第22話「ドリームメイカー篇⑦。バッカスの信徒について②。飲酒と怪我の関係①」
~~疾駆する猟犬たち~~
最初の犠牲者になったのは、斥候に立っていたグロックとアベルだった。グリムシャークの指示を聞いたふたりは馬首を巡らそうとして、無用心にも銀髪の女に対して後ろを見せた。
女は、名をオデッサという。小柄で妖精のように可愛らしい見た目だが、猟犬たちの中でもっとも残忍な性格をしている。
オデッサは軽やかに宙を跳ぶと、手近にいたアベルの背後に立った。
「――!?」
振り返る間も与えない。アベルの頭を後ろから両手で挟み込むと、一呼吸で捻じ切った。
捻じ切るなり、次の目標へ跳んだ。
グロックは、同僚の首が1回転したのを茫然と見ている。鎖帷子が皮膚ごと雑巾のように絞られ、頸椎が折れるのを実際に目の当たりにしても、それが現実のものと信じられないようだ。
オデッサはグロックの馬首に立ち、至近距離で見下ろした。
グロックはそこで初めて心底からの恐怖を感じたようで、「うわああぁあ!?」と悲鳴を上げながら騎槍を構えた。構えたが、しょせんは突撃用の武器である。突き刺すには距離が足りない。騎槍を捨て長剣を抜けばまだなんとかなったか、武器を捨てる決断をする勇気はなかったようだ。
騎槍を介しての力比べとなった時点で勝負はついていた。見た目に反して膂力抜群のオデッサに圧され、逆に騎槍で喉元を潰され、悲鳴を上げることさえ出来ずに頸椎を折られ絶命した。
「なんと他愛のない。殿方はやはり強くあられねば……」
低く嘲笑いながら、他の戦況を見やる。
「槍を捨てろ!!」
グリムシャークの大音声で、何人かの騎士が槍を捨てている。
「剣を抜け!!」
次のセリフを吐く間に、いち早く槍を捨てた騎士たちは剣を抜くことができた。最初の言葉に反応出来なかった騎士の辿る道は、グロックのものと変わらない。あっさりと女信徒達に接敵を許し、純粋な力比べとなって敗北した。骨を折られ、血管を切り裂かれ、無惨に倒れ伏していく。
力比べに負けなかった騎士がいるのが興味深かったので、オデッサはそちらを見やった。
怪力自慢で鳴らしたロデールという男だ。酒樽を持ち上げ、牛との押し合いにすら勝てると常日頃自慢していただけに、女相手にも容易く圧しきられはしない。
女は長い金髪をうなじのところでヘアネットでまとめている。すっと鼻筋の通った、エルフのように線の細い女だ。名はルシール。
「ふざけやがって女が……!!」
ロデールが顔を真っ赤にする。腕に血管が浮き出る。騎槍をルシールの喉元に押し付け、潰してしまおうと力をこめる。
「ぐ……!!」
ルシールがたまらず身を反らすのを、ロデールは器用に騎槍で手繰り寄せ持ち上げ、身体の前で後ろから抱き締めるようにした。そのまま騎槍で首を締め上げる。
「はっはっはー!! しょせんは女!! 大したことねえなー!!」
勝利を確信し、嘲笑う。
ガリッ。
急に手に力が入らなくなったのを訝しんでいると、
「――!?」
ガリッ。
再び同じ音が響いた。
「お、おい……冗談だろ!!」
指がルシールに食いちぎられていた。すでに両手の小指が失われ、突き放した時には薬指が2本、ルシールの口元に覗いていた。
ルシールは再びロデールに向かい、騎槍を介しての力比べを挑む。
「ちょ、ちょっと待てよ……な!?」
今度は状況が違う。力の源である指をなくしては、自慢の怪力も出しどころがない。
「あははは!! さすがは『悪食ルシール』!!」
オデッサは仲間の活躍を手を叩いて賞賛した。《生きた牡牛を真っ二つに引き裂く》スパラグモスの膂力と、《獲物を生のまま喰らう》オーモファギアの咬筋力は、どちらもマイナデスの特徴的な能力だが、ことルシールに関してはオーモファギアのほうが上回る。生きた人間を戦いの最中に徐々に徐々に食い尽くすのだから趣味が悪い。
「やめろおぉぉぉぉ!!」
順番に腕をもぎ取られ泣き叫ぶロデールに、もう未来はない。ルシールの口からは、命の証である真っ赤な鮮血が垂れている。
オデッサが戦場の中心に向かうと、そこにはグリムシャークと抜剣した騎士たちがいた。
剣があるといっても、それほど優勢に戦いを進められているわけではない。木立と藪に囲まれた中では長剣は取り回しづらいし、マイナデスたちは天地縦横に攻めてくる。騎乗の優位が生かせない。むしろ死角が多い分苦しい。
開けた場所を見つけるなり、グリムシャークが声を飛ばした。
「円陣を組め!! 背後をとられるな!!」
円を描くように常に移動しながら、互いの死角をカバーし合いつつ守りに徹する。そして脱出の機を窺う。グリムシャークの指示は的を射ている。
