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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

臆病者と、勇敢な戦士たち

作者: 大間九郎

 ビールが飲みたいな。


 ビール、さっきおきたばかりだが、今はもう午後三時半なので、今からシャワって家を出ればどこかしらの店は開いているはず。だからビールを飲みたいと思う。


 小説家なんて仕事は曖昧なもんで、ほかの仕事をしながら小説家をしていると書く時間が取れず、すごくいそがしいように感じるが、小説家だけを生業とするとひどく時間がルーズで、ようはヒマだ。


 書く仕事というのは、書くことが仕事なわけで、書いていなければそりゃ仕事をしていないように思われるかもしれないが、書く内容を頭の中で整理し、または解きほぐし、収束させ、拡散させ、立案し、却下し、そんなことをずっとしているようなもので、そりゃ書いていなければ、仕事をしていないように見えるかもしれないが、ある意味二十四時間脳は物語を考え、働いているわけで、そりゃ仕事をしていないように思われるかもしれないが、そうではない。

 と、思いたい。


 そんなわけで俺は書かない小説家だ。日々昼におき、まずはビールを飲み、仕事の締め切りをカレンダーでチェックし、まだ締め切りまで日があることを確認すると、寝る。

 締め切りが迫っている日でも寝る。

 締め切り日でも寝る。

 締め切りを過ぎ、催促のメールぐらいなら無視して寝る。

 本当にとんでもなくヤバくなり出版社から電話がきて、初めてノートパソコンを開き、小説を書く。

 それが俺の生活であり、口に糊する労働ってわけだ。

 ようはヒマな仕事だ。


 ヒマな仕事をしていると、ヒマなりに、たいして働いてもいないのに、将来への漠然とした不安や、働いてもいないのに、世間や業界に対する自分への評価の低さへの不満が、心の奥からマグマのように溢れ出て、憤怒や、渇望を湯水のごとく産んだりしたりで大変なので、そんな時は酒を飲むようにしている。


 家で飲んでもいいのだが、家でも飲んでいるが、家で飲んでいると机の上に置いてあるノートパソコンがまるで、まるで仕事をしていない俺を憐れんで見ているかのような、実家の母親が、デキの悪い息子を悲しんで見ているかのような、そんな視線を感じ、心が締めつけられるので、外で飲むことが多い。

 外で飲むには金がかかる。だからできるだけ安い店で、立ち飲みなんかは昼間っからやっているし安いのでベスト、だが立って飲むため疲れやすく長居が難しい、体力的に。

 一番いいのは安いチェーン店の居酒屋が、五時前の客を掴むためにやっているサービスタイムなどだ、ベスト・オブ・ベスト。

 なので今日も独り、午後四時、ワタミ、生ビール一杯百九十円のサービスタイムを狙い家を出る。



◇◇◇◇


 安いビールは絶対発泡酒だろ? なんだこのつまみ、豆腐にゴマドレかけただけで三百円とか殺すぞマジで、イカの刺身の皮は剥げよ、とか考えながら煙草に火をつけ、スマホでツイッターをウォッチ。

 自分のタイムラインをチェックとかしない、それよりもエゴサーチ、別段世の中は俺のことなんて気にもしないから何も引っかからず舌打ちを一つ。

 自分をエゴサーチして面白くもなんともないので、他人をエゴサーチ、友達の作家とか、先輩作家とか、でもそれも大して面白くないことが多い。売れてるやつとか、死ねばいいのに。

 しかたがない、ここはサーチ検索、そうだな『シン・ゴジラ』にしよう。ここ最近はヒマを見つけては『シン・ゴジラ』をサーチし続けている、最初は皆絶賛、ヒットしてそこそこ見た人が多くなると目立ちたいんだろ、コラムとかで批判の声を見るようになる。

 

 祇園精舎の鐘の音諸行無常の響きあり

 沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす

 驕れる者は久しからず忠治世の夢のごとし

 猛き人もついに滅びぬひとへに風の前の塵に同じ

 

