第26話「ドリームメイカー篇⑪。バッカスについて⑤。空手について②」
アウラ:アルテミスの同行者。風のように速い足を持つ。後にバッカスと結ばれることとなる。
パレーネー:トラキアの王の娘。あまりの美しさに求婚者が絶えず、彼女と戦って勝った者と結婚するとして、多くの求婚者を殺害した格闘姫。バッカスに格闘で負けて結婚。
ニカイア―:男女の愛を嫌い、森の中で狩猟生活をすることを好むニンフ。後にバッカスと結ばれることになる。
アウラが夏帆。パレーネーが薫。ニカイアーが千鳥にそれぞれ対応しています。ニカイア―の「男女の愛を嫌い」ってのはそういう意味じゃねえよ。というツッコミは置いといて、さすがバッカス。公式がハーレム主人公。
~~薫~~
空の手と書いて空手。だから空手は素手の格闘技。というのは大いに間違いである。
空手は沖縄に伝わる手と中国の武術が融合して生まれた。琉球時代に薩摩藩に武器の携帯を禁じられ、そのことが空手イコール素手の武術という誤解を招いた。実際には武器術は空手において欠かせない両輪であり、鉄甲、トンファー、棒、釵、鎌、鎖分銅、櫂、盾鉾など術技の体系は無数にある。
沖縄はもとより本州においても、琉球古武術の一形態として武器術を指導する組織はある。数は少ないし、指導を受ける資格のある者はなお少ないが(帯の色や空手歴、本人の資質性格までも問われる)、今もなお連綿と受け継がれている技術である。
六道会においても、武器術を使える者は少ない。道場主と師範と師範代、幾人かの高弟。薫は暴力的思想傾向から資質を危ぶまれたが、熱意と努力により直伝を得た。
「……あっはっはっは!!」
薫は後ろ帯に挟んでいた釵を両手に構えると、大いに笑った。雲霞のように迫る矢群を前にすると、身の内から震えるような喜びが湧き上がってくる。
「……恐怖で気でもフレたかい」
オデッサがうろんげな目を向けてくる。
「ばあーっか!! 逆だよ!! オレはこういうのを待ち望んでたんだよ!!」
直後、矢が殺到する。
薫は臆することなく矢を釵で縦横に薙ぎ払った。釵という武器は、簡単に言うなら長い十手である。その特殊な形状から、突き、打ち、払い、引っかける、投げるなど様々な働きが出来る。特に、逆手で持って肘の先まで防御してから瞬時に順手に持ち替えて攻撃に移行する等の特徴的な動きは、ちょっと他の武器には真似できない芸当だ。
とはいえ、十分な高度を得て、重力を味方に落下する飛翔物体を薙ぎ払うなど人間業ではない。今の薫にそれが出来るのは、仮初めとはいえ他の女信徒達と同じようにバッカスの力を得ているからだ。秘儀を経験した彼女はの動体視力と反射神経は、今や人間の成し得る極限まで研ぎ澄まされている。
「いいぜいいぜいいぜいいぜー!! どんどん来い!! 降ってこい!! あーっはっはっはっは!!」
次なる矢群を払いながら、隣で矢を打ち払っているオデッサの脇腹に足甲を飛ばす。
「ちっ。癖の悪い足だね!!」
舌打ちしながら、オデッサは最小の動きで蹴りを躱す。そのまま流れるように体を回し、地を這うような足払いでお返しすることも忘れない。
「ほらほら、足元がお留守だよ」
やはり足元への攻撃に弱い薫だが、オデッサにもそれほど余裕があるわけではなく、追撃はこない。
第3波の矢群到来。
「はっはっ!! いいねー。これならどうだよ!!」
――キン。
物打でピンポイントに鏃を弾き、あるいは左右の翼で引っかけて、オデッサへ向けて矢を跳弾させる。
「くっ」
角度の違う攻撃に手間取るオデッサ。一本目は何とか躱したが、二本三本と飛んでくる矢が頬や腹を掠める。服が破け、切り傷から出血する。
「せっ――!!」
射撃の隙間に素早く間を詰めた薫は、思い切り大地を踏みしめ腰を入れ、オデッサの胴を分断する気持ちで中段回し蹴りを放った。躱されれば即ピンチになるような渾身の一撃。オデッサにそんな余裕がないとの計算からだ。
「ぐ……っ!!」
その通りオデッサに余裕はなく、やむなく重い蹴りを腕でガードした。体重の軽いオデッサは、勢いで飛ばされた。薫から見て、ちょうど矢群の方向に押し出された形になる。
そこへ第4波の矢群到来。
空を埋め尽くす矢の群れを、薫はオデッサの後ろで待つ。
「てめえっ……!!」
腹背に敵を持つ形になったオデッサ。
「おまえは頭がお留守だよ!!」
「当てこすりたあ陰湿な野郎だね!!」
犬歯を剥き出しにして吠えるオデッサ。矢を打ち払いながら薫の攻撃を捌くことはとても出来ず、肩と太腿に矢の直撃を受け、肝臓への釵の払い打ちをもらってしまう。
「あ……ぐっ!!」
人体構造の基幹部分と内臓へのダメージ。オデッサの顔が苦痛に歪み、膝をつく。
「今のは効いたみたいだなおい!!」
手先に伝わった、肉を打つたしかな感触に薫は痺れるような感慨に浸った。
