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第6話「夏帆。オープンカフェにて。2日酔いについて①」

今回は二日酔い対策について。

この問題もけっこう奥が深いです。

「あー……ようやく復活してきたかな……」

 うがいをするような声音で、薫がうめく。光り射しこむ学食は、その一角だけ雰囲気が濁っていた。テーブルにうつ伏す薫と、対面で所在なくカフェモカをすする夏帆の時間が、春の暖かさとそよ風の中で、朝からゆっくりぬるぬると過ぎていた。

 新歓呑み会を行う前に決めていた、1年次に受講する科目を3人で仲良く決めるという打ち合わせの日である。集合場所は、恒例となりつつあるオープンカフェだった。


 千鳥は薫の家で、二日酔いでダウンしている。昨夜は泊めてもらったらしい。薫はなんとか登校してきてくれたものの、頭痛と倦怠感に悩まされ、ほとんど会話すらできないような状況だった。

(いっぺえ呑んだものなあ……)

 本当に沢山呑んだものだ。17時の開宴から24時までの実に7時間。苦いだけだったビールが、いつの間にかうまく感じられるようになっていた。喉越しもたしかにスッキリとしていて爽快に感じられた。それが味覚の成長なのか、はたまた鈍感になっただけなのかはわからない。

 いずれにしろみんなベロンベロンに酔っぱらっていて、立派なお屋敷に住まうお嬢様な千鳥をそのまま家に送るわけにはいかず、幼馴染で家庭事情が緩い薫の家に放り込んだ。小さい頃からお泊りにいくことはたびたびあったらしく、そういう意味で違和感はないのが幸いした。

 酒神はほっとしたような顔をしていた。まあたしかに、あんなになるまで娘を連れ回したことをどう説明するのか詫びるのかと問われたら、夏帆は困ってしまう。年の功があるとはいえ、酒神にだって手に余るだろう。下手をすると責任問題だ。


「あはは、大変だねぇ2日酔い」

「……おまえ、他人事だな……」

 朝からオープンカフェに座する女子2人をサークルの勧誘に、あるいはナンパ目的で近づいてきた男子どもを射竦め続けてきた薫の眼光がこちらを向く。が、薫という人物がわかってきた夏帆には怖くなかった。そういった端々の強さ含めてが薫という人物であり、その魅力なのだから。

「他人事だしねー。はは、そろそろ何か食べる気になった?注文してこようか」

 嫌味を返す余裕もある。

「……けっ、ぬかしやがれ」

 薫も嫌そうな表情ではない。

(ああ、いいなあ)

 友達らしくなってきた実感に、夏帆は目を細める空を仰ぐ。これからの大学生活の不安が解消されていく。


「いまはまだ無理かなー。胃が荒れてるだろうし」 

 夏帆はひとりごちる。

 2日酔いの原因は様々あるのだが、主な原因は脱水とアセトアルデヒドの発生によるものだ。脱水は、アルコールの接種が利尿作用を引き起こし、アルコール自体をたくさん呑んで水分を摂ったと思っても、それ以上に失われていることに由来する。アセトアルデヒドは、肝臓のアルコール分解の過程で生じるものだが、発ガン物質でもあり強い毒性があり血管を拡張させる作用があり、中枢神経を刺激して、頭痛や吐気などの原因になる。

 思い起こせば、酒神が気を使って、アルコールの胃での吸収を抑制するための脂肪分の高い食事や、カテキンたっぷりの緑茶を勧めてくれたりしていたのだが、3人はまるっきり気にも留めずにいたため、このような事態となったわけだ。

 治すには症状にもよるが、万能なのがナトリウム・カリウムを多く含んだスポーツドリンクなどの水分の補給。アセトアルデヒド解毒に効果のあるしじみ・ひまわりの種・ゴマなどの接種だ。

 最も有効打となりうるのは酸素ボンベや酸素水などによって新鮮な酸素を吸収し、アセトアルデヒドを酢酸に、さらに炭酸ガスと水に分解することだが、これはさすがに用意がないと難しい。


