第17話「ドリームメイカー篇②。伝説の酒について②。特殊な酒について①」
アブサン、八塩折ノ酒、ともに現在も呑むことができます。
アブサンはニガヨモギの成分が減らされ、八塩折ノ酒は貴醸酒そのものですが……。
まあ物足りない部分は妄想で補いながら呑むということでひとつ……。
「ここまでは蒸留器アランビクの開発と伝播による酒造りの発達について触れてきた。えーっと、このまま続けてもいいんだがね。疲れた頭を癒すための閑話休題」
講義開始からずっと教壇の隅に置かれていた「布で目隠しをした何か」に、生徒たちの目は吸い寄せられた。
酒神がバサリと布を剥ぐと、しばしの沈黙の後、教室中から悲鳴が上がった。
「わ~。なにあれなにあれ夏帆ちゃん」
「……うわあ、趣味悪いよ教授」
「おー? なんだかっけえなあれ」
千鳥が夏帆の腕にしがみつき、夏帆はドン引きし、薫が少年のように目をキラキラさせる。他の生徒たちの反応もだいたい似たようなもので、酒神の用意した物――ガラス容器の中の蛇に賛否両論が寄せられる。かっこいいだの気持ち悪いだの目が合っただの、呑んでいいのかだの、好き勝手に盛り上がっている。
「頭が三角で円形・黒色の斑紋。マムシ酒だね。知り合いの酒屋さんのツテで貰ったものだ。このお酒について、ちょっと雑談をしようかなと思う」
酒神が説明の体制に入ると、生徒たちの会話も自然と沈静化される。本講義よりも面白い酒神の雑談は、生徒たちにも人気がある。
「まずは造り方について。捕獲したマムシを容器に入れ、溺死しない程度に水を注入する。そのまま放置すると糞尿などの汚れが出て水が濁るので、その都度捨てては繰り返して一か月。水が汚れなくなったところで35度以上の度数の高いお酒を……ここでは焼酎を容器の口まで注ぐ。そこでようやく蛇は溺死し、約1年後ぐらいが呑み頃になる」
生徒の一人が手を上げた。
「毒は抜かないんですか? 呑んでも大丈夫なの?」
「マムシの毒は主成分がタンパク質なので、アルコールと結合すると無害になる。むしろアミノ酸など有用な成分へと変わり、健康に良いんだ」
生徒が納得したのを確認すると、酒神は続ける。
「なぜ1年間放置するのかというと、マムシが生きていることがままあるからなんだ。3カ月のマムシ酒を呑もうとして噛まれたなんて話はけっこう有名だね。なにせ3か月間アルコール漬けにされても絶命しないってんだから、蛇の生命力にはすさまじいものがある。その生命力の強さと、脱皮を繰り返す姿から、古来から死と再生の象徴ともされてきた。神格扱いの蛇の話は世界中に存在する」
「ノッてきたな」
薫がくつくつと笑いながら頬杖をつく。
「ゆっくり聞きましょうか~」
千鳥が目を閉じてべたっと机に突っ伏す。
「ナーガにウロボロス、ミドガルズオルム。日本では八岐大蛇なんかが有名だね。八本頭の大蛇は八塩折ノ酒を呑ませて寝かせたところを首をハネて退治された。そういった神話もまた、世界中にある。インドラに退治されたヴリトラ、オデュッセウスに退治されたキュクロプス。いずれも酒に酔わされ隙をつかれたとされている」
「ここで気になるのは、果たしてそんなことが可能なのかどうかだ。『身一つに八つの頭と八つの尾があり、体には苔や桧や杉が生え、その長さは八つの谷と八つの尾根に渡る』。八つの頭に桶一杯ずつの酒を呑ませたところで、それほどの大蛇が寝るかどうか。あるいは邪龍が、単眼の巨人はどうか」
「時代を遡れば遡るほどに、酒の醸造技術は低くなる。古代日本に、今でいう蒸留酒のようなものはなかった。八塩折ノ酒の正体は貴醸酒だといわれている。仕込み水をすべて酒にする。つまり酒で酒を造るという贅沢極まりない製法だ。八塩折ノ酒は、これを何度も繰り返したそうだ。八、というのは多いことを表す数で、だから必ずしも八回繰り返したとは限らない。また大事な問題だが、蒸留酒と異なり、醸造酒は繰り返しても度数が一定以上には上がらない」
