第21話「ドリームメイカー篇⑥。バッカスの信徒について①。酒の美容への効果について①」
~~グリムシャーク~~
野を駆け、小川を飛び越え、15騎の騎士は進む。要所を金属板で補強した鎖帷子と軍衣に身を包んだ騎士たちは、騎槍を携行し長剣を佩きクロスボウを背負い、戦時並みの完全武装をしており、馬蹄の音も重い。
率いるのはグリムシャーク。イングランド王の下、戦場で名を馳せた歴戦の騎士である。
ではあるが、粗暴で野蛮で女癖が悪く酒癖も悪く、王の婢女を弄び、勢い余って殺してしまった廉で死罪となるところを、デスターの街の前領主に救われ、子飼いの騎士となった。
「いいんですか隊長。領主様はまだ手を出すなとのことでしたが」
部下のひとりが先頭を行くグリムシャークに話しかける。
「ふん。あんなうらなり坊ちゃんに戦事の何がわかる。リュシオスだかなんだか知らねえが、有無をいわさずぶっ殺しちまえばいいんだよ!」
「しかし神ですよ……?」
「神? 馬鹿かおまえは。信じるなそんなもん」
振り返ると、他の騎士も神妙な表情をしている。
「おまえら揃いも揃って大馬鹿だな! 神なんていねえよ! 毎晩毎晩ただ酒呑んでただ飯喰らって女を抱いて! そりゃあただの賊だろうが!」
「しかし皆、喜んでもてなしているという話ですが……」
「脅されてんだよ! そうでなくても『そういうこと』にしちまえ!」
それでも不安を隠せない騎士たち。
「――ちっ。いいか、よっく聞けよ。リュシオスの連れてる女は14人。どいつもとびっきりの上玉だそうだ」
「女……」
騎士たちの目の色が変わる。
「世界中の美女を集めたハーレムだって話だぜ? これで奮い立たなきゃ男じゃねえだろ! なあおまえら!」
『おう!』
ほとんどの騎士が欲望に目を曇らせたが、ひとりだけ小心の騎士がいた。
「魔女だという話ですが……」
――バッカスの女信徒は、バッカスの招来を願い様々な秘儀を行う。野山を駆け巡り歌い踊り、集団で忘我状態に陥る。動物に仮装したり、男根を模した石型を担いで回ったり、また一部では乱交のような行為も行われることがある。
その行為は異常であり、また魔女の夜会を想起させるものがある。マイナスを魔女と見なす風潮は当時からあり、宗教的迫害の対象ともなった。
イングランドは大陸から離れた地であり、国法として拷問を禁じていたから、魔女狩りの嵐の影響はほとんど受けていない。だが、悪魔と契約し、病や飢饉を流行らす黒き魔女への恐れ自体はあった――
「杖を突いたよぼよぼの婆ちゃんが怖えんだったらおうちでねんねしてな坊や!」
皆が一斉に笑うと、小心の騎士は真っ赤になってうつむいた。まだ20にも満たない叙任したての若輩の騎士だ。父が病に倒れ、後継としての重責を負っている。名をケインという。
「ケインよ。てめえのとこの親父殿は馬上試合負けなしの達人とかいう話だが、息子がそんなんじゃ、案外噂話に尾ひれがついた類なのかもなあ」
「くっ……!!」
嘲弄に次ぐ嘲弄にいたたまれなくなり、ケインは最後尾へと下がっていった。
~~夏帆~~
「ひー、冷たい」
テムズ川から別れた支流で、夏帆は水浴びしていた。
春とはいえ川の水は冷たく、長時間浸かったり泳いだりするには適さない。洗い流すだけの水浴びである。
(あーでも、人心地つくなあ……)
こっちへ来てからもう2日目だが、その間は当然の如く入浴ができなかった。酒を呑み暴れ回り、アルコール臭や食べ物の香り、汗の臭いが体中に染みついていて本当にひどい状態だったので助かった。
(こっちでも空は青いんだなあ……)
軽やかに晴れ渡った空を見上げながら、当たり前のことを思う。
春の野を渡る風が、いっぱいに草の匂いを運んでくる。鳥の羽ばたき、鳴き声。川の流れの音。虫の羽音。アスファルトも電飾もない中世の大自然が、束の間の安らぎを与えてくれる。
「わー、ナツーホの肌。きれーい!」
フロールが側に寄ってきて、夏帆の腕を掴んでしげしげと眺めている。陸上で鍛えた夏帆は、全身にたるみのない、引き締まった体つきをしている。胸がなだらかで下半身に筋肉がついていて、健康美とはいえるが、一般的な男性の好むような女らしい体ではない。それが密かにコンプレックスだったので、肌でもなんでも、女らしい部分を褒められると嬉しい。
――お酒は肌に良い? 悪い?
