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第30話「ドリームメイカー篇⑮。バッカスについて⑧」

リリトは古代バビロニアの悪魔の名前です。リリスというと通りがいいでしょうか。

旧約聖書では魔女として描かれています。

他にもメソポタミアの女神イシュタルだとかアダムの前妻だとか、突き詰めればいろいろありますが、とりあえずここでは魔女の象徴として使用しています。

 ~~現代・千鳥ちどり~~


「殺してしまえなんて言ったって~、殺せるわけないじゃないですか~? だって~、神様なんですよ~?」

 地球が丸いとか太陽の周りを回っているとか、そういった当たり前のことを語るように千鳥は意見する。

 知流ちるは静かに首を振った。

「死にはふたつの相がある。ひとつは肉体の死。もうひとつは存在の死。一生いっせいくんは幼い頃に母親に殺されかけた。そこから復活したので蘇りの象徴ともされている」

「母親に……!?」

「産みの母じゃない。醜い嫉妬の結果だ」

 忌々(いまいま)しげに、知流はつぶやく。


 ――バッカスは人の娘とゼウスの子である。そのことを妬んだゼウスの正当な妃・ヘラに嫉妬され、母は謀殺され、胎児として母の胎内にいたバッカスは死にかけた。

 ――また、タイタン族に襲われ引きちぎられ、食われたともいう。その後母に産み直されたとも。 


「……死ぬことも、蘇ることも、それ自体は特別なことじゃない。ボクたちにとってはままあることだ。許せるかどうかは別として」

 知流の持参したビニール袋には、多くの缶ビールや瓶ビールが詰まっている。どれも2本セットなのは、ここで一緒に呑むつもりだったのだろうが。

「……死んでも蘇るなら、そもそも殺す意味がないんじゃ~?」

「理屈の上ではな。だが恨みによって害をなそうとする者に、理屈など意味がない。たとえばそうだな……君がもし、自分の大切な者を誰かに殺されたとして、その者が不死者だからといって、復讐をやめられるかい? 呑気に笑って暮らしているのを、黙って見ていられるかい? 安穏として明日の朝日を拝むのを、とできるかい?」

「……っ」

 千鳥は汗で湿った拳を握った。夏帆なつほかおるや、酒神さかがみが殺されるシーンを想像した。それは胸の詰まるような、気持ちの悪い想像だった。

「飽きるまで殺す。存在の欠片も残らぬように滅する。それをモットーにしている集団がいる。魔女宗ウィッカの中でも最も好戦的で凶暴な一団。合唱隊コロスという名前なんだが――」

「……ころす?」

「古代ギリシア悲劇でいう合唱隊のことだ。舞台の背景や要約を観客へ伝え、時に主要人物の秘密を語り聞かせる役目をも併せ持つ。全知の者であり、物語の流れを司る重要な役目を担う。神々の罪を暴き、裁くことから付けた名前なのだとか」


 ~~中世・酒神~~


 パチパチパチ。

 拍手をしながら現れたのは、クラレットであった。

「おひさしぶりねリュシオス。ずいぶんと丸くなったんじゃない?」

「……クラレット。やはりあなたでしたか」

「どうしたって言うの? 昔のあなたなら辺り一帯、下手したら城ごと焼き尽くしていたでしょうに。兵士にも死人は出ていないみたいだし」

「丸くなったんですよ」

 酒神は懐手し、ふて腐れたように口をすぼめる。

「丸くなった? たしかにそうみたいね。以前のあなたなら、こうして言葉を交わす間もなく私を殺していたでしょうから。自分の女を傷つけられて、黙っていられるとは思えない」

「……あなたは昔と違いますね。以前のあなたは……いえ、あれは本当にあなただったのでしょうかね。気の良い明るい元気なお嬢さんだった時とは随分印象が違います」

「心に刃を忍ばせていただけさ。いつだって隙あらば、あんたを殺そうと思ってたよ。機会がなかっただけで」

「僕は何度でも蘇りますよ?」

 クラレットは苦笑する。

「誰に向かって言ってんだい。合唱隊わたしたちはこんなことを何千年も続けてきたんだよ? 今さら止められないのさ。何度でも、飽きるまで繰り返し殺す。繰り返し繰り返し、蘇る気をなくすまで。人に忘れられ、存在自体を無くすまで」

「……こんな回りくどいことまでして?」

「そうさ。でも、けっこう惜しいところまでいっただろ?」

 クラレットがちろりと視線を送った先には、苦りきった顔のリュシオスが座り込んでいる。

「もうちっとあんたの来るタイミングが遅れてればねえ」

「ねえ。もうやめにしませんか」

 クラレットの頬がぴくりと引きる。

「……やめる? 何を」

「無駄です。無益です。こんなことに意味はない」

「手打ちにしようってわけ? ずいぶんとお優しいことね。なに? ナツーホに殺さないでと言われたから? だからこれ以上争うのはやめましょうなんてぬるいこと言ってるわけ? 自分が何をしたか知ってるでしょ? 今まで何人の無辜むこの民を殺してきたか覚えてるでしょ?」

