第10話「千鳥、黒き想いを募らせる。酒の発祥について①」
お酒の発祥について少々。
このへんも語り出すと長いです。
~~講堂にて~~
受講する科目を同じくしていた千鳥たち3人は、必然的に連れ立って行動することが多かった。登校時はオープンカフェを見下ろす大階段脇の掲示板前で待ち合わせ。昼休みはオープンカフェで。時に芝生の上に足を投げて持ち寄った弁当をつつき合う。下校時も一緒。薫のバイトがない日や、酒神が外で呑んでくる日は3人で夕食も共にした。一般的な女性とは異なる嗜好を持つ千鳥には、まことに好ましい日常だった。ある一点を除いては。
「猿が木の窪みに貯めた果実が天然酵母の働きで自然発酵して酒になった。いわゆる猿酒の伝承は世界各地にある。世界初の酒は猿が作った。というのはもちろん極論だが、事ほどさように酒というものが出来やすいものであることはたしかだ」
教壇では酒神が教鞭をとっていた。夏帆が整えたスーツ姿で、無精ひげもなく、ぱりっとしている。語り口も手慣れたもので、堅苦しい内容でもなく、人気の高い授業だった。
千鳥たち3人は、端っこの席に座っていた。
「……しかしおっさんらしいというか」
「酒の精製と文化の伝播とはねえ」
薫と夏帆は顔を見合わせて笑い合う。楽しげに、どこか尊敬の念すら感じさせる目線を酒神の立ち姿に送っている。
普段適当極まりない酒神がまともに働いている姿はたしかに意外で新鮮だが、それだけで見直そうというのはいささかハードルが低すぎはしないだろうか。千鳥としては面白くなかった。
有り体にいうならば嫉妬だった。羨ましく妬ましかった。ふたりの女の子の目は千鳥に向けられるべきなのだ。
「適切な状況下であれば、酒を造るのは簡単だ。ブドウにリンゴにヤシに米に麦に蜂蜜に。人類は様々なものを醸し、酒を造った。中でも最古と呼ばれているのは、一万五千年前のスペインはアルタミラ洞窟の壁画にある蜂蜜採取の姿から想定されるところの蜂蜜酒だ」
(ぬかったなぁ……枯れ専の薫ちゃんはまだしも……いつの間に夏帆ちゃんまで……)
早くもハーレム計画は頓挫しかけている。
「でも~。これって完全に趣味の領域ですよね~。個人で楽しむならまだしも~。ゼミ持ちの教授がすることにしてはレベルが低いような~」
「そうか? 一般教養としては十分だろ。面白くなきゃ学生だってついて来ないし」
「ゼミ生になったら本格的なフィールドワークもあるらしいよ? お酒が造った歴史と文化を研究するんだって」
「海外へも行くとか言ってたな」
「言ってたね。だからか、寮にも怪しげな土産物が多いんだよね。あれ、掃除が面倒なんだぁ」
「へえ、ますます楽しみだな」
「今度のお泊まりの時にいろいろ見せてあげるね」
「……」
酒神の話題で盛り上がるふたり。授業中なので声のトーンはおさえ目で。そういった抑制されたきゃっきゃうふふは本来なら千鳥の大好物なのだが、今はひたすら恨めしい。
「ハニームーン。皆も知っているだろうハネムーンという言葉の語源はここなんだ。新婚夫婦をひとつ屋根の下に住まわせ、栄養価が高く滋養強壮の効果がある蜂蜜酒を呑ませる。期間は一ヶ月。……蜜のように甘い月っていうふわふわした響きの割には、ずいぶんと直截で現実的な話なんだ」
肩をすくめる酒神の話に、生徒の中からくすくす笑いが起こる。
ギリギリ。ギリギリ。
「……おい千鳥、歯ぎしり歯ぎしり。キャラ崩れてるぞ」
「――はっ」
我に返った千鳥はにこにこと小首を傾げ、
「えぇ~。なんのこと~?」
と改めて仮面をかぶり直すが、
「千鳥ちゃん顔怖いよ……?」
「ひきつってるひきつってる」
なかなか上手くいかない。
「……わたしは千鳥。ゆるふわ愛されキャラの千鳥ちゃん。歯ぎしりしない。舌打ちしない。爪を噛まない。いつもニコニコほんわか笑顔であの娘のハートをがっちりキャッチ……ハートキャッチ……」
ぶつぶつつぶやき出した千鳥を、ふたりは気味の悪いものを見る目で見ていた。
~~手島家にて~~
手島家は、八王子駅から高尾方面に向かって5キロほどの住宅地のど真ん中にある。自動車会社社長の家だけあって、都下有数の高級住宅地の中にあってなお、周囲とは一線を画する大邸宅だ。