「……ふうん、やはりあんただけはマシだね」
コロラゼが感心したように口笛を吹く。
「黙れ魔女が!!」
グリムシャークは怒鳴り、背に負っていた弩弓をコロラゼに向かって放つ。
必殺の一射は正確に眉間を捉えたる軌道にあったが、目標に到達する寸前にコロラゼの手に掴まれていた。
「ざーんねん!! あたしら撃つんなら単発じゃ無理さ。全員一度に狙わなきゃ!!」
口が裂けんばかりに笑うコロラゼ。他の女たちもニタニタと嘲笑うようにグリムシャークを眺めている。
トン。
笑い声に紛れるようにして、オデッサが樹上から円陣の中心に降りたった。
『――!!』
騎士たちが騒然となる。これでは円陣を組んだ意味がない。内と外の対立関係のみに集中できるからこその円陣の利点がすべて消し飛んだことになる。
「殺せ!!」
グリムシャークが叫び、騎士たちの一部が長剣を振るうが、オデッサは手近にいた騎士の足を掴み、強引に引きずり降ろして盾とした。
「ぐむ……!!」
一瞬で鱠に切り刻まれた騎士は絶命した。喉仏から漏れた末期の呻きが、戦いの均衡の破れを告げていた。
「エウ・ホイ!!」
オデッサが声を上げると、
『エウ・ハイ!!』
マイナデスが応えた。
これはバッカスを讃える呪文のようなものだ。
「いーい仕事するじゃないかオデッサ!! みんな、一気に畳み込むよ!!」
『はいよ!! 姐さん!!』
均衡は崩れた。無理矢理にでも脱出するしかない。グリムシャークは迅速に決断を下した。
「全員弓を構えい!!」
騎士たちが、指示に従い弩弓や長弓を構える。グリムシャークも隙を見て弦を巻き上げておいた弩弓を構える。
「血路を開くぞ!! 合図で一斉に撃て!!」
囲みの薄い場所を見てとると、グリムシャークは合図の剣を振り下ろす。
「撃て!!」
ドドドッ!!
狙い過たず、騎士たちによる集中放火がふたりのマイナデスを射抜く。
仕留めたかどうか確認する暇はない。とにもかくにも空いた隙間に馬首をねじ込む。
「続け!!」
木立の間を縫うように、全馬一斉に駆け出す。窮地にある騎士が救いの手を求めてくるが、「後ろを振りかえるな!!」とグリムシャークが一喝し、横合いから突っ込んできたマイナデスに剣を持って立ち向かう者がいるのを「相手にするな!! 馬の勢いで振り切れ!!」と諭す。
まっしぐらに脱出することのみを命じていても、そこは人間であるし、咄嗟の判断ということもある。ひとりまたひとりと討たれ、脱落し、いつの間にか、グリムシャークは自分たちが2騎しかいないことに気がついた。
「ちっ、まさかおめえが最後まで残るとはな……」
「……はい、すいません……」
顔面蒼白のまま、ケインが答える。
「ロデールあたりがいりゃあちっとは心強いんだが。おめえじゃなあ……」
「……」
開戦初期から逃げに徹していたケインは、まったく傷を負っていなかった。もともと戦いが苦手で、馬に乗って駆け回ることが唯一の楽しみだった男だから、木立の中にあっても、マイナデスの攻撃から逃れることが出来た。小回りの差があるとはいえ、速度だけで比べるならやはり馬の方が速いのだ。
「……このあと、どうするんですか……?」
「ああ? そりゃおめえ、城に戻るのよ。あのうらなり坊ちゃんに頭下げるのは業腹だがしかたねえ」
「城に……」
「――戻れりゃあな」
いきなりグリムシャークが剣を振るった。狙いは、ケインの馬の手綱と鐙。
「な――!?」
突如足掛かりを切り払われてバランスを失ったケインは、手綱まで離してしまう。馬首に掴まり、落馬だけは免れたが、急激にスピードが低下する。
「普段ならともかく、鎧着て裸馬ってのはきついよなあ……」
まったくの他人事のような口調でグリムシャーク。
ケインは馬のたてがみを掴み、腹を蹴って体勢を立て直すが、一瞬の速度の低下はマイナデスの追撃を許してしまう。
振り返ればそこにコロラゼの姿があって――。
~~夏帆~~
クラレットの家に連れ帰った兵士は、ケインと名乗った。ケインの話によると、リュシオスの供回りの女性たちを襲い、彼らは逆襲を受けた。
「それで、ひとりだけ生き残って……?」
「ええ。隊長が僕を助けてくれて……一人だけ先に行けと……」
藁のベッドの上で、ケインは虚ろな表情を浮かべている。衝撃で心を失ったような、そんな危なっかしい顔つきだ。
(体の傷より心の傷だなあ……)
夏帆は思った。
ケインの体にあった傷は、打撲に切り傷、どれをとっても浅いものだった。水で傷口を洗い、クラレットの用意した秘蔵の軟膏を塗って包帯を巻いて、安静にしていれば数日後には治るだろう。
だが心の傷は治らない。その場で治って見えたとしても、何か月後か、何年後に再発することだってある。
