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第23話「ドリームメイカー篇⑧。グリューワインについて①」

個人的に一番好きなワインはこのグリューワインです。基本的に寒い時期の呑み物なので、店頭買いではなく通販のほうが割合が多いですが、送料を余分に払ってでも呑みたい一品です。シナモンの香りと仄かな甘みが癖になります。

 ~~ケイン~~


 ――ホップが使用される前のビールには、味付け香り付けのためにグルートが使われていた。薬草や香料を混ぜ合わせたもので、この種のビールをグルートビールと呼ぶ。ワインにおいてはグリューワインというものがある。香草や砂糖、蜂蜜などをブレンドしたもので、作り手によって風味の違いがあるのが特徴だ。ピンキリだが、中世においては貴重だったシナモンやクローブ、時にコショウ(!)などを加えたものは、富裕層の呑み物だった。

 一般的には温めてホットワインとして呑むが、冷酒でも十分に旨い。シナモンの香りと加糖による甘味が独特で、固定ファンが多い。特に女性には人気が高い――


 領主の間に、ケインは控えていた。片膝をつき頭を下げ、赦しを待つ。

 公明正大で賢君と名高かった前領主と違い、当代は暗愚でうらなりだという評価だった。グリムシャーク始め武官もそうであったし、内政面での手腕にも辛辣な意見が多く上げられた。

 最大の問題点は、浪費家ということであった。連日連夜酒宴を張り、フランスより輸入した酒を呑み、高価な香草をふんだんに使った料理を好んだ。一度の酒宴では消費しきれぬほどに量を並べ、余ったものは下賜するでもなく家畜の飼料にするですらなく、ばっさりと棄てさせた。勿体ないと持ち帰る者がいれば、盗人として容赦なく処断した。


「……ライナスの息子ケイン。面を上げよ」

 櫛を擦り合わせたような気味の悪い声音で、領主カリエスはケインの名を呼ぶ。

 痩せぎすの男だった。日々美酒美食に溺れているにも関わらず、身に一片の贅肉もついていない。といって、筋肉に転化しているわけでもないようだった。頬はこけ、手甲には皮が貼りついている。豪奢な衣装を脱げば、肋が浮き出ているに違いなかった。呆として定まらぬ視線といい、ぐしゃぐしゃに散らかった金髪といい、まるで悪魔に取りつかれた人間のなれの果てのように見えた。

 グリムシャークはうらなり坊っちゃんと呼んでいたが、ケインははっきりとカリエスを恐れていた。


 グリューワインを一口啜ると、カリエスは口を開いた。

「そなたは騎士隊長グリムシャークに従い酒神リュシオスを標榜する男を討ちに出、逆に男の部下たちの奇襲に遭い、全騎を失い帰城した。相違ないな」

「……は」

「それらは全て騎士隊長グリムシャークの独断であったにも関わらず、余に報告を怠った。相違ないな」

「は、しかし――」

「相手は全て女であり、寸鉄も帯びていなかった。騎士たちは完全武装の戦支度であり、言うならば、余の名を地に貶めた。相違あるまい」

「魔女だったのです!!」

 血を吐くような思いで叫ぶ。

 反発するなど考えられないことである。独断専行して領主の名を辱しめた。本来なら死罪となっても仕方のない重罪である。

 だがケインは退かなかった。無惨に散った仲間のためというだけではない。ひとりだけ生き残ったという負い目もある。ことにグリムシャークの、ケインを餌にして己が保身を計った男の今わの際の悲鳴が頭にこびりついて離れない。残響が身を焼き焦がし、じっとしてはいられない。


「……ふむ、魔女か」

 カリエスはケインの言葉を聞き、思案深げな表情になった。顎に手をあて、宙空を見つめる。ケインの無礼を咎める気配はない。というよりは眼中に入れてすらいない。 

「なあ、コロスさん」

 カリエスの問いかけに応じたのは闇だ。いや、灯りの届かない部屋の隅の暗闇の中に埋もれた黒色のローブだ。コロスと呼ばれたその者は、頭からローブを被り、いつの間にかそこにいた。

「……お呼びで」

「魔女の髄よりとったスープは美味だと言われましたな」

「至上の美味にございます」

 コロスは女だった。押し殺しているため声だけでは判別出来ない。若いようにも年老いているようにも感じられた。

 前領主が亡くなるのと前後して、カリエスの側に怪しげな黒衣の女が仕え始めたと聞いたことがあったが、その人物であろうと推察された。

(今……髄といったか!?)

