第28話「ドリームメイカー篇⑬。バッカスについて⑥」
~~オデッサ~~
矢傷が疼き、かゆくなってきた。肝臓への打撃の影響も薄くなり、体を動かしやすくなってきた。
それはリュシオスの体調が回復しつつあるということだ。良くも悪くもリュシオスに左右される女性信徒達は、自身の具合によっても、主上の状態を察することが出来る。
矢の直撃を受け倒れていた仲間も、それぞれに矢を引き抜き、立ち上がっている。万全にはほど遠いが、もはや人間ごときには遅れをとらない。
「へっ、攻守逆転ってやつだね。見てな人間ども」
犬歯を剥き出しにするオデッサを見て、なんとも言えない表情になる薫。
「……オレの進化版があんただとは思いたくないもんだな」
「あ?」
「そのまんまの意味だよ。あんたが昔のおっさんの眷属なら、未来のおっさんの眷属はオレなわけだ。仮だとしてもさ。自分の将来に対して不安になる気持ちもわかるだろうが」
「自分の将来? 何言ってるんだい。そんなもの、あるわけないだろ」
平然とオデッサ。
「眷属になった時から、あたしらはあのお方のもんだよ。過去も未来もあるもんか」
「……マジかよ」
「もともとあたしとコロラゼの姐さんは奴隷だった。労働力として扱き使われて死ぬか、変態貴族の慰み者になって死ぬか。いずれにしろ、あのお方に拾ってもらわなければ惨い死に方をしてただろうよ。だからあたしらは、感謝と共にすべてを捧げることにしたんだよ。騎士が高貴な方に剣を捧げるなんて生易しいもんじゃない。すべてだ」
「……」
「多かれ少なかれ、みんな似たような境遇さ。あのお方はあたしらの太陽なんだ」
「……」
「……なんだいその目は」
薫の胡乱げな目が、オデッサには気に食わない。
「あのおっさんがねえ……人ってのは変われば変わるもんだなと思ってさ」
「……おっさんだの人だの。本当に失礼なやつだね」
ふん、オデッサは鼻を鳴らす。
騎槍を構えて横一列に突っ込んでくる騎士たちに、オデッサは正面から突っ込んだ。
突き出される騎槍を掻い潜り、馬の首筋に手をかけ一息に駆け上り、鈍重な騎士の背後に回って首をひっつかむ。ねじ切ろうと力を籠め――それが果たせないことに驚く。騎士の力が予想よりも強い。鎧がどうこう兜の構造がどうこうではなく、単純に力が強い。
「――なんだいこりゃ!?」
馬の尻を蹴って着地して距離をとり、今しがた殺せなかった騎士の背を見やる。
「……おい、なにか変だぞ」
すこし遅れて、薫が隣に着地した。
「オレの膝蹴りをまともに食らってぴんぴんしてやがる。打点をずらしたわけでもなんでもなく正面からモロに受けたくせに、のけぞりもしないとか有りえねえ……」
騎士の鎧は、性質上、正面からの攻撃に強くなっている。だがそれはあくまで強くなっているというだけで、刃をまったく通さないわけではない。鋭ければ突き刺さるし切り裂かれる。衝撃が強ければ割られることもあるし、内部へ浸透するダメージは殺しようがない。関節部分はそもそも守ることができない。
オデッサや薫の攻撃は、あくまで関節なり内部への衝撃を意図したもので、皮膚や肉そのものへの裂傷を防ぐといった、金属鎧の設計思想の枠外にある。
見れば、他のマイナデスにも動揺が広がっている。彼女らも同じように攻撃し、それぞれが跳ね返されたのだ。
「右へ回頭!! 再突撃せよ!!」
兜の先端に羽根をあしらった隊長格の指示に従い、騎士たちは右へ大きく曲がって馬首を巡らし、再び槍先をマイナデスに向ける。
「――!!」
ぞわり、オデッサが総毛立つ。
怪力無双のアドバンテージがなくなれば、パワーバランスは一気に崩れる。
「散開しな!! ひとつところにとどまるな!!」
指示はしかし間に合わない。騎士たちの密集突撃をもろにくらったマイナデスは、少なくない人数が騎槍の穂先にかけられた。初撃を躱した者も、ショートソードなどのサブウェポンによる攻撃を受け、あるいは馬蹄にかけられた。
「くそっ!! 脚だ!! デカいのは足元がお留守なんだ!! 馬の脚を狙え!!」
オデッサは下知しながらスライディング気味に騎馬に突っ込む。本体が無事でもあの重い鎧だ。機動力さえ奪ってしまえばなんとかなるとの発想だが……。
ガキッ。
「――!?」
いつもなら容易く切り裂けるはずの馬の脚が異様に硬い。重く、1ミリたりとも動かない。皮下の筋繊維が密集し、必殺の爪の一撃を通さない。
(こっちもかよ!?)
