第13話「花見篇。アルコールによる眠り①」
酒呑みとして避けては通れぬ問題。
次回もそんな感じです。
~~その者~~
その者は、暗がりに潜んでいた。寮の端の軒下で雨を避けながら、遠ざかるワンボックスを見送った。
運転手の大柄な若い男と、年嵩のいった小柄な男。
ふたりが去って、中にはあと4人。戦力になりそうなのはおかしな外国人の男と、以前にもさんざん手を焼かせてくれたあの女。だがふたりともしたたかに酔っているはずで、運動神経も判断力も、持久力も落ちているはずで、障害としてはないに等しい。
八塩折之酒で八岐大蛇を酔わせ倒した素戔嗚尊の気分で、至極愉快だ。あるいはこの2年間の懲役は、わざとこのイベントを盛り上げるためにあったのかもしれない。
侵入は容易かった。
寮の出入口は、正面玄関、厨房の勝手口、東西の両端の非常口があった。いずれも鍵は掛かっておらず、警備システムの類もなく、監視の目もなかった。念には念を押して、西端の外部階段から2階へ登った。カンカンと鳴る金属の踏み板の音が気になったが、この豪雨では雨の打つ音にまぎれてわからないだろう。
廊下はまっすぐ長く続いていた。控えめの照明が、両側のいくつかの部屋を薄暗がりの中に浮き上がらせていた。小豆色の絨毯が、身体から垂れ落ちる雫で濡れていく。
少し行くと、瀟洒な造りの螺旋階段が見えた。螺旋階段を挟んだ両側に、男子トイレと女子トイレがある。どちらも明かりはついておらず、階下も静かなものだ。
やがてひとつの部屋の前に辿り着く。
外にいた時に、明かりの灯る部屋の場所は確認してある。表も裏も含めて一か所しかなかった。外国人の男は食堂で寝ていた。つまりはここに、3人いる。
まとめて一気に、とは考えなかった。
空手娘に覚醒されたら面倒だし、できればあの娘がひとりの時に事を済ませてしまいたかった。他に助けを求められる状況で、にも関わらず助からないというのは相当なショックだろう。最期の一瞬まで、あの娘には恐怖を味わってほしいのだ。
愛しているから。
その者は、強く我が身をかき抱いた。妄執が身を焦がし、どこまでも高揚していく。
~~その者2~~
その者は暗がりにたたずんでいた。寮の2階の夏帆の部屋のキングサイズのベッドの上で、ひっそりと息を殺していた。
目の前にはふたりの少女眠っていた。細くしなやかな草食動物のような夏帆と、空手の稽古で手足の末端が硬化した猫科の肉食動物のような薫。若いエネルギーに溢れたふたりが、すやすやと安らかに寝息を立てていた。
年頃の女の子が放つ香りを、その者は大きく深呼吸するように吸い込んだ。甘く華やかなフルーツのようだった。豊潤で蠱惑的なフェロモン。その者は飢餓感を強めた。
片方の手を毛布の下の夏帆のふくらはぎに這わす。指先で軽く揉むと、固くはなかった。逆に柔軟で、驚くほどに柔らかかった。
空いた手を、毛布の上にむき出しになった薫の太股に置く。手のひらでぎゅっと押すと、みっしり詰まった筋肉に弾き返された。
ふう……。
小さく感慨に満ちた吐息を漏らす。
ふたりとも、アルコールによる眠りだった。睡眠中枢と覚醒中枢を麻痺し、半ば気絶するように強制的に落ちた眠りだ。肝臓がアルコールを分解しようとフル回転中なので、成長も回復もしない。
(眠りも浅いけど、まあそれはそれで……)
じっくり静かに楽しもうと、その者は思っていた。
その者も呑んではいたが、生まれつきアルコールに強い人間だった。
ふたりも女性としては強い方だが、問題なく酔い潰せた。
こちらも酔ってはいるけど、楽しむのに障害があるほどではない。
