表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
創樹記  作者: 鱗田陽
2/7

混沌

 世界に落ちた。どこに落ちても良かったのだが、大きな川の近くにした。そこが一体どのような場所であるのかは分からなかったが、あのお方の意思を感ずる者共が、そこかしこにいた。彼らは私が地に落ちると、すぐさま土に埋めてくれた。日と月との光を浴びせ、それから充分なだけの水を与えてくれた。

 根を伸ばした。次に土から身をもたげ、葉を広げた。芽吹いたばかりの私に誰が会いに来たのだろうか。それは分からない。なにぶん遠い昔のことであるし、何よりその時はまだ誰も彼もに区別がなかった。あったのはたったの三つだ。私と、あのお方の意思を感ずる者、それからその影だ。たったの三つだけだった。

 影はいずれ地を這いだし、その平たい体をくねらせながら蛇になった。彼に意思は聞こえない。彼はただ、世界にあるがままであった。これこそが世界を破滅へと導くのであるが、光あるところには必ず居らねばならない。故に、誰にも如何ともしがたいのである。

 それを払うためか、あのお方は正義の雷を落とされた。それは私の根が良く付くように、と好意から行なったものでもあった。私の近くの地面が穿たれ、そして近くの木に火が燃え移り、闇を紛らわせた。人々はそれを幸福の証しだと言った。雷光が閃くたびに声を上げ、手を打ち合わせて火を貰った。それが最初の世界の姿だった。

 さて、芽を出し、葉を広げた私の元に、一人の男がやってきた。彼を男だと認識できたのは、何も私の知覚が鋭敏だったからではない。むしろ、彼の力に因るのであった。あのお方に似せられて形作られたその男は、それと同じくらいの大きさになった私に、こう語りかけた。

「大樹よ。どうか声を聞き届けてください。神は全ての生き物を番いで創られた。にもかかわらず、何ゆえ私には相方がいないのでしょうか」

 この男は、あのお方を神と呼んだ。それが不思議と不遜に聞こえなかったのは、敬意を払っていたからか、それとも響きが気に入ったからだろうか。ともかく私は、上天におわすあのお方に声を掛けた。ややあって応じた時、まだ希望と活力とに満ちた覇気が私の身を強く包んだ。

「私には並び立つ者がない。私はこの世の全てであり、もしくは無をも司る。孤独や情愛は、私にとっては等しく与えるものであり、それは私に似せて創ったその男にも言えることなのだ」

 全くそれが正しいことであるのか、私には見当もつかなかった。私もまた一人だ。私に並び立つ者はなく、やがて私は世界の中心を支える大木となるのであろう。その確信のみが私を包んでいた。私もまた、一人であった。

 やがて女が創られた。それがどのような意味を持つのか、私には分からなかった。男と女は決して仲違いせず、互いを気遣って生きていたように思う。慈愛と恋慕のみが彼らの周りには渦巻いていて、それは決して離れ難いもののように、互いの手を握り合っていたように思える。少なくとも私の目には。

 

 それに綻びが見えたのは、いつの頃だっただろうか。私に並び立つ者は相変わらず無い。私はその世界で最も高く、そして最も大きなものだった。大きな者はいくらでもいたはずなのだが、それでも私とは比べ物にならないほど小さかった。なにしろ全ての番いが、私の幹や、枝や、葉や、もしくは影に留まり、日を過ごすことが出来たからである。人間と名付けられたその男女もまた、私の袂で暮らしていたように思う。

 もちろん、影があるということは蛇の者もいた。彼は常に悪しき影をまとわらせていた。それは私が作り上げる影が、あのお方の意思を輪郭に滲ませているのとは違い、何かよからぬものを孕んでいるようだった。

 その蛇の者が、私の幹の中で言った。

「あれは口に出来ぬあのお方に似ている。どうだろう。俺は一つ、腕を試してみたい」

 いま以って思うことは、蛇の者も孤独であったはずだ、ということである。彼にも番いはいなかった。しかし、彼が独り身に苛まれていた様子はなかった。なかったはずだ。あるのはただ、策謀と姦計の狭間に揺れる不快な響きだけであった。彼は舌をチロチロと出し、私の近くに生えていた豊かな実りのある木に向かった。

 そこで何があったのか、私は知らない。一つ言えることは、男女は初めて仲違いし、そして同時に私の元を去ったということである。最後の別れの際、男が私の幹を撫で、眩しげに目を細めた。

「私は楽園を去る。どうか、どうか皆をよろしく頼む」

 彼はそう言った。あのお方でさえ、その言葉に賛同した。であるならば、私の為すべきことはたったの一つであった。私は幹と、枝と、葉と、影とを揺らし、その言葉に頷いた。彼が理解していたかどうかは分からないが、彼の喪失は楽園瓦解の端緒であった。

 彼とその妻である女との影には蛇の悪意が滲んでいて、もはやあのお方の加護は見いだせなかった。どこか落胆したような声が、私の中に響き渡った。

「少し、この世界から離れることにする」

 それがあのお方が、この世界に直接投げかけた最後の言葉だった。それ以後、あのお方は、私以外に語りかけることはなかった。またしても、あのお方は完全無欠の世界を構築することに失敗した。蛇の者を拒絶することは出来ず、またしても男と女とは楽園から去った。

 そして、それを契機として、多くの獣が私のもとを去っていった。

 私はただ一人になった。再び。上天から声を掛けてくれるお方は存在せず、私の元に戻ってくる者もなかった。まるで潮でも引いていくかのように、私の元から生き物が去っていった。そして楽園は崩壊した。


 やがて蛇の者も、その実体を失った。今日ある姿は、彼の本質の半分も表わせてはいないだろう。外見は似ていたとしても、その内面までをも鏡のように写すことは叶わなかった。彼は善良な一個の生き物として、地を這い、どこかに消えた。私は一人になった。今度こそ完全に。

 そうして、世界が蛇の影に染まった。その影響は計り知れない。少なくとも、私には大きな変革のように思えた。人と生き物とが戦いを始めたからだ。それは世界の理を手に入れるためか、それとも別の問題かは分からない。ともかく、彼らは戦った。最初の男女の間に生まれた人達が、力を合わせて他の生き物を虐げ始めた。私はそれを見ていることしか出来なかった。身を打ち震わせ、影を揺らめかせたところで、私は世界に影響を及ぼせなかったのだ。私はただ、そこにある存在として、茫然と世界が壊れていく世界を見届けるしかなかった。私は世界で最も大きく、そしていまだに成長していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