「薫、スポーツドリンク買って来たよ」

「おー、サンキュ」

「薫、B定食についてきたしじみの味噌汁飲みなよ」

「お、助かる。でも食欲はねえぞ」

「大丈夫。あたしはお腹が空いてるから」

「おまえは強いな……」

 味噌汁抜きのB定食ミックスフライとフレッシュサラダに手を合わせていると、薫が感心したようにつぶやく。


「夏帆は強いよな。酒」

「そう?」

「強いだろ。たしか俺と同じくらい呑んでたはずなのに。千鳥なんかこんなだぞ」

 と、千鳥の1時間前の画像を弟がメール添付してくれたものを見せてくれる。薫のものを借りたのか中学校の赤ジャージ姿で、6畳間の布団の上でうつ伏している。髪はほつれ、化粧ははげ、凄惨な状態だ。

「ありゃー」

「こりゃ100年のなんとやらも冷めるわな」

「弟さん?」

「昔から、こいつのファンなんだ。どんな状態でも良いらしい。千鳥の画像リストを見たことあるんだけど。あれには引いたな」

「はは」

 想像すると、たしかにうすら寒いものがある。男子というのはそんなもんなのだろうか。いや、女子にだってそういう娘はいる。ただ単に、自分がそういったものに縁がないだけか。


(恋ねえ……)


 夏帆は思い出していた。

 昨夜、2人を薫宅まで送り届けたあと、寮へと向かうタクシーの中、夏帆は酒神の膝を枕にしていた。

 別にそうしようとしてそうなったわけではない。度を超えたアルコールの摂取が、夏帆の背から芯を失わせた。背もたれにもたれ続けることができず、徐々に斜めにズレ、酒神の膝に崩れた。三半規管が狂いバランスをとることが出来ず、視界がぐるぐると回り、身体を起こすことはできなかった。

 酒神は嫌な顔ひとつせず、なぜか、夏帆の頭を撫でていた。意識的にそうしたのか、無意識だったのかはわからない。家族以外の男性にそんなことをされたのは初めてだったので、内心ひどく動揺した。

 温かく、大きな手だった。まるで特殊な力でもあるかのように、触れたところから滋養が染み込み、ゆるゆると拡がっていく気がした。脳を刺激する刺のようなものが分解されていった。

「ぁっ……」

 声が出たことがなんだか気恥ずかしくて、夏帆は酒神に背を向けるように回転した。

 やめてとはいわなかった。

 実際、やめてほしくなかった。もっとしてほしかった。

 気持ちのいい感触だった。親が可愛い子どもにするような、それは温かく労りに満ちた行為だった。

 背を向ける直前に見た酒神の表情……あの目が忘れられない。

 あれはなんだったのだろう。

 悠久の時の流れと、哀切を感じさせるような眼差し。

 ……もう一度見たら、恋に堕ちてしまう。

 そんな気がしたから、夏帆は振り向かなかった。

 背を向けたまま、胸の痛みと、正体のわからない衝動に耐えていた。


「おい、夏帆」

「っはい!?」

 突然の呼びかけに、夏帆は慌てて回想から復帰した。

「な、なに? どうしたの?」

「……なにきょどってんだ。顔が赤いからどうしたのかと思ってよ。実はまだ酒残ってんのか?」

「いや……そのへんは大丈夫。お陰様で……はは……」

 どんな顔をしているのだろうか。後ろめたい気分になって、薫の目が見れない。


「と、とりあえず。薫が大丈夫なら科目選択の話進めようか? 途中結果と千鳥ちゃんの希望を照らし合わせる感じで」

 話をまぎらすと、

「そのへんは大丈夫だ。あいつ、全部俺に任せるっていってたから」

「それはまた千鳥ちゃんらしいというか……」

「あいつはいい加減だからな。いや、金持ちお嬢だから気にしなくていいからなんだろうよ。大学も将来の事も。気楽なもんだ」

「昨夜も言ってたね。社長令嬢なんだっけ」

「そうそう。門から玄関からまで自転車≪ちゃり≫が欲しいと思うくらいの家だぜ。俺なんかとつるんでるのも、たぶん向こうの家ではよく思ってねえんだろうが。まあ変なむしがつくよりはマシってところか」