ごくりと唾を飲む。興奮に猛ける心臓を抑える。爛々と輝く目を、美しい2匹の獲物に向ける。
「狩りの時間よ――」
その者は、千鳥はつぶやいた。
昂り、わきわきと手指を蠢かし、不意に動きを止める。
「……焦る必要はないわね」
ベッドから降りると、千鳥は部屋を出てトイレへ向かった。
品よく落とされた照明の中を歩く。家から持ってきたシルクのネグリジェ(薫には馬鹿にされ、夏帆はなぜか盛り上がっていた)だけでは少し肌寒かったので、ガウンを借りて羽織った。
夏帆の部屋は東の端近くにあった。広い屋敷なので、どこへ行くにもちょっと歩く。老朽化のせいで使えない部屋、使えるけど使っていない部屋には、ドアノブに色つきのゴムバンドで印がしてある。赤がダメ。緑がOK。
赤・赤・緑・赤・赤・赤……。
(使えない部屋多いな……)
大正からあるということでしょうがなくはあるのだろう。家事万能とはいえ大工仕事まで万能ではない夏帆に出来ることには、おのずと限界がある(本人は悔しがっていた)。
(赤・赤……お、緑)
嬉しくなって入ってみる。廊下からの明かりがほんのりと内部を照らす。
造りは夏帆の部屋に似ていた。つまり広めの2間で、手前がソファセット、奥が寝室。納戸など収納スペースも広く、備え付けの家具は手の込んだ年代もので、つくづくセンスが良い。
(一緒に住んだら楽しいかも……うーん……)
腕組みして考え込む。
薫が住むのを止めようとがんばっていた千鳥だが、ここに3人で(ひとり除く)住んで、毎晩楽しく騒いで暮らす未来は、自分の家で謙吾その他面白味のない家族と暮らすより断然楽しそうだ。
(ダンスホールに遊戯室に……あとなんだっけ……)
夏帆が誇らしげに語っていた。3人で探検しようと盛り上がって、実行に移す前に寝入ってしまったのだ。
部屋をあとにする。
「んふふふ」
楽しくなって、軽いスキップを踏む。
トイレは螺旋階段の両脇にあった。手前に手洗い場。個室が2つで、奥に掃除用具入れ。
個室に入ってしばらくすると、どこかでバツン、と音がした。
同時に照明が落ちる。周囲は闇に包まれた。
「あら、停電?」
外は相変わらず大雨が降っている。遠く、雷鳴のような音も聞こえてくる。どこかの配電施設に問題があったのかもしれない。
スマホを持って来るのを忘れたことを千鳥は悔やんだ。あの状態の2人が迎えに来てくれるとは思えない。階下にいるだろうあの男は……まっぴらごめんだ。
(ま、気づくわけもないか……)
しょうがないので、目が闇に慣れるまで待った。1分、2分……。
ドアを開け、手洗い場まではなんとかなった。蛇口を捻り手を洗い、廊下へ進み出る。
幸いなことに、廊下には明かりがあった。といっても非常照明だ。避難口の方向を示す通路誘導灯に描かれた緑の人が、ぽつんと足元を照らしてくれている。
(なんとか戻れる……)
ほっと息をつき、さて部屋の場所がわかるかなと考えていると、千鳥は少し行った廊下の先に誰かが立っているのに気が付いた。
背筋をぞっと怖気が走る。
「――そ」
声が漏れる。
その者はレインコートを着ていた。頭をフードで覆っていた。足にはゴム長靴。今まで外にいたのか、全身から水を滴らせていた。絨毯が黒く塗れていた。
通路誘導灯の明かりが、その者の顔を照らしていた。
目の細い女だった。口の端を歪ませ、にたりと笑っていた。
「鶴賀瀬園子……っ」
千鳥が悲鳴のように声を出すと、その者は、鶴賀瀬園子は細い目をさらに細く、糸のように引き絞った。
「おひさしぶりね。千鳥さん」
フードを下ろし、長い髪の毛をこれ見よがしに左右に振った。
「この日がくるのを待ってたわ。ずっと。ずうぅっと」