 うん、俺も驕れるほど盛者になってみたいわ、働かずに。

 二敗目のビールを頼み、やっぱりやめてハイボールを頼む。

 ハイボールは混ぜないでもらう、混ぜないと途中で味が変わるから飽きない、飽きるほど飲むから。


 つきだしのキャベツを噛みながら、もし、次回作のゴジラの脚本を頼まれたらどうするか考える。そんなデカい仕事くるはずもないけど。考えるだけはタダだ。

 市川崑風な、あの感じは好みだけど、だからっていっぱいセリフを書き込まなきゃいけないわけじゃない。キャラクターの数はほどほどに、家族の話がいい、父親と母親、そして小さな姉妹。


『ゴジラ襲来から二年後、ゴジラから出た放射能汚染物質により、ゴジラを中心に半径二十キロ圏内は隔離封鎖、東京は汚染された人々が隔離され住むスラムとなっていた。

 防護服を着た自衛官が家畜のようにスラムに住む人間たちを弾圧する。東京に隔離された住民たちは廃棄物の中から残飯をあさり、それでも生きていた。

 バラック小屋に住む家族。

父親は廃品を加工し、母親はどぶろくを仕込み、子供たちは毎日東京から出られますようにと神に祈る、寄りかかり合い、なんとか生きている家族。

そんな家族に不幸が襲う、妹の体がゴジラ化し始めるのだ。最初は背中の一部、そして首筋、手の指が黒いゴツゴツとした皮に変わり始める。

時を同じくして、東京隔離スラムで、ゴジラ化する住民が現れ出す。

ゴジラ化する住民たち、そして生まれるゴジラを崇拝する宗教。

体の大半をゴジラ化した教祖は叫ぶ。

「我らはゴジラの使徒なり! 我らは進化した新たな霊長なり!」と。

 宗教弾圧に動く日本政府、そして始まる自衛隊による住民虐殺。

 殺されていくゴジラ化した住民たち。

 粛清の嵐。ゴジラ化人間狩り。

 家族の父親は、末の娘を助けるために、東京を脱出することを決める。

 末の娘のゴジラ化した肉体を隠し、東京から出ようとする家族。

 脱出寸前で末の娘のゴジラ化した指が自衛官にばれる。

 逃げる家族、追う自衛隊。あと少しで、あの金網を超えれば、そこで殺される両親。

 幼い姉妹は捕まり、ガス室に詰め込まれる。

 何百人のゴジラ化した人間がぎゅうぎゅうに詰め込まれたガス室。

 姉は言う。

 祈ろう、と。

 妹はきく。

 なにに、と。

 ゴジラに、そう姉がつぶやき、祈る。

 殺してください、父と、母とを殺した日本を。

 殺してください、妹と、私を殺そうとする日本を。

 壊してください、目に見えるものすべてを。

 導いてください、ゴジラ化した妹が殺されない世界へと。

 姉が祈り、妹も祈り、伝播するように、祈りの輪がガス室全体に広がる。

 ガスが噴き出し、人々が死んでいく中、ゴジラが動き出す。

 全てを燃やし尽くすゴジラ。

 自衛隊も、指示を出している国会議員も、全てを焼き尽くす。

 そしてゴジラは焦土を歩き出す。 

 悠然と、神々しいまでに悠然と。

 そのあとを歩きついていくゴジラ化した人間たち。そして生き残っていた姉妹。

 妹はきく、どこに行くのかと。

 姉は答える、私達を虐める人間のいない所へとよ。

 ゴジラは歩く。

 姉妹も付き従い、ゴジラと共に歩く。

 焦土を。

 そしてゴジラの上空には、核爆弾をつんだ米国の爆撃機が飛んでいる。

              終』


 ハイボールを口に含み、タバコの火をタクトのように、左右に振る。



◇◇◇◇ 


 ワタミを出ると小雨が降っていた。このごろ雨っていうと台風みたいにザーザー降るのばっかりだったように思い、この小雨が何か珍しいように感じる。暑いから、小雨ぐらい気にならない、傘を買うほどでもないし、走って帰るほどでもない。