「だめだ!! あんたたち――!!」
悲鳴のようなオデッサの声は、続いた馬蹄や槍の突き下ろし、マイナデスの悲鳴にかき消された。
「落ち着け!!」
オデッサの混乱を察した薫が、今まさに貫こうとした騎槍の一撃から彼女を救う。横っ飛びにかっさらって、そのままの勢いでごろごろと地面を転がり、距離をとった。
「くそ!! 離せ!!」
「――落ち着けっての!!」
暴れるオデッサを地面に抑えつける薫。
「よく見ろ!! おまえが適当な指示を出した結果だ!!」
顔を掴まれ持ち上げられ、無理やりに見せつけられる。ほとんどのマイナデスが、爪の一撃も膂力の優位も効かない騎士たちにいいように屠られていく。
「くそ……こいつらおかしい!! 人も馬も、何かに操られてるみたいに迷いがない!! そのくせ硬くて馬鹿力で攻撃が通じない!!」
「だからだろ!! 無茶したって仕様がねえだろうが!! 空手だってそうだ!! 力とスピードで攻めるだけが能じゃねえ!! 控えて打つとか守りを固めるとか、勝てねえと思ったら色々やり様はあるんだよ!!」
「――ルシール!!」
ぎりぎりまで騎士との力比べに抗していた悪食ルシールの脇腹に、両脇から騎槍が突き立つ。
「……ぐっ!!」
血を吐いたルシールは、しかし両脇の筋肉を引き締め抱え込むようにし、騎槍を離さない。束の間オデッサを見つめ、最後の力を振り絞って叫ぶ。
「逃げなオデッサ!! 姐さんと3人で、世界の果てまで!! あたしたちはどうでもいい!! 主上さえいれば、あとはなんでもなる!!」
声を上げれば力が抜ける。筋肉が緩めば騎槍が抜ける。その後も何度も騎槍を突き込まれたルシールは、体中に穴を穿たれ、血の海に沈んだ。
残りはオデッサとコロラゼのみ。14人いた仲間はもう、ふたりだけだ。
「はああぁなせえええ!!」
オデッサは叫ぶ。しかし体の使い方を心得ている薫の抑え込みは的確で、腕の一本たりとも動かせない。
「うるさいっての!! こちとら犬死するつもりはないんだよ!!」
「犬死だと!? 主上のために死すことこそあたしたちの名誉だ!!」
「馬鹿言うな!! ふざけんな!!」
「――!?」
オデッサの顔が、今度は無理矢理リュシオスのほうに向けられる。
「あれを見ろ!! 過去のおっさんはいまだに動けないんだろうがよ!! ここでとち狂ってどうする!! 玉砕か!? ふざけんな!!」
万年杉を背にしたリュシオスの顔は、未だ異様に青白い。意識を保つことすら危ういのにも関わらず、女たちの危機に際して、懸命の力を籠めて立ち上がろうとしている。爪を地面に突き立て、背を樹皮で削るが立つこと敵わず、血が出るほどに唇を噛みしめながら、オデッサたちを見ている。
「一緒に逃げるんだよ!! そう言っただろうが!! おまえがどんだけ無力だろうが、それぐらいは出来るんだろ!?」
「ふざけんな……!!」
リュシオスの眷属となってから数百年。これほどの屈辱も絶望も初めてだ。だけど罵倒の言葉はそれ以上続けられない。圧倒的な現実が、全身にのしかかる。
「おまえは犬なんだろうが!! すべてをあの人に捧げたんだろうが!! ならどんだけみっともなくても、たとえ仲間を失っても、やることはひとつしかねえだろうがよ!!」
騎士たちは、騎槍をかいこみ横一列に並んでいる。リュシオスを含めても残り数人。必殺の初撃で全滅させようと機を窺っている。騎馬たちはいななきを上げ、馬蹄を地面に打ち付け、無力な女どもを見下している。
「立て!!」
薫に引っ張られ、オデッサは立ち上がる。足が震えている。歯の根が合わないほどに震えている。大量の汗が、とめどなく体奥から溢れ出す。それは恐怖だ。リュシオスの加護を得てなお敵わない騎士たちに身を晒し、敗北することへの恐怖だ。負ければどうなる? そんなことは考えるまでもない。
(動け!! 動けよ足!! 出ろよ声!! こんなやつに言わせておいていいのかよ!! あいつらを殺すんだ!! 引き裂いて噛み千切って食い殺すんだ!! あたしは誰だ!? 主上のなんだ!? なんのためにここにいる!?)