「……覚えてますよ」

 クラレットの目が血走っている。

「私の姉がどうやって死んだか言ってみなさいよ。実の両親の四肢を切断させられたのよ? その事実を事後に知らされて絶望して自害したのよ?」


 ――酒神にまつわる伝承は、血生臭いものが多い。人の精神を操れることから、主従肉親を無視したような、極端な事象が多い。実の娘に親を殺させるなんていうのは朝飯前だ。


「やめにしよう!? そんな簡単な言葉で片付けようとしてんじゃないわよ!! 私はお前たちを許さないわ!! 地の果てまでも探し出して追いかけて、根絶やしにしてやる!! 駆逐してやる!! 二度と蘇ることなど出来ないように、塵も残さず滅してやる!!」

「クラレット……」

「――クラレット!!」

 後に続いた声は、酒神のものではない。


 クラレットは目を丸くして驚く。

「……ナツーホ。へえ、あんた、もうそこまで回復してるんだ? 2、3日は生死の境を彷徨さまよう計算だったんだけどねえ」

 酒神の脇に立つ夏帆なつほは、体調が回復してきたのか、自分の足で歩行できるまでに回復している。

「もうやめて!! なんでよ!! あんた、教授のことが好きだったじゃない!!」 

 声をらし、叫ぶ。

「……何言ってんの? あんなのただのリップサービスじゃない。あんたのことをからかってやったのよ」

「そんなことない!! あたしは騙されない!! あの時のあんたは本気だった!! 本気で教授せんせいのことが好きだった!! そうでなきゃ、あたしは嫉妬したりしない!! あたしも――あたしも教授のことが好きだから!! だからわかるの!!」

「夏帆くん……」

 バランスを崩した夏帆を支える酒神。夏帆はその腕を掴み這い上がるようにし、あくまでクラレットに向かい合う。

「クラレット!! あたしたちは友達でしょ!? 逃げないで!! お願いだからもうやめて!!」


 すーっと、クラレットの頬を涙が伝う。

「クラレット……」

「……あ? なんだいこりゃ……」

 それがまるで初めて触れた液体であるかのように、クラレットは、己の指先を濡らすものを見つめる。

「私……泣いてる?」

「そうだよ!!」

 夏帆は勢いづく。

「あんた、やっぱり悲しいんじゃない!! やりたくないんじゃない!! だったらもうやめようよ!! 皆に謝って、許してもらおうよ!!」

「バカ言ってんじゃないよ……こんな……私が……」

 ぐらりとよろけ、たまりかねたように膝をつくクラレット。

「クラレット!!」

 夏帆は酒神の手を離れ、ふらつきながらもクラレットの傍にたどり着く。

 うずくまるクラレットの肩を抱き、顔をのぞきこむ。


 がりっ。


 どこかで硬い音がした。飴玉を舐めずにいきなりかみ砕くような、そんな音だ。

 なんだろうと思う間もなく、クラレットが夏帆に抱きついた。片腕を背に回し、片腕で頭を抱え込むようにした。

 ただの抱擁だと誰もが思った。夏帆自身も、直前まで気づかなかった。

 クラレットが耳元で囁く。

「つぅ~かまぁ~えた♪」

 陽気に節をとっていた。まるで呪いの歌の一節のようだった。

「何を言って……」

 夏帆はもがくが、クラレットの力は予想外に強く、びくともしない。

 変化は速やかに表れた。

 クラレットの爪先から頭頂までの筋肉が、びきびきと音をたてて盛り上がる。血管が浮き出て力強く脈動する。

「『変容せしリリトの曲玉』――魔女とはいえ普通の人間だからね。まともなやり方じゃ、あんたらに勝てるわけない」

 まなじりが裂け、白目が黄色に染まる。毒蛇のように髪の毛が伸びる。背中から鳥の羽根が生え、手先足先が猛禽類を思わせる鋭さの鉤爪に変わる。


 ―― 同時にいくつものことが起こった。

 コロラゼと薫が夏帆を助けようと動き出すが、クラレットは「あんたらが助けるより早く、こいつの首は宙に舞うよ?」と鋭く尖った鉤爪を夏帆の頸動脈に添える。

「……それは、僕の雷霆らいていよりも速いですかね?」

 バヂッ。

 酒神の手元で雷球が弾ける。

「――もう終わってるんだぜ!?」

「――そうだよね~。終わってるんだよ~?」 

『――!?』

 いつの間にか、リュシオスの背後にアルとフロールが立っていた。あどけない顔をして、無邪気な口調で、けれどかぎりない邪気を内に秘め、それぞれが短剣を手に持っている。いびつに湾曲し、切っ先から毒々しい液体を滴らせた凶器が、すでにリュシオスの首筋を狙って動き出している。

 合唱隊《・ ・ ・》――当然、クラレットひとりではない。

「アル!? フロール!?」

 夏帆の悲鳴はとどかない。酒神の雷霆は、すでにクラレットに向けて放たれている。コロラゼと薫もクラレットに掛かり切りで、オデッサはただただ呆然としていて、リュシオスは観念したように目を閉じている。


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