 野毛の裏通りを歩くと、スーパーの軒先に、猫が四五匹、雨を嫌ってかたまり、猫玉ができていた。それを見ながら右に曲がると駐車場、その先の仏壇坂をあがるとコンビニがあって、もっと上がると図書館があって、その先野毛山公園に出る。

 公園の中は暗く、木々が良い感じに雨を防いでくれて、雨の持ってきてくれた涼しさだけを感じ気持ちよく歩く。歌を歌おう、俺は酔っ払いだから。


『僕が今まで殺した心を右手に

 僕が今まで殺さなかった心を左手に

 どっちが重いかなんて目を閉じていても分かるよ

 僕が捨ててきた大切を右手に

 僕が守ってきた大切を左手に

 左手を開いたら何も残っていなくて、そりゃそうだよねって少し笑った

 口ずさむ歌は、いつもききなれた歌

 新しい歌は、眩しすぎて困るよ

 口をつく言葉は、使い古された言葉

 真実語る言葉は、重すぎて困るよ 

 困るよ

 明日のお前は、生きている確証はない

 明日のお前は、生きている確証はないってさ

 そんなこと言われたって、今を生きろっていわれたって

 今を輝けっていわれたって、もう辛すぎさ困るよ

 生きてるのが精いっぱいで困るよ

 精いっぱいで』


 気持ちよくを歩いていると、グニッと気持ち悪い感触のモノを踏んで、足を上げるとリスの死体だった。 

 生きているリスはたまに公園内でも見かけるが、死体は初めて見たなと思う。生きているリスを見るのだから、死んでいるリスを見つけても不思議ではない、でも珍しいなとしゃがみこみ、リスの死体をよく眺めると、けっこうリスが大きく、口から粘っとした液体を大量に吐き出していて臭く、気持ち悪くなり踏んだ足の裏をズリズリ引きずりながら現場を立ち去ることにする。

 

 ズリズリ歩いていると、目の前に二歳ぐらい? 三歳ぐらい? 赤ちゃんは卒業して、でも子供じゃない、そのぐらいの歳の女の子、俺たちの業界でいうところの幼女ってやつ、その幼女がてってってってぎこちなく俺の横を走りすぎていった。


 ワタミを出たのが七時半、それから三十分はたっていないと思うから八時手前ぐらい、いくらこの季節日が長いと言っても周りは暗い、夜だ、それにこの人気がない公園を幼女が一人走っている。


 怪談? 俺見ちゃった? なんて思えれば幸せに忘れて家帰って寝られるのだけど、この幼女はきっと生きているし、周りに人の気配がないから保護者は近くにいない。幽霊じゃない年端もいかない保護者がいない女の子を夜、こんな公園で見かけて、無視して帰れるほど俺の肝は太くないから保護しなくちゃならない。

 

 横をすり抜けていって幼女はさっき俺が踏んだリスの死体の尻尾をもって、ぶりんぶりん振り回していた。ため息が出た。


「おい」

「ん、りす」

「りすじゃねーよ、リスの死体だ」

「うごしない」

「ん? よく何言ってるか分からねーけど、お母さんどこ?」

「かーし?」

「いや、マジで何言ってるか分かんねーけどお母さん、ママ、ママどこよ?」

「ん、りす」

「いや、リスの死体おじちゃんいらないから、クソッコミュニケーション能力ゼロだな」

「ぜろだな」

「お前がな」

「おまえがな」

「いや俺はコミュニケーション能力あるから、いやあるか? いやないな、すまんなコミュニケーション能力ゼロなおっさんで」

「ん」

「お? 今のコミュニケーションできてたっぽくね?」

「ん」

「お? お前もそう思うか、そうか」

「ぜろだな」

「いや、お前本当は俺の言ってること理解してるだろ」

「ぜろだな」

「理解していらっしゃらない!?」


 全然会話にならないのでリスの死体を捨てさせ、小脇にリスの死体臭い幼女を抱え公園の前にある交番にむかう。



 酔いも醒める。興醒めだ。今日飲んだアルコール代を返してほしいぐらいだ。


 