庭にはプールがあった。使用人がおり、家政婦がおり、運転手付きのリムジンがあった。私設の警備員までいる。いずれにおいてもすべて一流の人間を配し、本物を扱わせた。幼い頃からそうした恵まれた環境の中で育った千鳥は箱入り娘として大切に育てられたが、方向としては斜め上方に全力で突っ走ってしまった。
「おい千鳥」
「ノックぐらいしなさいと何度言ったらわかるんです。ぶち転がしますよお兄様」
鏡台に向かって化粧を整えながら、千鳥は吐き捨てるように言った。
言葉遣いとは裏腹に、嫌みのないようナチュラルメイクをしていた。髪をおさげにして、赤いリボンでアクセントをつけていた。服装は花柄のワンピースで、可愛らしさをアピールしていく狙いだ。
「……おまえね、妹の花見のために車出す心優しき兄に向かっていうことかねそれが」
2つ上の兄の謙吾が、鏡の中で大きなため息をついている。九曜大学の3年だ。ラガーマンらしく長身で肩幅が広く筋肉質で、その割には顔の造作がすっきり綺麗に整っていて、女子に人気がある。
でもホモだ。
「……うっさいホモ」
「はあ? 誰がホモかっ。ホモって言ったやつがホモなんだぞ!?」
謙吾が声を荒げる。肩を怒らせ、目をきつくすると傍目には相当怖いが、見慣れた千鳥としてはまったく気にならない。
「バカって言ったやつがバカみたいに言ってもダメ。ホモはホモでしょ。年下の美少年にヤク漬けにされてめちゃめちゃにされたい願望のある変態のくせに。あ、それとも年上の美中年のほうが良かった?」
「なんだそりゃ!! 俺はノーマルだ!!」
「でも、ちょっといいかもと思ったでしょ?」
「思うか!!」
「……ほう~?」
千鳥、不適に微笑む。
「さっきからずいぶん反抗的だけどお兄様。今日のお花見について来たくないのかな?」
「な……誰が車出してやると思って……!!」
「別にお兄様じゃなくてもいいのよ? 家政婦だって車持ってるし、免許あるし。勘違いしないでよね。お兄様が酒神教授大好きっ子だから、運転手でいいならってことで連れてってあげるだけなんだから」
「バカな……俺はゼミ生だぞ……? ついていってなんの問題がある。おまえに許可をとる必要なんて……」
「来るなって言ってるのよ。それとも妹の女友達同士の花見にむりやりついて来る? それってかなり気持ち悪いけど。だいたい、下戸のくせに呑みに行きたいなんておかしいでしょ」
「おかしくない!! 俺は呑み会の雰囲気が好きなんだよ!! くだけた雰囲気で聞くあの人の話が好きなんだよ!! 酌をした時言われるありがとうなんて感涙ものなんだよ!! どうこうしたいわけじゃないんだ!! 側にいたいだけなんだよ!!」
「――他に言うべき言葉は?」
「……え?」
「ほら、なんかあるんじゃないの? 妹の付き添いっていう素晴らしい口実と、良い兄貴アピールができる絶好の機会を与えてあげたわたしに感謝するべきじゃないの? あ、それとも足でも舐める?」
「く……この二重人格め……っ。外じゃあんなに猫被ってるくせに……」
「裏表を使い分けてるだけよ。そりゃあもう女の子ですから」
悪びれない千鳥に、謙吾は打つ手がない。
「――んで?」
「……」
屈辱で顔を真っ赤にする謙吾。手がぷるぷると震えている。
「……連れていってくれ」
「はあ? くれ? くださいの間違いじゃないの?」
「……連れていってください」
「それだけぇ?」
「俺を……花見に付き添わせてください。千鳥……さん……」
「ふん」
千鳥は鼻を鳴らすと、がらりとトーンを変えて、外行き用の声を出した。
「あらあら~。お兄様ありがとう~。そこまでしてわたしのために尽くしてくれるなんて、妹冥利に尽きますわ~」
「てめっ……はい……」
「じゃあ~、わたしの荷物の積み込みもしてくれます~? あと~、車を玄関につけたら呼びに来てくださいね~」
「……はい」
「本当に優しいなぁ~。お兄様っ、だぁ~い好きぃ~」
手を合わせてにっこり微笑む彼女の姿は、人の形をした小悪魔のようであった。




