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第16話「ドリームメイカー篇。禁酒法について①。日本酒の温度について①。伝説の酒について①」

新篇突入です。

 ~~夏帆~~

 

 青が踊る、緑が跳ねる、ピンクが引きれ、赤がさんざめく。

 乾燥機の中の万華鏡を、夏帆は見ていた。色とりどりの布が温められかき回されていく。無心になって眺めていると、まるで自分自身が吸い込まれ、回転に取り込まれるような錯覚を覚える。心の奥のひだまでもよじれ伸ばされ熱を帯び、じめじめと湿った気持ちを芯からカラッと乾かしてくれるというような。

 ――本当に、そうだったらいいのに。

 ため息ひとつ。

 夏帆は洗濯干しが好きだ。衣服が綺麗になり青空の下翩翻(へんぽん)と翻っているのを見ると、胸がすっとする。だから梅雨は嫌いだ。今年は長雨が続き、屋上が使えず、かといって洗濯物の量は減らず、乾燥機の出番が多くなった。

 寮の1階の西端には人数的な問題で使っていない大浴場があり(効率が悪いので各自自室の風呂場を使ってもらっている)、その脇にランドリー設備がある。全自動洗濯機3台と2層式の洗濯機が1台、乾燥機が3台ある。本来ならもっと多人数を収容するはずの寮だから、4人にとっては充分だ。


 そう、春からこっち、寮生がふたり増えた。


「よっ」

 ひょこりと薫の金髪が覗く(本人いわく「戻した」らしい)。空手着を着ていた。白くてゴワゴワしている。一見すると柔道着にも見えるが、格段に生地が薄い。競技性を考えるとそんなものかなとも思う。帯の色は黒。単純に強いということでいいのか、夏帆に詳しいことはわからない。

「夏帆。おっさん見なかったか?」

「……なんで?」

「いやさ、おっさんなまってそうだから、稽古つけてやろうかと思って。園子を軽くいなしたって話だからそこそこは使えるんだろうけど、鍛えるのを怠ると劣化するの早いからな」

 からからと少年のように笑う。

「あとは俺のストレス発散だ」

「……」

 薫が酒神を好いているらしいことは知っていた。口ぶりにも態度にも表れているし、なにより実家が近くにあるのに家を出なければならない理由がなかった。「いつまでも親に迷惑かけるのもな」ともっともらしい理由づけはしていたが、怪しいものだ。


 次に訪れたのは千鳥だった。梅雨時らしく露出の多い涼やかなキャミソール姿で、両手に何かを捧げ持っている。

「夏帆ちゃーん。教授せんせいは~?」

 間延びした口調の割には、顔色が切羽詰っている。

「…………なんで?」

 思わず知らず、声が尖る。

「この氷をね」

 すくうように両手に持った氷の山を示す。豊かな双乳が自然と中央に寄る(うらやましい)。

「教授の背中から入れたげようと思って~」

 ぽわぽわと花のような笑顔……の片隅に、氷の冷たさで刺しが入る。

「あの人は~、いつものんびりしてるから~。こうやって時々ショックを与えてあげないとね~」

「……っ」

 ぎくりとした。「あの人」という響きに温かみがある。

 あの夜から、彼女の様子は変わった。危難がふたりを近しくした、というのは考えすぎだろうか。以前は事あるごとに反発し、突っかかっていたのに、今ではすっかり打ち解け、楽しそうにからかったりしている。

「薫ちゃんと夏帆ちゃんがいるから~。楽しそうだから~。みんな一緒。うふふ~」

 彼女が寮住まいを決めた理由も怪しいものだ。


 もちろん悪いことではない。仲良くなることも。楽しく暮らすことも。大家族で育った夏帆にとっては懐かしく、落ち着く生活には違いない。

 でも「そこ」は、夏帆の位置だった。食事に掃除に身の回りの世話。話し相手になったり、酒につき合ったり、日々の無聊ぶりょうの慰めになったり、これから続く長い日常に付随ふずいする、それらは夏帆の特権だった。