「はっきり言うが、度数では勝負できない。ならどうするか。その答えのひとつが混成酒だ。かつて、ヨーロッパに悪魔の酒と呼ばれた酒がある。名をアブサン。ヨーロッパにおいて実在した酒で、70%前後の高アルコール度数とニガヨモギの成分による幻覚・中毒症状が問題視された為、製造禁止にされた。現在ではニガヨモギの成分を減らしたものが販売されているが――」
「ここで注目してもらいたいのは、なにがしかの植物の薬理効果が付加できれば、古代日本においても八岐大蛇を寝かせうる酒が造れたのではないかということなんだ」
「ベニテングダケという名前の茸は、たぶん多くの人が知っていることだろうと思う。深紅色の傘に白いイボのついた特徴的な形状の茸だ。摂取すれば吐き気や眠気、多幸感、健忘症。さらにはせん妄症状などの幻覚を見たり、昏睡に陥るケースもある。アルコール中に成分を混入できれば、手間をかけることなく八岐大蛇を眠らせることも可能だっただろう。そしてこの理論は、世界中の多くの同様の神話にも適用できる。つまりこう考えることはできないか――数多の怪物や悪魔を討ち滅ぼしたのは酒ではなく『ドラッグ』だった」
「……僕は思うんだ。さきほど述べたように、ベニテングダケには幻覚症状を起こす成分がある。もし僕の理論が正しくて、八岐大蛇が昏睡に陥るほどの成分を摂取してしまったとしてだ。そうなる前に、意識を絶たれる寸前までに、彼らは何を見ていたんだろうか。八頭の大蛇はそれぞれに、あるいは皆同様に、どんな夢を見ていたんだろうかとね……」
手の込んだ呑ん兵衛の戯言を、生徒たちは生き生きとした表情で聞いている。
夏帆は呆れ半分感心半分で、評価の出来ないままに、酒神の顔を眺めている。
大蛇は何を夢見たのか、過去か未来か、はたまた……荒唐無稽なお伽噺に、自身の望みをだぶらせる。
(あたしだったら、何が見たいだろうか。もし自由に選べるとしたら……)
★☆★☆★
酒神が、咲耶と名乗る幼女と何事かを囁き合っている。身を寄せ合いひそひそと。距離が近く、時に咲耶の髪の毛先が酒神の頬をくすぐる。
信頼し合っている関係、に見えた。彼らの話を盗み聞くならば遥かな昔から、それこそ真樹子が現役でここにいた頃よりも以前から。
そんなことはありえない。
理性は告げる。
神様なんて存在しないし、悪魔だっていやしない。
酒神がかつて講義で述べていた八塩折ノ酒=ドラッグ入りのリキュール説にしたって、机上の空論の妄想の暴走に違いない。
「……そんなことあり得ない」
気が付くと、夏帆は昨夜の持参した酒瓶を抱えていた。包装を剥ぎ取ると、名前も何も書いていない真っ黒な酒瓶だった。蓋を開け、酒瓶を小脇に抱え込んでお猪口に注ぐ。琥珀色の、とろりとした液体が流れ出た。
「ふぅ……ん」
ためつすがめつするが、見た目にとくにおかしな点はない。
口に含むと、とろりと甘い酒だった。印象としては、かつて酒神が呑ませてくれた蜂蜜酒に似ているか。蜂蜜ではなく何かの果実のような甘味だ。それが粘性を帯び、喉を滑るようになめらかに降りていく。度数はそれほど高くない。15、6度か。日本酒と変わらない。牛乳かなにかで割れば、きっともっと旨い。
……でも。
「……なんだべ。こんなもんかい」
拍子抜けするほど何も起きない。幻覚も、昏睡も。酔いだって、普段のそれと変わらない。
酒神と咲耶は、まだ何かを話し合っている。話している途中にテンションが上がりすぎたのか、咲耶がバランスを崩して酒神の太股に手をついた。小さな頭が酒神の胸に当たる。
微塵の動揺もなく、2人は体を離して続ける。
……慣れてらっしゃる。
すべてがバカバカしくなって。ほんのりと悲しくなって。
夏帆は目を閉じた。
酒瓶を持ち上げて、直接口をつける。
見たいこと、知りたいことを頭の中に思い浮かべる。
「――見せれるもんなら、見せでみれ」
一気に、酒瓶の尻を持ち上げた。




