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第一話「夏帆。テラスにて。迎え酒の効能について」

迎え酒は誤魔化しです。

でも、だからこそいいのかもしれません。

 明治初期の建築である洋館は、白さがまぶしい木造漆喰の2階建てで、中央に八角形の塔屋が聳え立っている。旧華族のお嬢様のために建てられたということもあって、ダンスホールやサロン、撞球室など、遊びの多い造りになっていた。多くの来客を宿泊させることのできるように個室の数も豊富で、つまるところそれは、夏帆の仕事の多さにも直結した。


「うーん、いい天気!!」

 夏帆の一番好きな場所は、塔屋から直接出ることのできる屋上のテラスだった。青空の下で思い切り伸びをすると、溜まった疲れが吹き飛んだ。

 ポプラの葉間を潜り抜けてきた風が髪を弄び、物干し竿のシーツやカーペットなどの大物類を揺らした。このあと回収し、敷き直す、あるいは収納に収めるという大仕事があるのだが、束の間、それを忘れることができた。


「やー、まったくだね」

 テラスの片隅の折り畳みのチェアにだらしなく寝そべって、酒神が今日も今日とて酒を呑んでいる。傍らの小テーブルには色とりどりの混成酒リキュール類の瓶が並んでいる。テーブルに置き切れなかった分は床に直接置いていて、それも相当な量になっている。


「青空の下で呑む酒は旨い」

教授せんせいにいわせると、旨くない場所なんてないじゃないですか」

「ロケーションによって味わいの違いはあるさ。天候、気温、湿度。つまみによっても変わる。この場で夏帆くんの働きぶりを眺めながら呑むんだったら、瓶詰の混成酒がいい。ラッパでいけるし取り回しが楽だし、物を選べばビールと違って気が抜けない」

「はあ……」


 本当にこの人はいつでもどこでも呑んでるなあ、と思う。昼も夜も、酒神の傍らには常にアルコールの影がある。常時酒気帯びの状態で肝臓の解毒機能もフル回転。いつか体を壊すのではないかと心配になる。

「たまには休肝日を設けないと、体に障りますよ」


「大丈夫大丈夫。僕、神さまだから」

「まぁたそれですか……」

 あっけらかんとした物言いに、夏帆は思わずため息をついた。

 無類の酒好きでダメ人間で、自分を神だと主張する妄想家。祖母の真樹子のいうとおりだが、それはおそらく先代の酒神のはずで、ということは親の因果が子に報いたわけだ。


「婆っちゃも大変だったんだろうなあ……」

 小声でつぶやいた夏帆の声が聞き取れなかったのか、酒神は「うん?」と小首をかしげている。


「なんでもないです。それよりお屋敷のことなんですけど」

「うん」

「一通りの片付けや掃除は済みました。あとはゴミや要らないものを業者に引き取ってもらって、漆喰の剥がれや木造の痛んだ部分を補修すればいいんですけど、さすがにそこまではあたしでは出来ないことですので」

「うん。すぐに業者をいれるよ。さすがに真樹子の血だね。早いし的確。こういうことをさせると天下一品だ」


「ありがとうございます。祖母には色々仕込まれましたから。掃除洗濯炊事に酒呑みのあしらい方まで……」

 にやりと不敵に微笑む夏帆。


「うん?」

 きょとんとした酒神の手から、緑がかったアブサンの瓶を取り上げる。

「さ、教授。お酒はここまでですよ。明日は新歓説明会で、教授も出席するんでしょ。二日酔いで行くわけにいかないじゃないですか」


 動揺する酒神。

「や、二日酔いなんて迎え酒すれば一発で……」

「痛みや苦しみを痛覚を鈍くして誤魔化してるだけです」

「利尿作用を促して逆にアセトアルデヒドを薄めるという意見もあってだね……」

「アセトアルデヒドの増加のほうが深刻な問題です」

 ぴしゃりと撥ねつけると、酒神は手で顔を覆った。

「真樹子の入れ知恵か……」

「色々《・・》仕込まれましたから。あたしに酔っ払いの戯言は通用しませんよ」 

 夏帆は自分の頬が緩むのを感じた。大人をやりこめる感覚が楽しい。

 これが他の大人だったらこうはいかないだろう。酒神は懐が広く、気軽にやり取りできる。自分より遥か上の世代の人と仲よくできるのが、すごく嬉しい。


「あたしが後片付けしますから、教授は明日の準備をして下さい。スーツとワイシャツ出しといてください。アイロンかけて糊効かせてあげますから」

「僕としちゃあこのままでもいいんだけど……」

 気分が盛り上がってきた夏帆は、有無を言わさず酒神を引っ張ってチェアから立たせた。

「どこの世界に甚兵衛で大学行く教授がいるんですかっ。それに髭も剃って下さいね。整ってるんならまだしも、無精髭で表に出るなんて認めませんよっ」


「えー……」

 渋る酒神の背中を押して、テラスから追い出す。

「あはは」口から笑いが漏れる。

「きみ……楽しんでないか……?」

「ぜんぜんですよー。大変で、面倒くさいです」

 子供みたいな大人の世話は、大変だけど楽しい。


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