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彼の妹は私の妹、私の弟は彼の弟


ルサラシャにはデイユーキという変わった名を持つ従兄弟が居る。一時はルサラシャと婚約の話もあったが弟太子が産まれてからは立ち消えとなった。そのデイユーキ、7年ほど前までは虫も殺せぬ気弱い男だったが、ある女性と出会ってからみるみるうちに一人前の男となり、勇ましい騎士になり、そして将軍にまで登り詰めた。全ては愛ゆえと時折彼から漏れ聞く話に、正直引いた。考えられない。数年前に会ったきり、一度も姿を見せぬという女性。情を交わしたわけでもなく、愛を確認したわけでもなく、ただ世間話をしただけという間柄。デイユーキは彼女の為に、日々贈り物を考え、その生活を慮って邸を改装し、年追う毎に仕立て直すウェディングドレスを愛でてから眠るという。


 非常に気持ち悪い。


よからぬ色魔に術でもかけられたのではないかと疑ったが、叩いて出たのは、不特定多数への邪な恋慕の噂ばかり。いっそ噂通りであれば、男としてまだ沽券が保てると放置して久しい。


そのデイユーキが恋い焦がれた女性が、今ここに居る。7年目の奇跡と密かに侍女と言い合った。


「どうして、こんなに何回も折るんですか」顔を輝かせて問う彼女。

「パイだからです」無表情で答える料理人。


稀に首を傾げたくなることもあるが、彼女はとても純朴で素直で愛らしい。小柄な体躯に黒く大きな瞳。小さな口を尖らせて、いつも落ち着き無く辺りを見回している様に思わずぎゅぎゅと抱きしめたくなる。


 そんな彼女は、竜樹の義妹だった。


デイユーキにこれほど感謝したことはない。彼女が来たから、それを追って竜樹が来たのだ。デイユーキの怨念にも似た愛情に心で深く深く頭を下げた。


 今でも感謝はしている。とはいえ、竜樹の妹となれば、自分の妹も同然。近い将来本当に妹になる。ならなければならない。なるはずだ。


 その大切な妹の相手が、あれで良いのだろうか。


「姫様、今日のパイの中身は、何ですか?」

そこは姉上と呼んで欲しいところだが、今は良しとする。

「ナスとひき肉にトマトソースを絡めようと思っています。サユは?」

竜樹は果物が好きではないと聞いた。ピクルスは控えた方が無難。

「大根の塩漬けにします」

「…そう。美味しくできるといいですね」

稀に首を傾げたくなることが…。

我国は朝食にはパイが欠かせない。庶民の花嫁修業といえば、まずパイ焼きだ。これが上手かヘタかで嫁ぎ先が変わってしまうほど。


「カトラリーはまだ届いてないのですか?」

「あー、そうですね。まだみたいです」


彼女、サユこと紗雪はすでにデイユーキからカトラリーを贈られたが、オーダーなので時間がかかっている。これが男性からの求婚の証。その返事として、女性は手作りのパイを贈る。どっちが先でも構わない。要は贈り合って初めて婚約が成立する。紗雪は結婚を諾とするかどうかは決めかねているらしい。さもあろうと同情する。今、紗雪がパイの作り方を習っているのはルサラシャが強引に誘ったからだ。ルサラシャ自身もパイは焼いたことが無かった。結婚などしないと思っていたからだ。しかし、早急に習う必要が出来てしまった。このうえなく嬉しい誤算だ。


 ここは王宮の厨房。パイ名人と言われる料理人に二人は師事している。これで4回目。まだまだまだ、といったところ。練習で作ったパイは皆と切り分けて食べる。そこに意味は無い。たとえ、一つまるまると誰かにあげた所で、求婚の台詞を言わなければ、それはただのパイだ。なんでもかんでも意味を取られても困る。

 

「サユ。今日もうまくできたか?」


カトラリーの話題を出したのは、偶然ではない。

厨房を覗く当代の将軍。パイを習う度にこれだ。味見のお裾分けはもちろんしているが、紗雪のパイをまるっと貰おうといつも画策するのだ。そしてどんな味でも褒め讃え、毎朝これが食べられたら幸せだと言う。求婚パイは求婚の時だけで、貴族の奥方は作ったりはしないのだが。


