱の芽を摘むために、中浦の家を滅ぼせと? そして血を絶やせと? 優和様はそうお考えですか! はあ…優和様は隣人を懐疑し過ぎですよ、昔から」
「聖様は、ヒトという動物を信用し過ぎです。もうお若くもないのに…」
「…お二方、禅問答などしている場合ではあるまい? 其の方の青年が、呆れた眼で見ている」
言葉遣いが回りくどいのは、寿能城代も他人の事など言えない気がする。
「アガタ様には生きて頂きます。元来、現し世に生きる価値の無い衆生など、殺めて良い生命など、一つも無いのです。それは、天主がお決めになられる事です。私は、私は…人間を信じたいのです。いえ、信じなければならないのです!」
「子孫は先祖の宿命から逃れられない」という世界観は、歴史を物語として解釈する際に一定の説得力を持ち得るが、適用を誤れば優生・差別思想に転ずるため、民衆に天賦人権を説法する立場として、安易に肯定する事はできない。しかし、そう考える姉さん自身が、シャーマンであった母に受胎して生まれ、十三宮の神聖な血統を受け継いだ事を根拠として、現在の地位にあり、オカルティストから「能力者」などと分類される人種なのである。その意味で、十三宮聖という人間は、平等主義と優生思想の両極を振幅する側面を持つが、変わらぬ底面を(彼女の好きな)一文字で表すならば、それはきっと「義」なのだろう。
「ええ…少なくとも、結ちゃんは星川の、精士郎様は八洲の業に終止符を打って下さいました。その代償も少なからず、でしたが…きっとアガタ様も、中浦の…今は祈りましょう」
人は、自らの意志で変われる、運命をも乗り越えられる…姉さんは、その可能性に未来を懸ける覚悟を決めたようだ。
「まあ、百年後の事は、百年後の者達に判断して頂ければ。それより須崎司祭、戦況のほうは?」
「あ、はい。それに関してですが、敵方の計画には、連合軍を蝦夷島に集結させた後、核爆発で一網打尽にする焦土戦術が含まれていると、大本営参謀局は解析しております。その手に乗らぬため、敢えて戦力を数段に分散し、第一波の会津軍は既に交戦中、第二波の星川軍がこれに続き、兵站は出羽旅団と清水様が担っています。また、津軽十三湖には、私達の同胞も参陣している模様です」
西宮堯彦(皇帝)・吉野 菫(首相)・星川 結(執権)らを首班とする日本連合政府は、「恐怖には恐怖を、核兵器には核兵器を」という大国の安全保障理論を批判し、此度の作戦を極力、通常兵器で決着させたいと考えている。もっとも、それは我が国の立場に過ぎず、米英などの国連軍は、戦況次第であらゆる選択肢を検討するだろうし、ましてロシア軍には、大量破壊兵器使用への躊躇など皆無に近い。
「サザンクロス中隊及び旧日共軍が出撃致しましたが、日光戦場ヶ原の上空にて、ラインハルトの奇襲を受け、足留めを喰らっているとか…橘君は、箱館に居るはずなのですが…」
「立花様は異形の存在、それくらいはするでしょう。しかも戦場ヶ原は、霊峰神話の舞台です。立花様ならば、時間稼ぎのためにも、結界の一つや二つなど簡単に展開しますよ…」
我が友ながら、橘立花は本当に面倒な奴だ。外見は人間だが、その実は不死身に近い生命体であり、仮に逮捕できたとしても、人並みの刑務所になど収容できまい。異世界?にならば封印できるかも知れないが、確証は無い。あいつを更生してやれる「理不尽な教育者」が居れば、それが最善なのだが…。
「先陣が各個撃破されない時間差範囲で、後陣を合流させる必要が御座いますが、空軍の苦戦により、東海から第三波の編成を早めます。堀越駿河は引き続き伊豆SDIの配属ですので、つきましては津島三河に急北上して頂きます。また、大坂の近衛家、神戸の宇喜多様ら畿内軍残党は態度が不明瞭でしたが、山路香奈様によれば先刻応召し、彼らと九州鎮台が第四波以降を形成します。西海の潮流も、随分と変わったようですね…もう、あの日の瀬戸内海には…」
山路香奈は、神戸における須崎配下の修道女だが、詳細な経歴は不明である。少なくとも、家族を皆殺しにされてテロリストに走り、結果として瀬戸内を泥沼戦争に沈めた事件の張本人…などと云う話では(きっと)ないはずだ。それはともかく、須崎司祭の悲哀に関しては、一方の責任者だった姉さんも理解している。あの海を巡って見て来た、数多の無惨な死も…。
「ええ、決して忘れてはなりません…ですが、今は前に進まなくては…あの忌まわしき対小惑星隕石砲とやらを、一刻も早く!」
「聖様は御存知ですか? 対小惑星隕石砲に秘められた、もう一つの目的を…」
「地球文明を守護するというのは表向き。本当は最初から、大陸間の戦争を想定した軍事兵器だった、などと伺っておりますが…」
「実は、その先が御座います。軌道上に残る小惑星の破片を砲撃すれば、隕石を人為的に落下させる事ができます。1位だか2位だか知りませんが、スーパーコンピューターとやらで世界最速の演算を行えば、落下地点の指定など容易です。そして…レールガンの射程を延長すれば、理論上は月や火星なども狙えます。もし将来、地球の支配者に従わぬ方々が、それらの天体に脱出した場合、これを使って…」