 なぜこんなにもやもやするのか。どうしてこんなにいらいらするのか。

 嫉妬という言葉に、ついに夏帆はたどり着かない。ただやるせない想いを募らせ、正体不明の胸のつかえにため息を漏らし続ける。


「お、そうか。サンキュー」

「ありがと~夏帆ちゃん」


 ビリヤード台のある遊戯室の片隅の、クッションの深いソファーで安眠をむさぼっているであろう酒神の行方をふたりに告げ口して、その後の騒ぎを想像して溜飲りゅういんを下げる。酒神の困り顔を想像して楽しい気分に浸る。


「あたしも行こうかな……」

 心揺らぎながらも祖母に叩き込まれたお片付け精神が先行し、夏帆は乾いた洗濯物を収納し、夕飯の準備をするべく厨房に向かった。


 途中、ロビーに差し掛かったところで来客があった。玄関に誰かいた。

「頼もう。あるじはいるか?」

 およそ言葉の内容には似つかわしくない幼女が立っていた。歳の頃なら10歳くらいか、濡れたように艶やかな黒髪を眉の上でパッツンと切り揃え、後ろは背中まで伸ばしていた。じめじめと湿気の多い季節なのに、和服で隙なく固めていた。片手に朱色の和傘を下げ、もう片方には紙で包まれた一升瓶を携えていた。光の強い双眸で夏帆を見据えていた。

 違和感があったのは、笑いがないからだった。愛想や愛嬌といった年相応の柔らかさや朗らかさが、少女には欠けていた。代わりにあるのは長い年月を過ごしてきた古布のような、寝かせた古酒のような、妙に老成した雰囲気だった。


「え、えーと、いらっしゃい。主というと……」

一生いっせいじゃよ。いるのであろ? もったいぶらずにさっさと出せ。小娘」

 命令口調の上、めんどくさそうにため息までつく。


「こ、こむすめ……?」

 まったく想定していなかった言葉と態度にたじろぐ。

「ああそうじゃ、早くしろ小娘。聞こえなかったか小娘。悪いのは頭か耳か」

 そこまで悪しざまに言われては、相手が幼女でも意地悪したくなってくる。


「お……お嬢ちゃん。目上の人に対してその態度はないなあ。学校で先生に教えてもらわなかった? それと、教授は確かに在宅だけど、忙しい方だから、失礼なお嬢ちゃんには取り次げないかもしれないよ? むしろ取り次いであげないよ? まああたしの気分次第なんだけど。ふふ~ん、どうしよっかな~?」

「はあ? うっさい小娘。とっとと取り次げ。一生がわしを邪険に扱うはずがないわい。何を置いても飛んでくるはずじゃ。なんせわしとあやつの間柄なのじゃからな。貴様のようなぽっと出とは違うのじゃ」

 下から見上げているのに上から目線。

「……そ、そこまで言うなら参考までに聞いておくけど、どういうご関係なのかな?」

「はあ? ゴカンケイ? いつからわしと対等のつもりなのじゃ人間。門番など気取りおって小うるさい。とっととね。ああ、もうよい。自分で探すわ」

 幼女は傲岸不遜に言い放つと、断りもなく下駄を脱ぎ、フロアに上がった。

「ちょ、ちょっと!!」

「喝っ!!」

 両手を広げて押し留めようとする夏帆に向けて、幼女がくわりと目を見開く。

 尋常ならざる雰囲気がロビーを駆け抜け、床と壁が震動した。それは幼女を中心に放射線状に拡がり、おそらくは寮中に伝播した。


 夏帆は思わず尻餅をついた。

「な、なに今の……」

 震動はすぐに収まったが、夏帆の腰は抜けたままだった。

「まあまあまあまあ」

 飛び込むように割って入ったのは酒神だった。

「……む、一生」

教授せんせいっ」

「ご無沙汰だね咲耶さくやくん、わざわざようこそ」

 当然自分を助けてくれるものとばかり思っていた夏帆は、自分を無視して幼女のもとへ向かった酒神の背中を、驚きをもって見つめる。

「………………なんで?」

 呆然とへたりこむ。

「久しぶりじゃのう。息災で何よりじゃ。はっはっはっ」

 幼女――咲耶は幼子が親にそうするように酒神に抱きつきまとわりつき、横目で夏帆を見てほくそ笑んでいた。


 ――あれやこれやがあって、夕飯の献立を変えた。

 冷しゃぶにするつもりだったが鍋にした。解凍していた豚肉を冷凍庫に戻し、鶏の股肉を準備した。ネギ、ゴボウ、糸こん、舞茸。セリは必須だったが手に入らなかったので、クレソンで代用した。

 すり鉢を取り出し、米を時間かけて半殺しにした。

 ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごっ、ごごっ、ごごっ、ごごごごごごごごごっ!!

