沈鬱
宮殿が完成した。それを見る頃にはディテシウスは大きくなっていた。彼は歳を重ねるごとに凶暴さと残虐さを垣間見せるようになっていた。彼は粗暴な人間だった。気に食わない者があると、権威と拳を振り上げて、全てを破壊した。それを抑えるべきマルコシアスは、もう年老いて動けなかった。国が陰りゆくのを感じながら、妻にも、子にも、もしくは信頼のおける部下にも看取られることなく、ひっそりと死んでいった。彼の亡骸が発見されたのは、彼が息を引き取ってから二日も経った後だった。
マルコシアスの死後、ディテシウスはますます乱暴さに磨きをかけた。母を罵り、部下を殴り、そして数多くの兄弟や親族を蹴りつけた。今や彼には、パラスの好戦ぶりと、マルコシアスの残忍さが備わっていた。もしもそれが逆であったなら――温厚さと賢明さを備えていたならば、彼は優れた王になっただろう。しかしディテシウスは、全く違う人間だった。
彼は戦いを好んだ。それでいて、兄弟を殺すのに迷いはなかった。末子であった彼を、彼の年老いた兄弟達は蔑んだが、しかしそれが命取りとなった。ディテシウスはまるで竜巻のように他国へと攻め入った。彼は常に先頭に立っていた。彼が剣を振り上げ、他国の門を叩いたのち、彼の乱暴な部下達が辺りを略奪し、蹂躙する。あとに残るのは瓦礫と死体の山だ。マルコシアスが築いた王国は、彼の死後十年と経たぬうちに半分にまでなった。しかしその国土は二倍に増え、誰もがディテシウスに畏怖と服従を抱いた。彼は残忍な王であった。
ディテシウスに指先一つでも逆らえば、首をはねられるか、さもなければ利き腕を切り落とされた。彼の周囲にいる部下達の多くは、ディテシウスの恩恵に預かっていた。だが、それ以外の者達は彼の横暴な恐怖に震えあがらねばならなかった。国は徐々に享楽と怖気に覆われた。人々の中に欺瞞が鬱屈し、しかしそのやりどころが分からず、王国は徐々に活力を失くしていった。発展してはいたが、それはまやかしのように思えた。
どれほどの時が経っただろうか。私の体は徐々に朽ち始めていた。私の袂に都が広がり、根を掘り起こし、人が住んだ。その結果、私の根はすっかり無くなってしまった。もはや生き長らえるのには足らぬ程度であった。私は早急な判断を必要とし、偉大なあのお方へ意思を飛ばした。
「どうか、私の言葉をお聞き届けください」
ややもあって、あのお方がゆっくりと酔泥と無関心の狭間から顔を覗かせたのが分かった。あのお方は、徐々に世界が離れゆくことに耐えかねていた。新たな世界を創るには、膨大な時間と労力が必要だ。しかも、必ず失敗するのである。蛇の者に世界を盗られた後は、必ず何かに逃げようとなさった。この時は酒と、それから無意味な時間を過ごすことに費やしているようだった。
「おお、何か用か?」
どこか酔楽に溺れているようだ。しかし、私には関係のないことであった。いかなる状況においても、あのお方が判断を誤ったことが無いからである。私は身を打ち震わせた。
「どうか、私を死なせてはもらえませんか?」
「何ゆえだ?」
「もはや私に、この体を支える術はありません」
あのお方は、ひと時沈思した。それから辺りをかき乱し、私の落ちた世界を見出すと、落胆の溜息をついた。次いで微かに期待をにじませた声で、こう言われた。
「今少し待て。いずれその世界には、一つの契機が訪れる。それを見届けてから決めさせろ」
私は首肯した。私はそれまで、何があっても生き延びなければならなかった。
今一度世界に目を転じると、壮年に差し掛かったディテシウスは一つの困難に見舞われていた。若き日は強者であった彼も、歳を重ねるうちに体が衰えてきた。若く活力のある部下達よりも、腕前が劣るようになった。剣を取る機会も減り、視力も衰え、しかし野心だけは若年の頃よりも膨れ上がりつつあった。これは由々しき問題だった。彼の思考に体が追いつかないのだ。彼もたびたび戦には出ていたが、しかしその半分か、それよりも少し多いくらいの機会は若き将軍トラキウスに預けた。