 薫の家は魚屋。千鳥の家は日本有数の企業の社長だ。いくら幼馴染とはいえそこまで環境も性格も違う2人が上手くやっていけているのは驚きだが、考えてみれば、自称神様とただの小娘との関係よりはまだわかりやすいのかもしれない。


「夏帆はどうするんだ? 俺らとまったく同じにする必要はねえぞ? 受けたい授業とか、なりたい将来像とか、就活とかだって関係してくるだろ」

「あたしは……1、2年のうちは好きな一般教養と選択外国語受けておいて、その間に3年以降入るゼミ選ぶ……くらいしか正直考えてないな。大学入学するだけで正直手一杯だったし。薫こそ何か考えてるの?」

「俺は教職課程受けるんだ。将来は教師になるつもりだから」

「教師?」

「小学校のな。俺みたいなのがって笑うかもしれんけど」

「笑わないよっ」

 慌てて手を振る。

 聞けば、薫が今まで出会った中で、唯一尊敬できたのが小学校時代のとある女教師だったという。暴力的で頭も悪くて協調性もなくて、授業の邪魔ばかりする薫を辛抱強く導いてくれたあの教師のようになりたいという。

 それは、夏帆のように大学に合格することばかり考えてきた人間には、驚くほど明確な、憧れるべき存在だった。

「すごいね、薫は」

 手放しで褒め称える。

「いや、そんな立派なもんじゃねえよ。そのあとの中高は暴れまくりだったし」

 照れ隠しのように薫はそっぽを向く。

「早く飯食っちまえよ。冷めるだろ」

「あ、そうだね。そうだった」

 夏帆は思い出して割り箸を手にとる。


「……ところで夏帆ってさ」

「うん?」

 改まって問う薫に、夏帆は割りばしを割る動作の途中で小首を傾げる。

「……おっさんと付き合ってんの?」

 バキッ。

 割りばしが斜めに割れる。

「は、はあぁ~!? 薫ぅ、なぁにいってんだ!?」

「い、いやだってさ」

 互いに声が上擦る。

「昨夜、あのあと一緒に帰ったんだろ? 家の場所も知ってる風だったし。仲良いしっ。昨日なんてけつ触ってたじゃねえか!」

「それはっ……んだがら、学校でお酒さ呑んじゃいげねどっつっておいたのに、スキットル……水筒みでえなのをこっそり持ってらんだもの!」

「だから尻を!?」

「こんたとこでけ……お尻とかいわないっ」


「じゃ、じゃあ家の場所は? いつからの知り合いなんだ?」

「それはその……教授がお婆ちゃんの知り合いで、話は昔から聞かされてて、出会ったのは1か月前だけども、色々あってあたしが寮母やってる学生寮……というには語弊があるけど……そもそも他に人がいないので……そこで共同生活を送ってるから」

「同棲!?」

「そえだば違う! いや違わねえどもニュアンスが違うんだ!」

 息を切らしながら見つめ合う2人。昼時になり、周囲の視線が痛くなってきたので場所を変えることにした。


 ☆★☆空き教室☆★☆


 オープンカフェを後にし、手近にあった空き教室に入り込む。

 適当な席に腰掛けると、万一のために移動場所を千鳥にメールしておいて、さて本題。


「なるほどわかった」

 一通り説明が終わると、薫は厳かに告げる。

「俺も一緒に住む」

「……ふぇ?」

 思っても見なかった宣言に、変な声が出た。

「別に問題ないだろ。もともと寮だって話なんだし。一月の寮費5000円・管理費食費込み3000円は破格だ。今やってるファミレスのバイト代だけで事足りる」

「ま、まあそりゃあそうだけど……薫、御家族のほうは?」

「なら心配いらん。うちは娘の素行にゃ寛大なんだ。弟も手ぇかからなくなってきたしな。それとも邪魔か?」

「いや、邪魔なんて……」

 ぱたぱたと手を振りながら、

(あ……)

 夏帆はその考えに思い至った。

(このまま2人きりで暮らすのは、いろいろとまずいかもな。別に嫌いってわけじゃねんだども……。なんつーか……チョロい女になってしまいそうだものな……)

「いいけど薫。でもそうすると、黙ってなさそうな人が……」

 その瞬間、薫の背後に千鳥が現れた。

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