 交番のドアを開けると誰もいなかった。なるほどこれが警官ゼロ交番というやつか。机の上に立て札、


『緊急のご用件はこの電話で最寄りの警察署にご連絡ください、電話番号は……』


 とりあえず受話器を取り、電話番号を押す。『ハイこちら伊勢佐木警察署です』「すいません迷子の子どもを保護しました、今野毛山公園にある交番にいます」『お名前お伺いしてよろしいですか……』なんてやり取りがあり、十五分ぐらいで警官がこっちに来てくれるらしい、良かった、俺の義務もあと十五分で終わる。


「十五分でお巡りさんがくるってよ」

「ん」

「おっさん、十五分後にはオサラバだ」

「おっさん、おさらば」

「そう、おっさんオサラバだな」

「このよから」

「お前縁起でもないこと言うなよ!」

「ん」


 なんてどうでもいい話をしていると、しゃがんでいた幼女が立ち上がり、交番の外を指さした。

 つられて指さした先に目を向けると、交番の外、ガラスのドアのむこうに、ぬっと人影、眼鏡をかけたお下げ髪の女の子が、真っ白な顔をしてこっちを見ていた。


「ぴゃ! 幽霊!」

「おったん、おさらば」

「え! ここでそのセリフリピートしちゃう!?」

「このよから」

「お前絶対言ってること分かってるだろ!」

「ん」


 女の子がガラガラとガラス戸を開けると、幽霊が中に入ってくる。


「こ、こんばんは」

「はい、こんばわです」

「ん」

「ゆ、幽霊ですか?」

「ちがいます、中学生です」

「ん」

「ま、迷子ですか?」

「ちがいます、自首です」

「ん」


 よく見ると幽霊は顔色が悪いだけの女子中学生だった。

 見慣れた近所の中学の制服を着ている。コスプレじゃなきゃ中学生だろう。

 幼女が中学生の手を引き、交番内にあるパイプ椅子に座らせる。中学生は丁寧に「ありがとうございます」と、深く頭を幼女に下げる。

 そして正面に座っている俺に顔を向け、両手を握り突き出しこう言った。

「刑事さん、自首します」

 と。


「いや刑事じゃないし」

「え? でも警察にいて私服なら刑事さんじゃないんですか?」

「いや、短パンTシャツビーサンの刑事とかいないでしょ、普通」

「そこはよく分かりません、まだ社会経験がないのもで」

「中学生?」

「はい」

「おじさん今、この子保護して警官くるの待ってるの」

 俺は保護した幼女を顎で指し示す。

「だから自首はこの子保護しに来た警官にお願いします」

「はい、分かりました」


 中学生はずり落ちた眼鏡をクイッと直し、深くため息を吐いた。

 チラリとこっちを見る中学生、これ以上の厄介ごとをしょい込みたくないから目をそらす俺。


「あの~、私が自首する理由とか、知りたいです?」

「いや、知りたくない」

「そうですか」

「そうです」

「私が自首するのは、万引きをしたからなんです」

「いや、しゃべるんだね結局」



◇◇◇◇


「万引きしたのはボールペンです、ほらこれです、四色の、好きな色を差し込めるんですよ、かわいいと思いません? このノックするところが、蝶の羽の形で、本当は猫のほうが好きなんですけど、蝶もいいかなって、でも万引きなんです笑っちゃいますよね、本当はボールペンとか全然ほしくなかったんです、蝶だし、猫のほうが五倍かわいいじゃないですか、でも盗むって感じ、感覚? その感覚が私をドキドキさせて、ほら私って家が厳しくて、厳しいっていうよりおかしい? 