これはどっちも正解である。適度なアルコールは血液の循環を良くし、美肌効果がある。
また、赤ワインのポリフェノール、日本酒のフェルラ酸といった抗酸化作用のある成分の接種も美容にプラスに働く。
問題は呑み方である。飲酒に伴う水分不足、過剰なカロリー摂取、塩分脂分の過多、睡眠不足など、酒に付随するあらゆる問題が肌を痛める。適量と生活リズムを守っていれば、酒は体にも美容にも良いものなのだが――
「そ、そうかな。でもフロールこそ」
褒めようと思ってフロールの体に目を落とすと、肉付きが悪くあばらが見えているのが目についた。
(う……あんまりご飯食べてないのかな……)
現代の日本のぽっちゃりふくふくと育った子供を見慣れている夏帆には、それがとても深刻な事態のように感じられてしまう。
(食卓に並んでたのも昨夜の残り物ばかりだったし、餓えとかあるんだよね……こっちは)
いまさらのように、時代を感じてしまう。
「フロールこそ綺麗よ。将来すごく美人になりそう」
「わあ、ありがとー!」
フロールは喜び、平泳ぎをしているアルのところへ褒められたことを報告しにいったが、アルはまったく興味が無いようで、「あ、そう」と聞き流している。それをフロールが怒り、ふたりはぎゃーぎゃーと騒ぎ始めた。
――……幸せだろうさ。浮き世のしがらみすべてから解き放たれて、好きな人と旅できるんだもの。
昨夜のクラレットのセリフを思い出した。憧れと諦めと、相反する2つの感情の入り混じった声を。
(そんなこと無理なの、知ってるんだよね……)
水の中に潜ると、夏帆は水底から空を見上げた。青空を背景に、鳶が1羽飛んでいる。ぐるぐると大きな円を描いている。水草の林の上。小魚の揺らめきの彼方。飛ぶべき場所を間違えているように見えて、一瞬胸が詰まった。
「ナツー」
「ーホ!」
ふたりが夏帆のことを呼んでいる。
バシャリと水を跳ね上げて水面に顔を出すと、ふたりが慌てた様子で彼方を指差している。
馬に乗った騎士がひとり、こちらに向かってきていた。
(――男の人?)
大家族に育ち、アルくらいの幼い男の子の前なら平気で裸になれる夏帆だが、大人の男性の前ではさすがに抵抗がある。
慌てて岸へ戻り、くるぶしまである長袖のシュミーズを手にとった。シュミーズは、当時において一般的な肌着である。女だけでなく男も着ていた。
急いでシュミーズを着込み振り返ると、その騎士の様子がおかしいことに気が付いた。上半身を立てず、馬の背に倒れるようにしている。片腕がだらりと垂れ、指先から何か液体のようなものが垂れているのが見える。
(あれは……血!?)
眉をひそめている間にも馬は歩を続け、騎士はバランスを崩したが取り戻すことができず、やがて重い音をたてて地面に落ちた。
「うおー倒れた!」
「大変! 大変!」
倒れた騎士のもとにふたりが駆け寄っていく。主を失った馬は、のんびりと水辺で水を飲み始めた。
夏帆は騎士のもとへ走った。
「――だ、大丈夫……ですか?」
話しかけると、騎士はまだ息があった。青ざめ、呼吸も荒いが、出血量もさほどではない。鎖帷子を脱がさなければ詳しいことは言えないが、いますぐどうにかなるというものでもなさそうだ。
「――ま」
何かを言いかけたが言葉にならない。
「フロール! 水だ水だ!」
「うん、わかった!」
フロールがとてとてと水辺へ駆け、のんびり尻尾を揺らしている馬の尻を叩いて「おまえもがんばれよ!」と怒鳴りつけ、それから両手に水を掬って戻ってきた。
「飲める? 騎士さん」
騎士の口元へゆっくりと流しこむ。
最初は唇の表面を流れるだけだったが、半分ほどは飲ませることに成功した。
ごくりと喉仏が動き、騎士が薄目を開ける。
「ま、魔女だ……」
『魔女?』
予想していなかった単語に、3人顔を合わせる。
「魔女にやられた……全員……もう……!」
騎士はつぶやき、そこで最後の気力を振り絞りきったようで、目を閉じ、気絶するように眠りについた。
金髪を短くカットした、まだ若い騎士だ。年齢も夏帆とそれほど違うようには見えない。自分と同年代の男子が騎士で、負傷して気絶している。しかも最後につぶやいたのが、
(魔女……?)