(何か、気が紛れることがあればいいんだけど……)
代償行為で構わない。心の痛みにとって代わる何かがあればいいのだが……。
「ふん。女を襲いに行ってやられるなんてのは、ただの自業自得だろうさ」
「クラレット……」
「そんなに構うことないよ。ナツーホ。そいつらは女の敵で、あたしらの敵なんだから」
憎々しげに吐き捨てると、クラレットは外に出て行った。
「…………」
微妙な気持ちなんだろうなあ、と思う。大好きなリュシオスの、それも自分がなりたがっていた供回りの女性たちを襲おうとして返り討ちにあって「魔女」呼ばわりだ。
(仲間の騎士がやられたっていうけど、そんなこと出来るのかなあ……)
完全武装した騎士たちを、ほぼ同数の女が切り裂き噛みつき食い殺した。あまりにも突飛な話すぎて、にわかには信じがたい。
「ぐ……うっ!」
上体を起こしたケインが、痛みを堪えている。
「ちょっと、寝てなきゃだめですよ!」
夏帆が慌てて体を抑えるが、鍛え上げられたケインの体は重く、夏帆の力ではびくともしない。
「いや、いいんです。気にしないでください。この程度の傷で寝てられない。早く城に戻って報告しないと……」
「城に……報告……?」
城、と言われても現代人の夏帆にはぴんとこないが、でも王様がいて、騎士たちがもっといるんじゃないかなということぐらいは想像がつく。
「ええ。本格的に人数を集めて、あの魔女どもを根絶やしにしないと」
「……!!」
夏帆は息を飲んだ。もっと沢山の人数で再度襲撃する。そんなことをしたら女性たちは死ぬ。リュシオスだってただでは済まない。
「そっ……それ、待てないですか?」
「……待つ? 何を待つっていうんです」
「や……その……。自首を待つというか……」
「ジシュ?」
「だから……彼女らだって悪気があってしたわけではなくて……。不可抗力というか……正当防衛というか……。それにその……ケインさんも傷ついてるんだし……せめて治るまで……。あ、薬草酒とかありますよ? 傷口にお酒はダメかもしれませんけど……体は温まるし……」
――アルコールは傷の治りを遅くする。
これにはいくつかの理由があるが、主に血行の促進による出血の増加。胃や腸の粘膜を荒らすことによるカルシウムの吸収の妨害。利尿作用による水分不足とカルシウムの排出。肝臓で代謝される際に余分にタンパク質を消費する。自律神経に作用し、心臓諸器官の働きを鈍くする。等がある。
タンパク質とカルシウムは傷を治す元となる成分だし、自律神経の麻痺は治す速度をそもそも遅くする。傷を治したいのであれば、飲酒は控えなければならない――
すっと、ケインの目に生気が宿る。
「――ありがとう。優しい方だ。あなたは私の傷を案じてくれたのですね。でも大丈夫。これぐらいの傷。仲間が受けた痛みに比べれば大したことはない」
説得の甲斐なく、ケインは立ち上がって上着を着て鎖帷子を身に着け始めた。
「失礼、ナツーホさん。後ろをお願いできないか」
「え。あ、はい」
背中に回って鎖帷子の留め具を留めてやると、ケインはニコリとまだ幼い青年の表情で笑う。
「おい騎士さんよー」
「よー」
アルとフロールがケインの足にパンチをしている。
「ナツーホに惚れんじゃねえぞー。ナツーホはリュシオス様と聖婚するんだからなー」
「そうだぞー。この間男めー」
「――ちょ、ちょっとあんたたち」
夏帆が慌てるが、ふたりは気にせずまくし立てる。蹴ったり叩いたり、それ自体はケインにとっては痛くも痒くもないが、
「……その話、本当で?」
表情に厳しさが戻る。
「や、クラレットが勝手に言ってるだけで、あたしは別に……」
「……わかりました」
「……え?」
ケインは夏帆に向き直ると、痛みに耐えながら片膝をついた。
「え? え?」
ケインに手をとられた夏帆は困惑の極致に達した。
「貴婦人を守ることは騎士としての務めです。このケイン。必ずや難敵を打ち滅ぼし、ナツーホさんにその勝利を捧げましょう」
手の甲にキスをされ、「ええー!?」 と大声をあげる夏帆。
「それでは、どうか吉報を期待していて下さい」
颯爽と出ていくケインを見送り、
「……ふ、一皮剝けたな。あいつ……」
「もう教えることは何もないね。兄ちゃん」
ふたりが目をすがめたような、いい表情で語り合っている。
「男子としての階梯をひとつ登った今のあいつなら、神にも勝てるかもしれん……」
「うんうんっ」
「うんうんじゃないから!! 勝っちゃだめだから!!」
夏帆は頭をかきむしった。
(これ、代償行為じゃないかー!?)
心の叫びはむなしく、頭の中にこだました。