頭おかしいんです、勉強して、勉強して、絶対頭良くなれっていうんです、頭良くなれっておかしくないです? ほら普通、いい大学いけとか、医者になれとか、目的がはっきりしてるじゃないですか、でも私のお母さん、頭おかしいから、頭良くなれっていうんです、勉強して頭良くなれって、話変わりますけどうちって貧乏って感じなんです、お父さんいるんですけど、いないっていうか、死んではないんですけど、ほぼ死んでモノと扱われていて、お母さん曰く、教育費を払わないから、死んでいるのと同じってことらしいんですけど、お母さんが働いて、お爺ちゃんの年金と貯金で生活してるんです、だから塾とか行けないんですけど、でも勉強しろっていうから、家で一人勉強してるんです、でも誰も教えてくれないし、そりゃ一人だから限界ありますよ、いつも百点とか取れないですよテストで、無理です、いくら頭良くてもパーフェクトって無理なんです、でもテストいつも百点じゃないと、お母さん家から私を追い出すんです、ご飯も食べさせてくれないし、これって虐待っていうやつですよね? ビンタもすごいんです、フルスイングで、エアKばりに両足浮いてるときあるですよ、バックハンドもすごいです、ビンタって言うよりチョップですよアレ、喉元とかに決まると、二日くらい血痰出ますし、でもこれ、学校の先生とかに言うと、きっとお母さん捕まっちゃうでしょ? 私お母さんが捕まるほどのことしたかな~って思っちゃうんです、だって頭おかしいんですよ? これって病気ですよね? なら刑務所じゃなくて病院に行ってほしいんです、だからずっと学校とか友達とかには黙っていたんです、でも自分だけで抱え込むって無理なんですよね、私なら大丈夫って思ってたんですけど、抱え込んでいるストレスに負けまして、すっと、盗んでみましたボールペン、私初犯なんですよ、常習犯じゃないんです、でもほら言うじゃないですか? 万引きするとスッとして止められないとか、テレビで万引きGメンに捕まった人の話とか、けっこうそればっかじゃないですか、それで私も試してみたんですよ万引き、やってみてびっくりなんですけど、本当にすごいスッとするんです、盗むまでのドキドキ、盗んでドキドキから解放された瞬間のスッとする感じ、私ストレスとかのせいにしたくないんですけど、解放されましたねストレスから、すごい解放されましたね、それはまあいいとして、バレたんですお母さんに、万引きしたの昨日で、さっきバレました、お母さん私のカバンあさってたんですよ、ひどいと思いません? それでバレて、お母さんに自首しろって言われて、自首しないと家に入れないって、殺すって、実の娘にむかって殺すとかすごくないですか? でもお母さん頭おかしいから、本当に自首しないと家に一生入れなくなるんだと思うんですよ、殺されるかもしれないし、だから自首してきました」


 中学生はスッキリしたのだろう、すっきりした顔をしている。

 女の子は早口で喋りたおした中学生を見て、おどろいたのだろう、口をポカリと開けてじっと中学生の口元を見ている。


 中学生の話を要約するなら、

『母親が頭おかしい、そのストレスで万引きした、母親に万引き見つかった、自首しないと家に入れないし殺されそうなので自首しに来た』

 と、言うことなのだろう。


 まず確認したいこと、母親は本当に頭がおかしいのか?

「ねえ、お母さん、どんくらい頭おかしいの」

「そうですね、私が勉強していると、私の前に座って、泣くんです、頭良くなって、全員見返してやれって泣くんです、毎日」

 うん、けっこう頭おかしいようだな。


「それにビンタするんです、病気だからしょうがないと思うんですけど、でも結構狡賢くて、顔は狙わないんです、首筋、ホント人間の急所だからスゴイ死を感じますよ、首筋ビンタ、三発に一発は意識飛びます」

 もうそれ殺しきてるよね。


 中学生が本当のことを言っているのなら、いや言っていると思う、さっきはこっちも気が動転してて気がつかなかったが、彼女の首筋は確かにアザだらけで、赤かったり青かったりしてるし。