「デイユーキ様、せめてお着替えになってからいらしてください」


 交替の時間にでもなったのだろう。仕事を放り投げてきたのでなければ、そうは責められないが、甲冑姿で厨房に入られては堪らない。デイユーキはよほどのことがなければ仕事に私情は挟まない。よほどとは紗雪の命に係わる事に限られており、そのあたりも評価の一旦ではある、が。


「できたら呼ぶから、部屋に戻ってよ」

部屋とは将軍の執務室である。

そっけない紗雪の返事にデイユーキの眉が寄る。

「そう言われて前回、叔父上に全部もっていかれたんだ。サユ、まさかわざと?」

「運が悪かったんだって。説明したでしょ」

「もう待たないと決めたはずなのに。俺が馬鹿だった。おまえを待って後悔するのは、金輪際ごめんだ」


 それほど大げさなことか? 大根のパイが? 


この狭量な男は、竜樹に比べると大海に落ちる小石のようだ。

あの大きな大きな竜樹を兄に持つ紗雪が、よくここまで相手をしてくれるものだと感心する。つまり、紗雪の心も大きく広いのだ。だからルサラシャはこの愛らしい妹含めて竜樹を慕う。 


「カトラリーはまだ届いてらっしゃらないとお聞きしましたわ、デイユーキ様」


不愉快そうに片眉をあげる従兄弟に、笑わないように顔を引き締め、


「先日、王太子とまたあのお店に伺いました。素晴らしく繊細なのに、納期の早いものもあるのですね」


揺さぶりをかけた。既に自分のモノだとの扱いは大きな間違いだと。


「姫、あなたは、まだサユを殿下にとお考えですか。なぜです…」


拳を握りしめている。


「デイ、とにかく着替えて、部屋で待ってて。気が散る」


このやりとりを一切気にしてない紗雪が清々しい。

どう見ても年上のデイユーキを年下扱いする様は滑稽だが、実際の紗雪の年齢はもっと高いのだろうと思う。彼女の外見年齢は高く見積もっても10代後半が限度。聞けば16歳と答えた。竜樹は26歳だと。見た目は確かにそうだ。間違ってはいないように思うが、デイユーキが7年前に聞いた年齢から1歳も進んでいないのだ。見た目と同じく。


 ルサラシャには、8つ下の弟が居る。サラドリゲデルル ランカワンマクスラルス、13歳。ランカワンマクスラルク国の王太子だ。この弟には同い年の許嫁がいる。トランヌー ケイアット。4番目の叔父の娘である。栗色の髪は緩くウェーブし、茶褐色の瞳と小さく尖った顎。まだ幼さは抜けないが悋気が強く、王太子の行く先々に同行したがる。が、決して悪い娘ではない。悋気さえなければ、礼儀正しく曲がった事を嫌う傾向にある。そしてこの悋気も情状の余地がある。許嫁を決める際に候補が5名あがり、幼いながらも替えはいくらでも居るという現実を思い知ったからだ。

 王には形骸化した後宮がある。と言えば体裁は保っているように聞こえるが、体裁を保っているのはその建物だけだ。現在、妾妃は一人も存在していない。せっかくあるのだからと、王妃が侍女の寮として管理している。一部屋に数人の部屋割り。ルサラシャはそこに一部屋貰っていた。王宮の自室で暮らすよりよほど快適だった。まず、男子が一人も居ない。煩わしい側近に声をかけられることもない。貴族の息子にも会わない。独身を貫きたかったルサラシャにはうってつけの場所だった。だから、トランヌーが紗雪に妾妃として後宮の雑事を任せる言った時、紗雪の身を寄せる場所がそこでもいいかもしれないと思った。妾妃という言葉さえなければ明日からでもどうぞと言いたいほどだった。


 王太子の妃の人選は国家の大事。


 さほど役に立つわけでもなく、悋気のみで意見を言う正妃は要らない。そして王太子の心を悋気のみで縛る妾妃も必要ない。正妃も妾妃もどちらがより尊いかではなく、どちらがより相応しいかだ。どちらも相応しくないのなら、どんな手を使ってでも、トランヌーこそ許嫁の地位から引き摺り降ろす。そう、トランヌーは、許嫁であるだけで、まだ正妃とも妾妃とも決まっていないのだ。本人が気づいていないのであれば、まさしく愚かとしか言いようがない。なぜわざわざ公衆の面前で王太子が紗雪に求婚したのか、少し考えればわかるではないか。先手を打ったのだ。欲したのは王太子自身であり、大義のもと、デイユーキから横取りするのも自分だと。それが、紗雪を守るためでもあったのだと。弟ながら、意気込みだけは立派だ。似た者姉弟だと笑ってしまうところだった。