須崎司祭の話を聴くに従って、姉さんの表情が暗転する。しかも、今までの落胆とは明らかに様子が異なる。
姉さんの脳裏に、絶望的なビジョンが突如浮かんだ。全世界へと触手を伸ばす、恐怖による支配。憎悪の連鎖、次々と滅亡する国家。決して開けてはならない、異界への扉。復活の邪神、「神の右手と、悪魔の左手」を持つ少女。そして…再び地球に迫り来る、巨大な小惑星の陰影。しかも、この幻覚を覚えたのは、実は今が初めてではない。
思い起こすは能登彼岸、称号は「百花繚乱」など。数年前、当時の橘立花や勇姉さんと共に特務機関に居た人物で、聖姉さんとも親しかった。生け花を愛で、華道を極めた芸術家であり、聖姉さんに心を読まれる隙を一切与えぬほど、常に静寂で波立たない精神の持ち主であった。姉さんとは、現代社会の重大課題である「能力者と一般市民の共存」に関して議論する事が多く、親交のあった数年間、十三宮聖は能登百花から多大な智慧を学んだ。「言ノ葉学園」という未詳地域の調査に向かって帰還せず、後に死亡情報が伝えられたが、今なお姉さんにとって、強く尊敬する先達の一人である。
ただ…一つだけ、気になる事があった。能登百花と関わるようになってから、聖姉さんは時折、世界が破滅するかの如き幻影に襲われたのである。もしそれが能登自身の意志であるならば、それは彼女の心中にこそ見出せるはずだが、そのようには感じられなかった。しかし、能登百花の失踪とほぼ同時に、あのビジョンも見えなくなった点には、何らかの因果を疑った。それが今、再び見えるという事は…。
「能登守様には、無意識でも、天地の行く末を暗示する何かがあったのかも知れません。惜しい方を失った者ですね…いずれにせよ、そのような恐るべき兵器は、技術自体を葬る必要があります! 後代の方々が、誤って悪用しないために」
「技術を封印、ですか…そのような事ができれば、誰も苦労しないのですが…」
「前から気になっておりましたが、優和様はどうして、そこまで軍学にお詳しいのですか? 対小惑星隕石砲など、機密も多いかと思いますが…」
今更ながら須崎司祭は、教会内でも武断派の津島三河や、是々非々の堀越駿河とは異なり、元来は聖姉さんよりも反戦的で、軍事研究を忌避して来たはずの平和主義者であった。
「力が支配する世界の構造を変えるためには、例え嫌いでもその『力』について知識を得る必要が御座います。それに…私はかつて、亡き父と共に『イザナミ計画』を…」
須崎司祭がまた虚しそうな表情を見せたのも束の間、警報が鳴り響いた。寿能城代が、大急ぎで事態を確認する。
「破壊措置命令だ! 先刻、対小惑星隕石砲の発射を確認したとの事! 大森区も迎撃態勢を取れとお達しか。区民の避難は完了しつつあるから、残るは…皆、訓練通りに頼みます!」
恐れていた事態が、遂に訪れた。だが、既に最低限の備えは整えてある。迎撃ミサイルは全国に展開中、地域住民も避難中、最後まで残っているのは私達だけだ! が、この期に及んで寿能城代が、慌ただしく何かを用意している。
「そうだ、最期に渡すべき物が…クラウドには転送したし、メディアへの保存も多分大丈夫。紙媒体は、これで良いか…青年、これを受け取って!」
そう言って、何か文書らしき物を差し出した。
「これはまあ、アーカイブみたいな物だ。あの小惑星から、今回の戦争に至るまで、国内の出来事を中心に、十三宮教会が所蔵する資料を集めてある。元来は、禍津日原の大牧教諭が日記代わりに書き残していたが、その彼女も亡くなり、今は私達が編纂していた。あまり自信はないが、もしかしたら将来、かつて日本や世界に何があったのかを伝える、貴重な文献の一つになる可能性もゼロではない。もし、あなた方が生き残ったら、その後も続くであろう歴史を、この最後の頁に次ぐ物語を、あなた方の手で書き加え、本書を完成させて頂きたい。そして、この記録を未来まで守り抜いて欲しい」
そういう重要な頼み事は、対小惑星隕石砲が飛んで来る前に言えよと思っている間に、姉さんが返事をした。
「…分かりました。でも顯ちゃん、まだ何か言い遺した事がありそうですね?」
「宇宙の歴史は確か137億年、地球は46億年。それらに比べれば、人類の数百万年、文明の六千年、ましてや私達が生きた現代など、地層の薄い表面でしかない。されど、この薄い一頁に、数多の生命と、彼らの想いが込められている。その積み重ねが、新しい歴史を築く…そして、この物語には主役も脇役も居ない。誰もが主人公になり得る。無論、その候補にはあなた方も含まれている。そもそも宇宙空間では、全ての観測者が世界の中心なのだから。ただ、重大な不足が一つあって…まだ、タイトルが決まっていない。あなた方に委ねたい。本書に、良い題名を付けて下さい! 幸運を祈る」
そして私達は、脱出を開始した。