「さあ立てよ!! おまえらはまだまだこんなもんじゃないんだろ!?」
煽るが、オデッサは顔を青くしたまま立ち上がろうとしない。
「――バカな……この程度で……」
体を休めているわけではない。懸命に力を籠めるが、体が動かないのだ。無尽蔵の体力と圧倒的な膂力と、人間の限界を超えた反射神経と動体視力と敏捷性と。それらを兼ね備えたマイナデスに刀槍は効かない。効かないはずなのだ。バッカスある限り。
「リュシオス様……!?」
薫がオデッサの目線を追うと、万年杉の根本にリュシオスが横たわっている。傍らにはコロラゼがいて、必死に介抱しているが、表情は依然険しい。
マイナデスはリュシオスの加護があって生きている。当然の帰結として、リュシオスが弱れば加護が薄れるし、死ねば道連れは免れない。
他のマイナデスも苦戦を強いられている。体の随所に矢を受け、随分と動きが鈍っている。
「……なんだ? あっちの若いおっさんは死にかけてるのか?」
「バカを言うな……!! んぅ……ぐっ!!」
必死に反駁しようとしたオデッサが、痛みのために顔をしかめる。
「――ちぇ。つまんねえの」
薫はこれ見よがしにため息をついた。
「突いても蹴っても死なねえ化け物が14匹。なんていうから来てやったのにさ。だからあんなことまでして――ま、それはいいとしても」
「……?」
ふて腐れるように毒づき、一瞬恥じるように身悶えた薫の心の動きはオデッサには伝わらなかったようで、いぶかしげに眉をひそめている。
「ともかく。だ」
「――!?」
薫はオデッサに背を向けた。戦いの最中に敵を向けるという非常識な行動に、オデッサが思わず息を呑む。
ごきっ、ごきり。
拳を鳴らし、横一列に吶喊して来る騎士達を見据え、つぶやく。
「その状態のおまえに勝っても弱い者いじめみたいで嬉しくはねえな。全部終わったら、仲良く再戦といこうじゃねえか」
~~酒神~~
「アウラの生まれ変わりにパレーネーの生まれ変わりたあご機嫌じゃねえか。未来の」
「ニカイアーもいますよ」
「……へっ、そいつは豪儀な話だ」
「リュシオス様!! あまり喋ってはお体に触ります!!」
コロラゼが悲鳴のような声をあげる。
「気にすんな。コロラゼ。神がこの程度でやられるかよ」
「しかし……!!」
「おまえはあっちの嬢ちゃんを診てやんな」
「な……!?」
驚愕の表情を浮かべるコロラゼ。
「仕方ねえだろうが。この毒は男殺しの毒だ。俺たちは近寄れねえし触れねえ。おまえにしか出来ないことなんだよ」
「嫌です!!」
強くかぶりを振るコロラゼを、リュシオスは力ない瞳で見据える。
「……頼む」
命令ではなかった。青ざめ、血の気のないリュシオスの顔にあるのは懇願だった。
「ぅ……!!」
コロラゼの体がぐらりと揺らぐ。
「わかり……ました……」
拳を強く握りしめ、動こうとしない足を二、三度殴りつけ、無理やり自分を奮い立たせてリュシオスの傍を離れるコロラゼ。
ふらつくコロラゼの後ろ姿を見送りながら、酒神はしばし感慨に耽る。
「……」
「……なんだよ。懐かしんでんのか?」
「たまにはいいでしょう。彼女らとはもう何百年ぶりかの再会なんですから」
「てことはおまえの時代にはあいつらはいないってことか。どうしていなくなったかは聞かねえが……」
「――彼女らはよく尽くしてくれました。だからこそ、ここで死なせるわけにはいかないでしょう」
「へえ、やれんのかい? 未来の。そんな平和ボケした面で」
リュシオスが面白そうに眉を開く。
「たしかに未来において、僕たちへの信仰は薄れています。必然、神としての力も薄い。戦は僕らの手を離れて久しい」
酒神は目を閉じる。居酒屋の看板に、様々な意匠の片隅に、店名として、あるいは商品名として。バッカスの名前は今やその程度のものとなっている。多くの信徒を抱え、季節ごとに祭が行われ、宗教の主神として崇め奉られていたあの頃とは違う。
下々の人間の間に臨在し、酒を呑み歌うという卑近な存在の神。人々の鬱屈した気持ちを解放する者。
「でもね。戦神としての神格まで失ったわけじゃない。力を振るう気になれば振るえる。そうする必要がなかっただけで」
「御託はいいからさっさと行って来い。俺の女を残らず救って来い」
――バヂッ。
酒神の両手に雷が宿る。主神より託された雷霆だ。
「はは、言われるまでもないですねえ」
酒神はいつも以上にへらへらとおちゃらけた表情をしているが、内心は違った。ドロドロと腸が煮えくり返っている――かつての女たちが矢を受け、槍で追われ、痛みに喘いでいる。薫がオデッサを庇いながら乱戦の中に身を置いている。コロラゼに介抱されている夏帆は、涙を流しながら身を蝕む毒に苦しめられている――。
「……おまえ、怒ってんのか?」
「当たり前でしょう。僕の女を傷つけた者を、生かして帰しはしませんよ」