 ルサラシャはランカワンマクスラルクの第一王女である。王と王太子を支え、国を憂い、民を憂い、己を殺してでも、最良の一手を選び続けなくてはならない。この先もしも、王太子の望みに紗雪が応えるのであれば、ルサラシャは全面的に応援するつもりだ。国にとって、これほどの良縁はない。王女としての判断と姉の甘さ、デイユーキへの同情と竜樹への想い、サユへの親愛が、内心を掻き乱すのは業だと割り切るしかない。


「デイユーキ様、パイが焼けるまではまだ時間があります。お着替え……」


デイユーキとルサラシャの間は人二人分の身長ほど。その間の床から大量の水が吹き出した、ように見える。実際には彼が去った後に水が残っていた事は無い。


 これは、ちょっと苦手なあの方だ。


慣れに苦笑しつつ、名をどう呼ぶべきか瞬時に考える。いつも迷うのだ。サユの兄だから兄上様と呼んでいた。しかし今現在、ルサラシャは辺境伯の補佐役として竜樹の側に仕える身。竜樹を中心に呼ぶのが妥当。ここはやはりミズキ様とよぶのが良いだろう。そう思って対面のデイユーキを見れば、恐ろしく剣呑な瞳だ。


「や、久しぶり」


まだ体全部が床から抜け出す前に、片手をあげて気軽に言う。やはり、現れたのは濡れ輝く蒼の鎧。麒麟と呼ばれる竜の子供みたいな馬を連れている。


「サユを借りる」


麒麟は頭突きを一つして、紗雪を荷物のように器用に自分の背に乗せた。


「なんでーーっ、姫様っ、パイっ、デイっ、デイっ、パイをぉ、デイっーーー」


そして走り去った。早い。見事すぎる。ルサラシャは呆気に取られるのみ。


「それじゃ」


再び床に消えようとする瑞樹に剣が突きつけられた。


「サユをどこへ?」


最近、デイユーキは瑞樹に遠慮がない。敵認定らしい。ルサラシャはそれをも見ているだけしかできない。突飛すぎて追いつかないのだ。瑞樹に対してはいつもこうなってしまう。


「うーん、俺もいまいちよくわからないけど、遠いとこ。しばらく帰れないから。兄貴にもそう言っておいて」


デイユーキの目が細められる。


「サユをすぐに返してください。あんなに俺の名を呼んでいた。可哀想に」


紗雪の続き込みの全文はたぶん、「姫様、パイを釜に入れてください。デイ、パイは独り占めしないで皆で分けて。みんなの感想を聞きたいから」だ。

などと思っているうちに、デイユーキは容赦なく床に剣を突き立てた。が、時はすっかり遅い。後は床が傷つくだけだから、デイユーキを止めるよう、ルサラシャは護衛に指示を出した。同時に料理人に合図して、パイを釜に入れる。

「姫、兄上様に連絡を。のんきにパイなんぞ弄ってる場合ではありません」

デイユーキ以外、皆のん気だ。紗雪は兄の用事につき合わされるだけだ。何を慌てる必要がある?というのが周りの一致した見解だ。

 瑞樹が竜樹に伝えろと言うからには、竜樹は係わらず、今回は留守にならないのだろう。そうであるなら、哀れな従兄弟に同情しなくもない。自分に余裕がない時は他人を思いやる余裕もないので。

 竜樹は瑞樹のようにどこにでも出現することはできない。それは紗雪も同じで、二人があのように移動したければ、女神を呼び天門を開いてもらうしかない。ちなみに一族以外は無理。それはルサラシャもデイユーキも既知のことだ。


「タツキ様には、今回の事、姉上様にご進言するよう、わたくしからお願いします。あとは女神様の采配にお任せするしかありません。行き先がもしわかりましたらすぐにご連絡いたします」


そう笑いかければ、優れた将軍デイユーキも肩を落として去るしかない。デイユーキ、『臍』という意の名を持つ男も。

 





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