 力を入れて、思いをこめて、念入りに押し潰したのを団子状に丸めた。


 ~~酒神~~


「お待たせいたしました。これが秋田名物だまこ餅です」

 茶、緑、白のコントラストがまぶしい鍋からは、盛大に湯気が上がっている。鶏ガラベースの美味しそうな香りが食堂いっぱいに広がる。咲耶、薫、千鳥たちも、6月半ばにあってはならない料理の出現に戸惑いを隠せない様子だ。

「鍋……じゃと……?」

「……おい誰だよ。夏帆怒らせたの……」

「笑顔だけど目が笑ってないよ~……」


「とりあえずエアコンつけましょうかね……」

 リモコンに伸ばした手元を、やんわりと夏帆がはたく。

「――エアコンはなし」

 声が低い。

「はい……」

「やっぱりおっさんじゃないか」

「いや、事の発端は咲耶くんが……」

「わしゃ知らんぞ」

 ぷいとそっぽを向く咲耶。


「だいたいしゃな。なにをバカ正直に食べきる計算をしているのじゃ。こんなもの、山の中にでも放り投げて獣の餌にでもすればよい」

「そ、それはだめだよ~」

「……兵糧攻めにあいますねえ」

「あれはひどかった……」

 嫌な記憶を共有した3人は冷や汗を流す。


 夏帆は厨房に戻り、燗にしてある日本酒を盆に載せ、人数分のお猪口と共に各自の前に運んでくる。

「お酒は日本酒がいいんでしたね。燗酒でしたよね」

「あー……いや、今日はさすがに冷酒がいいですかね」

「とびきり燗ですね、わかりました」

『と、とびきり燗……?』

 恐ろしい言葉の響きに背筋を震わせる薫と千鳥。

「日本酒の温度にはじゃな。一般的に冷酒、冷や、燗酒がある。冷酒は冷蔵庫などで冷やした酒。冷やは冷やといいながらも常温の酒じゃ。昔は冷蔵庫がなかったからな」

「……このちびっこ、おっさんの同類か」

「日本酒に関しては三舎を避けますよ」

「さらに燗酒には温度によっていくつかの分類がある。30℃以上が日向燗、35℃以上が人肌燗、40でぬる燗、45で上燗、50が熱燗、55以上はとびきり燗。ただめくらめっぽうに温めればいいというものではなく、状況によって料理によって変えるのが云々――」

 淀みなく蘊蓄を並べる咲耶の頬に、上気したように朱が差す。明らかに目の前のとっくりからはとびきり燗以上の高温を感じる。

「こぽこぽいってるよ~……?」

「これに合うのってなんだ? かき氷か?」


 流れるような動作で鍋をよそる夏帆。肉、野菜、茸の配分も完璧だ。

「秋田といえばキリタンポが有名なんですが、このだまこ餅はキリタンポを団子状にまとめたものです。もともと家で作る分にはたんぽ状にする必要がないんで、一般の家庭ではキリタンポよりもメジャーですね。火が通るのに時間がかかるんで、もうちょっとお待ちください」

