5話 組み手
体育館の隅で、
二年生同士の組手をしばらく眺めていた。
フルコンタクト。
顔面はなし。
だが、それ以外はほぼ何でもありだ。
ミドル。
ロー。
膝。
鈍い音が体育館に響く。
悪くない。
少なくとも、形だけの部活ではない。
俺は壁にもたれて腕を組んだまま、
しばらく動きを見ていた。
――間合いが遠い。
――腰が浮く。
――踏み込みが遅い。
そんなことをぼんやり考えていると、
ふと視線を感じた。
「……君、転入生?」
声をかけてきたのは、
道着を着た短髪の男だった。
体つきはいい。
肩幅もある。
二年生だろう。
部長かもしれない。
俺は軽く頷いた。
「四年……いや、三年」
「三年?」
男の眉が少し上がる。
「じゃあ……先輩?」
「まあ、形式上は」
まあ段位だけなら、大学の三、四年と組んでいてもおかしくない。
そんなことを思いながら――
俺は肩をすくめた。
「でも転入生なんで。
気にしないで」
男は少し笑った。
「いや、そういうわけにもいかないでしょ」
気がつくと、
周りの部員たちもこちらを見ていた。
女子もいる。
この学校らしい光景だ。
「空手、経験ある?」
「少し」
嘘ではない。
「どのくらい?」
少し考える。
「日本拳法を少し」
「拳法?」
部長らしい男が首を傾げた。
「段とかは?」
「三段」
一瞬、体育館の空気が止まった。
「……三段?」
誰かが小さく言った。
俺は頷いた。
「あと柔道二段」
今度は沈黙が少し長かった。
部長が苦笑する。
「それ……“少し”じゃないよね」
俺は黙った。
別に自慢する気はない。
ただ事実を言っただけだ。
部長は少し考えてから言った。
「じゃあさ」
にやっと笑う。
「軽く、組んでみる?」
周りがざわつく。
「部長マジ?」
「いきなり?」
「三年だぞ?」
俺はゆっくりと壁から体を離した。
首を回す。
関節が小さく鳴る。
久しぶりだ。
本気で体を動かすのは。
俺は
GAPの黒いコットンジャケットを脱いだ。
道着の男が構える。
俺も軽く構える。
セントジェームズの
バスクシャツのボーダーが
少し間抜けに見えるが、仕方ない。
深く息を吸う。
呼吸が整う。
ミトコンドリアに火が入るように、
体の奥が静かに熱くなる。
――悪くない。
俺は小さく笑った。
「よろしく」
体育館の空気が、
わずかに変わった。
⸻
初組手(無拍子・居付き)
体育館の中央。
自然に円ができていた。
部長が構える。
極真系の構えだ。
顎を引き、拳を高く上げる。
いい構えだ。
だが――
少し固い。
俺は構えない。
腕をだらりと下げたまま立つ。
ただ立っているだけだ。
周りがざわつく。
「構えないのか?」
誰かが小声で言った。
部長が一歩、間合いを詰める。
床がきしむ。
俺は呼吸を落とした。
吸う。
吐く。
肩の力が抜け、
背骨がわずかに沈む。
視界が広がる。
世界が少し遅くなる。
部長の肩が
ほんのわずかに動いた。
――ミドル。
次の瞬間、
部長の脚が振り上がる。
その途中で、
俺は半歩だけ前に出た。
距離が消える。
部長の体が
一瞬だけ止まった。
居付き。
その瞬間。
俺の足が動く。
ローキックの軌道で、
足首を払う。
パンッ。
乾いた音。
部長の体が崩れた。
「うわっ」
床に手をつき、
部長が体勢を立て直す。
すぐに立ち上がる。
今度は慎重だ。
目が変わっている。
部長が踏み込む。
右ストレート。
速い。
普通の高校生なら
避けるのも難しい。
だが――
遅い。
俺は体を半歩だけずらす。
拳が空を切る。
そのまま肩を入れる。
肩甲骨が滑る。
体が一体になる。
肘。
コツン、と軽い音。
当てただけだ。
部長の動きが止まる。
また居付いた。
俺は外側に足をかけた。
小外刈。
体が浮く。
ドサッ。
部長の背中が床に落ちた。
体育館が静まり返る。
女子の一人が
思わず声を漏らした。
「……え?」
部長は天井を見上げたまま
しばらく動かなかった。
やがて笑う。
「……参った」
俺は手を差し出す。
部長はそれを掴んで立ち上がった。
「強いね」
俺は首を振る。
「いい組み手だった」
部長は苦笑した。
周りの部員たちは
まだ少し呆然としていた。
俺は肩を回す。
関節が静かに鳴る。
体は完全に目を覚ましていた。
久しぶりに
悪くない気分だ。