 ケインは耳を疑った。幼少の頃より、武より学にて身を立てることを望んでいた男である。人間の身体に関する知識はあった。「人体の構造」を著したベサリウスの誕生はもう少し先の話だが、15世紀においても解剖学は存在した。ヨーロッパの医学は宗教上の問題によりアラビア医学に遅れをとってはいるが、骨の中に髄があるという知識くらいはケインにもあった。

(人の髄を食うなど……たとえ魔女のものであろうが、考えられん……)

 そっとカリエスの表情を窺うが、冗談で言っているようには見えない。ぞくりと、ケインは背筋を震わせた。

「コロスさんが言うならばそうなのだろう」

 カリエスは頷くと、存在を思い出したようにケインを見た。

「そうだ。そなた、魔女どもを討ってまいれ。いくら兵を引き連れても構わん。手段も選ばん。14人の魔女を残らず討つことが出来た暁には、報奨を与え、騎士隊長の座をも与えよう」

「出来れば原型をとどめたままで……」

 コロスが囁く。

「そうであった。折角の馳走。骨一片髄一本たりとも無駄には出来ぬものな」

 カリエスが鷹揚にうなずく。

 悪い夢を見ているような気持ちで、ケインはその場に佇んでいた。


 ~~夏帆~~


「……本当に大丈夫なの? これで」

「大丈夫!! 親分手製の軟膏だから!! よく効くぜー!!」

「効くぜ効くぜー!!」

 アルとフロールに勧められるまま、得体の知れない軟膏を肌に塗り込む夏帆だ。

 リュシオスがキャンプを張っている森は通称妖魔の森とも呼ばれ、地元の人間も寄り付かない不気味な所だ。道中、とくに肉食動物に遭遇する危険がある。そこで出番なのが、この獣除け魔除けの軟膏だというのだが……。

「うう、なんかネズミの糞みたいな臭いがする~」

「嗅いじゃだめだよナツーホ!! 獣も避ける臭いなんだから!!」

「避けるんだよ!!」

「だから臭いのか。まあそういうものなんだろうけどさ~」

 夏帆は顔をしかめながら軟膏を擦り込む。白くて、べたべたと油っぽくて、なるほど、こんな臭いのする生き物を食べたいとは獣も思わないだろう。


「場所はわかったか!?」

「わかったか!?」

「んー。だいたい。万年杉の下よね?」

 この位置からでもうかがえる巨大な万年杉の下に、開けた空間があるのだという。リュシオスがキャンプを張るならそこだろうとクラレットは言っていた。

「どうしてそんなところに……」

「知るかよ!! 親分に聞けよ!!」

「聞けよ!!」

「うーん……」

「騎士を逃がした責任とるんだろ!?」

「とるんだろ!?」

「そりゃそうなんだけどさ……」

 怪我をおして領主の館へ戻ったケインは、去り際に捲土重来を仄めかした。今度は騎士だけでなく歩兵弓兵まで含めた完璧な布陣で来るという。必ず魔女どもを、魔女を操るあの男を討伐すると言っていた。夏帆が止めても聞かなかった。むしろ逆効果のようで、闘志に火をつけてしまった。

 クラレットはケインの後を追い説得に行ったが、未だ戻っていない。


 家の外に出ると、東の方角からすでに太陽の端が顔を覗かせていた。

 ケインが出て行ったのは夕方だったか。討伐隊を編成し、軍を整えるまでにいったいどれだけの時間が必要なのかは夏帆にはわからないが、距離が距離だけに、それほどの余裕はないだろうと思われた。

 もうじき軍が襲来し、リュシオスの命が危険に晒される。あの晩出くわした供回りの女性たちも含めて、本格的な軍勢相手ではおそらく勝ち目はあるまい。

教授せんせいが……死ぬ?)

 それは恐ろしい想像だった。

 未だに現代への帰り方のわからない状況にあって、手掛かりであるリュシオスを失うのは夏帆の詰みを意味する。それよりなにより、どんな姿形をしていても酒神さかがみである。間違っても傷ついて欲しくない。

「こうなりゃやるしかないか――うし、やろう!!」

「ナツーホ!! 行けるか!?」

「走れるか!?」

「おうよ!!」

 ふたりの声援を受けて、夏帆は長いスカートの裾を引き裂き、両脚を膝上まで露出させた。余った布を鉢巻のようにして頭に巻いた。

「おおう!!」

「わお!!」

 左足を前に、右足を後ろにしてゆったりと構える。かつていくつものレースに出た時のように、鼓動が高鳴る。こめかみが痛いほどに脈打つ。

 現代のシューズやウェアに比べれば、鹿皮の靴は柔らかすぎて頼りない。服だって、通気性も動かし易さもまったく考えられていないような設計だ。

 でも、走るのだ。酒神のために万里を越えて。

 夏帆は頬を叩いて気合を入れた。

「やる気!! 強気!! 元気!!」

 魔法の言葉を唱える。

 アルとフロールが大声を出す中、夏帆は地面を蹴り、一路、妖魔の森へと向かって走り出した。

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