中世に神に騎士に魔女。とんでもない出来事が奔流のように押し寄せてきて、夏帆の頭は混乱を極めた。
~~グリムシャーク~~
オールド・ドラゴン・インに宿泊した後、リュシオスの一行が森の中でキャンプをしているという情報を掴んだグリムシャークは、騎士を引き連れ森へと分け入った。
ねじくれた木々に空を覆われ、昼なお暗く、妖魔の森と呼ばれ恐れられている場所だ。藪や岩陰、沼の淀みから漂い出てくる瘴気に当てられ、騎士たちの表情は曇っている。
「根性入れろおまえら!」
時折グリムシャークが振り向き喝を入れるが、なかなかしゃんとしない。
「ちっ」
心なしか、馬まで怯え歩みを緩めているような気がして、グリムシャークは腹立ちまぎれに「どいつもこいつも」と毒づいた。
「ん」
何かひらひらしたものが目の前を横切った。
グリムシャークは騎士たちに停止を命じる。
「……なんだありゃあ」
目をすがめて見れば、木立の間を布をまとった柔らかい生き物が蠢いている。
「……女だ」
誰かがつぶやく。
「女だぞ」
「あれが?」
銀髪を三つ編みにした、美しい娘だ。年若く肌は雪のように白い。切れ長の優美な眼差し、口元の薄い微笑み。まるで騎士たちを誘惑するように、木立の間に隠れたり出たりを繰り返している。
「……とびきりの上玉だ」
「俺が先だぞ」
騎士たちが盛り上がる中、グリムシャークだけは逆に疑惑を強める。武力一辺倒の猪武者ではない。周りを出し抜き手柄を立てるために、むしろ権謀術数を駆使してきた男だった。
「……グロック、アベル。ちょっと見て来い」
ふたりに斥候を命じて先行させる。
すると娘は笑い声をあげながら木立の奥へ奥へとふたりを誘う。
(伏勢ありと見るがどうか……?)
大きく張り出した根、深い藪にねじくれた木々。機動力・突進力を理とした騎士の戦場としては、およそ最悪に近い。
(考えすぎか……いや――)
「おまえら、いったん戻れ!」
指示を出すのと同時に、頭上から声がした。
「――へえ、図体の割りには小知恵の働くやつ。でももう手遅れだね」
「……なんだてめえは」
木の枝に腰かけているのは、チョコレート色の肌に黒髪の、二十歳ばかりかと見える美しい娘である。先ほどの銀髪の娘が森の深淵に舞う妖精なら、こちらはアマゾネスの頭目のような、荒々しく奔放な雰囲気がある。
「あたしはコロラゼ。愛しき主上に仕える巫女にして猟犬さ」
コロラゼは嘯くと、ぱちりと指を鳴らした。
それを合図に、次々と女たちが姿を現す。
「――!?」
木立の間から、藪の下から、樹冠から、あらゆるところから女が姿を現した。金髪もいた。赤髪も黒髪もいた。肌の白いの黒いの黄色いの、世界中の美女が一堂に会したような、男にとっては痺れんばかりの光景だが……。
「なんだこいつら!?」
「どこにいやがった!!」
騎士たちに動揺が広がる。
「てめえら落ち着け!! 女どもが股開いてやって来ただけじゃねえか!!」
グリムシャークは叫ぶが、もはや誰一人として聞いていない。
あまりにも異常だった。異常な登場であり、姿勢だった。コロラゼのように枝に座っているのはまだいい。足や片腕だけで枝にぶら下がっている娘たちがいる。男の太股より太い枝に、指先やつま先が食い込んでいる。女とは思えぬ、いやいっそ人間とは思えぬほどの筋力だ。
「エウ・ホイ!」
「エウ・ハイ!」
呪文のような掛け声が、女たちの間に連鎖的に広がる。
すでに囲まれていた。前後左右どこにも逃げ場はない。戦い、切り開くしかない。
「くそ!! なんなんだてめえらは!?」
グリムシャークが騎槍を構える。騎士たちも遅れてそれに倣う。
「あんたらは運が悪かった。アウラの生まれ変わりだとかいう変な娘のせいで、あたしゃ虫の居どころが悪いのさ。だから――」
コロラゼは薄く微笑む。
「大人しく喰われちまいな」