「さきほどから気になっていたが……こやつ……どこかで見たことが……? 何十年か前にたしか……。あの時と変わらぬ姿形で……。なんと面妖な……」

「……ああ、たぶんその人とは違う人ですね。というかあなたが面妖とかいうことじゃないですけどね」

 ようやく思い出したらしい。

 そうだ。あの時も、咲耶と真樹子との諍いをいさめるのに苦労した。


「教授~。この幼女も神様関係なの~?」

「ええ、よくわかりましたね。木花咲耶比売このはなさくやひめ。超メジャーな日本の女神様ですよまたの名を酒解子さけとけのみこ。ご同業ですね」

「へえ~。じゃあこの幼女は合法なんだ~」

「……なんじゃその合法は。どこにかかっている。普通の単語なのになぜか不快な響きがするぞ?」

「どういうことだ千鳥。俺にはさっぱりわからん」

 薫が腕組みして首をひねる。

「この幼女はこう見えても神様なんだよ~」

「はあ? ばっか、ありえないだろ。お前までなにおっさんの世迷い言信じてんだよ。つい最近までばかにしくさってたじゃねえかよ」

「ん~? そうだっけ~? んふふふ~」

 千鳥は幸せそうに微笑んで、「ぴ」と指を一本立てる。

「じゃあね~。こう考えればいいんだよ~。ものすごい若作りなおばーちゃんだと」

「ああ……」

「髪を染めて、ファンデーションを塗りたくって、整形までして頑張って、老いに逆らって踏みとどまっているんだって」

「なるほどなあ……」

「おいやめろ。その目をやめろ。痛い人を見るような目で見るでない」

 パン。

 席についた夏帆が、高らかに夕食の始まりの手を打ち鳴らした。

 皆一瞬あっけにとられたが、「リピートアフターミー」とでもいうような有無をいわせぬ眼力に、慌てて遅れて唱和した。

『いただきます!!』


 ★☆★☆★


「……ふう、一時はどうなることかと思いましたが」

「なんとか片付いたのう」

 ひととおり鍋を片付けた酒神は、ちょうどよく燗冷ましになった日本酒をぐいと煽る。咲耶はそれに付き合いながら、汗の光る額にハンカチを押し当てている。

 暑さと熱さでいつもより早く酔いの回った薫と千鳥は、胸元をはだけただらしない格好でダウンしている。

 ひとり夏帆だけは徳利片手に独酌を続けているが、お猪口に注ぐ手元も覚束ないほど酔っており、何度もテーブルにこぼしては注ぎ直すという行為を繰り返している。


「……あれでいいのか?」

「平常運転ですねえ」

「なんとも騒がしい日常だのう。人数が減って閑散としてるかと思いきや」

 そういって、咲耶は食堂を見渡す。たしか彼女が最後に寮を訪れたのは、真樹子との件が片付いた直後だったか。

「……季節は巡りくるものですから」

「ふん」

 咲耶が鼻で笑ったのはなぜか。

「まあいいわい。またあの嫉妬深い女と喧嘩になってもかなわぬ」

 一瞬懐かしむような色合いを目元に漂わせ、すぐに引き締めると、咲耶は酒神を鋭く見据えた。

「時に一生。禁酒法を知っているであろう?」

「合衆国憲法修正第18条及び執行法としてのヴォルステッド法。併せて国家禁酒法。1920年~30年代に合衆国で施行され、アルコールの製造販売輸送を規制したが、消費はおとがめなしだった。結果としてアル・カポネらギャングの跳梁跋扈ちょうりょうばっこを許し、治安は大いに乱れた。いわく、高貴な実験。いわく、世紀の悪法」

「4月1日のことじゃ。ルーリングハウスが新法を施行した。魔酒及び神域の酒に関する特別法。ソーマにネクタル、アムリタ、スラー、スットゥングの蜜酒、神便鬼毒酒しんべんきどくしゅなど、人の身には過ぎたる伝説の酒の製造・流通・飲用に制限をかけた。違反者には罰が下される。日本の執行官はわしと大山昨神おおやまくいのかみ

「………………酒の神の僕が何も聞いてないのはエイプリルフールだからで?」

「施行に至るまで嘘はないわい。知らないのは貴様が隠遁しておるからじゃろうが。まあ偏屈者が多い業界じゃからな。貴様だけというわけでもないが」

「こりゃ耳が痛い」

 手で耳を隠しておどける酒神の目を逃がさぬように見つめ、咲耶は告げる。

「んでじゃな。その禁酒法が破られた。人の世に、神魔の酒が出回っている。わしが今宵持ってきたのもそれよ。かつて八岐大蛇やまたのおろちを眠らせた八塩折之酒やしおりのさけの亜種。真にその者が見たいものを見せ続け、永遠なる眠りの深淵に誘う夢見の魔酒。その名をドリームメイカー」

「……ほう」

 咲耶が指し示した先のテーブルの上にはくだんの一升瓶はなかった。代わりにかれた紙と、行儀悪くも胡座あぐらをかき、直接らっぱ呑みする夏帆の姿があった。

『あ』

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