 要はこの女子中学生は虐待を受けていて、そのストレスにより、万引きをして、それを母親に見つかり、さらなる虐待を恐れて、自首してきたってことか? この子は微妙に母親をかばっているし、虐待の有無を社会にばらしたくない意思があるように言っていたけど、見ず知らずの俺にベラベラしゃべっちゃうぐらいだから、もうどうでもいいのか? 保護されたい感じなのか? ガキの専門家じゃないからこの子が何を望んでいるかまったく分からない。


 まぁ厄介ごとだってことは分かるけど。


 もうめんどくさいことだらけなので、交番の外に出て段差に腰を掛け、タバコに火をつける。小雨はもう止んでいた。地べたは少し濡れているけど、ケツが濡れても死ぬわけじゃない。ニコチンがね、足りないんだよ、この『めんどくさい』と戦うには。


 口から紫煙をフーと吐き出すと、なぜか右に中学生、左に幼女がおれを挟み座りこんだ。

「あの、すいません」

 右から中学生がなぜか真剣な顔で話しかけてくる。

「なに? タバコ吸ってるか、少し離れたほうがいいと思うよ、ほら、副流煙とかさ」

「いえ、タバコは気になりません、それよりも、この子、怪我をしています」

「え、どこよ?」


 幼女のほうを見ると、幼女はボケっと天に昇っていく紫煙を見上げていた。


「両方のふとももと、両肩、確かめていないですけど背中にもあると思います」

「え、マジで?」

 確かめようと幼女のスカートめくろうとしたらバシッと中学生に手の甲を叩かれた。

「女の子です、デリカシーをもって接してください」

「いや確かめないとさ、こんなこまい太ももやケツ見ても興奮しないし、そこまで人として試される人生おくってないし」

「あなたがどう感じるかではなく、周りがどう感じるかです、私、小さな女の子のスカートをめくり上げる中年男性を、百パーセント犯罪者だと識別しますが」

「でも確かめないと、さ」

「なら肩を確かめればいいと思います、その七分丈の袖をまくれば、判断できます」


 あまりに中学生が言っていることが真っ当なので、犬なら腹見せる勢いで服従し、幼女の袖を肩までめくると、青と、黄色と、アザだけではなく、火傷の痕、白い肌は、暴力の残滓によってズタズタに蹂躙されていた。


「虐待だと思います、ほら私、虐待されていますから、経験者として、一家言あるんで」

 中学生はそういうと、少し恥ずかしように、笑った。


 何もかもがいやになる。

 このめんどくさい状況も。

 締め切りが迫っている原稿も。

 ガキが、二人も、暴力っていう、抵抗できない理不尽に、ドロドロに融かされている現状もだ。


 口から呪詛のような言葉が出てきそうになるのを飲み込んで、鼻の付け根をギュッとつまみ、奥歯を噛みしめる。



 そして頭の中で十、数をゆっくりと数える。



「俺は小説家なんだけど、書くことが嫌になるときがある。

 書けなくなるって言えばカッコいいけど、書けないんじゃなくて、書かないんだ。

 それはな、自分が書いたものが、つまらない、くだらないって言われるのが、怖くて、怖くて、怖くてしょうがなくなるからなんだ。

 でも書かないと、俺は小説家だからな、だから書くんだ。

 書く仕事だからな。

 逃げずに、ダメだと思っても、いくら怖くても、ぶるぶる震えながら書くんだ。


 生きることは、闘争なんだ。


 お前らのクソみたいな生活はな、闘争なんだ。



 だから、俺はお前らを尊敬する。



 闘争を生き残ってきた戦士として、勇者として、称賛する。

 お前らは素晴らしい。

 最高だよ。

 いつもブルブル震えている臆病者の称賛で僭越だが、お前らは素晴らしい」


 右手で中学生の頭を、左手で幼女の頭を撫でる。

 この小さな頭たちに幸あれと。

 小さな命たちに幸あれと。

 勇敢な戦士たちに幸あれと。

 この小さな体に、これ以上の不幸が降りそそがないようにと。

 


 臆病者の俺が、勇敢な戦士たちのために、祈る。




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