この頃、パラスやマルコシアスが行なっていた風習は、すでに失われていた。つまり、戦いの前に私の幹に登り、葉や枝を落とすということだ。ディテシウスは戦勝を民に誓い、馬にまたがって地平へと消えていった。私はただの大木となった。もはや図体ばかりが醜く目立ち、影の大きさは全盛の頃の半分ほどにまで減じていた。腐り落ちた葉や枝の数は知れず、切り取られた根は数えようもない。私は不格好になっていた。
その折だった。戦いを終えて戻ってきたトラキウスが、私の幹にやってきたのは。彼はそっと私に触れ、それから恭しく額をつけた。彼の傍らには十五人ばかりの側近が控えていた。
「大樹様。どうか、どうかわたくしめに力を分け与えてください」
彼の言葉は悲壮感に満ちていた。今やディテシウスは、義務を果たさずして権利ばかりを主張するようになっていたからだ。本来王とは、民の全てを救う立場にいたにもかかわらず、ディテシウスは酒と女と戦いに明け暮れていた。国中から酒を集めて浴び、女をさらって抱き、そして若く知恵の足らない者達を戦わせた。それらに溺れていくたびに、ディテシウスの限りある矮小な正気が徐々に失われていった。
トラキウスはそれを案じていたのだ。そして諌めてきたが、しかし効果はなかった。ディテシウスは最も勇敢で、最も忠誠心に富んだこの将軍を、今度は虐げようとしたのだ。平手で打ち、蹴飛ばし、そして将軍の地位をはく奪した。今やトラキウスの椅子には、別の者が座る有様だ。肥えた、醜いごますり男だった。
この日も、マルコシアスが建てた宮殿では、狂宴が繰り広げられていた。ディテシウスの腹心達が、声の限り騒いでいた。トラキウスは、この機を逃がそうとはしなかった。
私が瑞々しい葉を一枚落とすと、トラキウスは声を上げて喜んだ。彼の聡明な部下達もだ。手に手を取り合ってその一枚の葉を掲げ、それから跪いた。
「感謝いたします。必ずや、念願を成就し、再びこの場に戻って参ります」
この言葉の通り、トラキウスは間髪いれずに宮殿を襲った。その場にいた百人ばかりの男を斬り、そして女を解放した。しかし彼らは、順調にことを運んだわけではない。残忍なディテシウスが部下を身代わりにして、私の袂へと逃げてきたからだ。それを追って、トラキウスも舞い戻ってきた。
「トラキウス、我が愛しい部下よ。どうか言葉を聞いてはくれないか?」
「ディテシウスよ。もはや言葉を尽くす時は終わったのだ」
二人は十合ばかりも打ち合っただろう。私の袂で。年老いたディテシウスは、もはや勝つ術などなかった。それ故に彼は、甘言を用いてこの場を逃れようとした。私の幹に手をつき、激しく喘ぎながら言った。
「トラキウスよ。お前に何の大義があって、俺を殺そうとするのだ?」
「簡単なことだ。お前を支えている大樹様の命による」
トラキウスがこともなげに返すと、ディテシウスは憤慨した。
「馬鹿な。これはただの木だ。お前の気が狂ったのだ」
これに至って、トラキウスは殺す決意を一層固めた。剣を握り、鋭く一閃、突きを放った。ディテシウスに逃れる術はない。彼はその切っ先に貫かれ、体をわななかせながら大地に膝を屈した。トラキウスの剣を震える手で掴むと、そのまま血を滴らせながら絶命した。
トラキウスは大願を果たした。けれどもこれは、私にとってはまったく厄介な話だった。邪悪なディテシウスの血が幹に降りかかり、その場所が腐り落ちてしまったのだから。
トラキウスは聡明な王だった。彼はすぐさま踵を返すと、ディテシウスの亡骸を捨て置いて国の再建を図った。彼は聡明であったから、誰もが尊敬し、愛しただろう。ただ一点、私を除いて。
朽ちゆく私は、再びあのお方と言葉を交わし、もはやこの世界に未練がないことを告げた。あのお方もまた、心底落胆した様子で力なく呟かれた。
「誠に残念だ。まだ一縷の望みはあるが、それは蜘蛛の糸にも、藁にも劣る。それに縋ることなどあっては成らぬ。大樹よ。あとは天命を全うし、再び我が元へと戻ってくるがよい」
人の世は隆盛の時を迎えていた。それは私を苛み、私がいずれ朽ちる運命にあることを決定づけたようだ。トラキウスは聡明な王であったが、それは人の聡明さであった。決してあのお方が望んだことではない。どうやらまた、世界は蛇に支配された。