しかしオデッサは動けない。がっくりとうなだれ、何かに憑かれたように地面を見つめている。仲間たちをなすすべなくやられた現実が、彼女の足を竦ませている。
瞬間――ふたりの脇を、誰かが通り過ぎた。
40がらみの、背の高い男である。髪もぼさぼさ、髭もぼうぼう。服装も、どてらにスウェットに健康サンダルときては、お世辞にも見栄えがいいとはいえない。
肌は白、髪は白に近い金髪。目の色は青。顔の造作も整い彫りも深く、きちんとしていれば女性にモテそうな、様々な条件を整えていた。残念なことに、きちんとしていなかった。
きちんとはしていなかったけど、彼女たちはその男から目が離せなかった。よく見れば愛くるしい男だった。だらしなさも美点に変えてしまうような、天然の愛嬌があった。自分の包容力で包んであげたい。脳髄がとろけるまで愛してあげたい。そう思わせる何かがあった。
「――おっさん!?」
「――!?」
薫が悲鳴のように叫び、オデッサは弾かれたように顔を上げた。
懐手のまま、酒神が飄々《ひょうひょう》とふたりの脇を通り過ぎた。目の前には迫りくる馬蹄の群れがある。穂先に血肉を絡めた騎槍が鈍く煌めいている。
「……アフロデーィテの島。ムーサイの座。どこよりも美しく、オリュンポスの山の斜面に位置する厳かな所。ブロミオス。そこでおまえは、密儀を行うことを許される。雨を知らない百の河口を持つ異国の流れが豊かな実りをもたらす所にて、我と我が身に忠誠を尽くすことを許される……」
酒神が低くつぶやいた。秘儀の呪文だ。バッカスにすべてを捧ぐ女たちを無敵の存在に変える、魔法の言葉だ。
「オデッサ。コロラゼ……」
オデッサは、呆然と酒神を見つめている。遠く離れたところで夏帆と共にいるコロラゼにも、きっとその声は届いている。
「……ありがとう。よく尽くしてくれました」
背中が泣いていた。戦場の風を受けて、ひょろりと高いところにある肩が震えていた。顔を見なくてもわかる。あの人が、どこまでも自己中心的で傲岸不遜なあの人が、幾千の夜を超え、自分たちのために泣いている――
「姐さん!!」
「オデッサ!!」
コロラゼとオデッサが同時に叫ぶ。身を寄せ合いたかった。ふたり抱き合い、己が身に起こった幸運を噛みしめ合いたかった。
「……なに泣いてんだよ」
薫が肩を組んできた。猫科の肉食獣のような、およそ女性らしくない体だ。
「――ちっ」
オデッサは舌打ちした。
「……あんたにはわかんないだろうさ。あの人が言ってくれたことがあたしたちにとってどれだけ嬉しいことか」
「は?」
「別に知らなくたっていいんだよ。これはあたしたちだけが知ってりゃいいんだ。あの人と過ごしてきた年月は、あたしたちだけのものだ。独占だ。なあ、そうだろ姐さん――」
後半はコロラゼに向けた言葉だ。見なくてもわかる。たぶん向こうも同じことを思っている。主上に愛されることは、マイナデスにとって何よりの幸福なのだから。
(過去も未来もあるもんか。たしかにそうさ、その通りだ。だけどさ、この幸福を抱きしめるぐらいのわがままは許されるだろ? いつかあの人が歳をとって、あたしたちに感謝してくれるんだって。実は今まさにしてくれてるかもしれないんだって、想像するぐらいはしてもいいだろ――?)
いつの間にか、声が出るようになっていた。オデッサは両の足で力強く地面を踏みしめ、愛しい人の後ろ姿を見つめていた。




