3、冷たい視線
ここまできたら大丈夫かな……。
みんなの冷ややかな視線に耐えきれなかった私は会場を抜け出して建物内を彷徨い、やっと人のいない庭園まで来ていた。
ちょっと頭と心を落ち着けたい。
まさかもうすでにここまで嫌われてるとは思わなかったよ。
っていうか、家を出るときはあれほど目立たないようにしようと誓ったのに、私ったら何軽率に登場人物全員と思いっきり接触しちゃってるのよおおお!
生徒たちはおろか、攻略対象たちからの印象も既に最悪な状態のようだ。
わーん!
これからどうしたらいいんだろう……!
混乱する頭を抱えながらトボトボと歩いていると、なにやら争うような声が聞こえてきた。
生垣になっている向こうの方に何人かの人がいるようだ。
気になって生垣の傍まで寄り、そっと目を凝らしてみる。
あら?ヒロインのエリーじゃない。
なんであの子までこんなところに?
よくよく様子を伺ってみると、明らかに数人の令嬢たちに取り囲まれている雰囲気。
中心にいるリーダー格のような令嬢の姿を見て、私はすぐにピンときた。
あ……!
あれって、ルーチェの隣に描かれてた令嬢と同じ顔だ!
小さい絵だったけど、あの赤髪は間違いない。
状況から察するに、おそらく悪役令嬢その2ってところだろう。
「あなたね、ずっとミカエル様に付き纏ってるんじゃないわよ!」
「そんなこと、」
「ミカエル様だけじゃなくて王宮魔術師のロジェ様にまで色目使ってるわよね!」
「あれは、Sクラスのダンジョンに必要なものを、」
「言い訳なんかしても無駄よ!!」
「そうよ、騎士団長のシリル様にベタベタしてるのも見たわ!」
「そ、そんな、ベタベタなんて……私の治癒魔法で騎士団のお手伝いをしているだけです」
「そう! それが一番の問題なのよ! シリル様に馴々しく接して厚かましいですわ!」
そう言って赤髪の令嬢がエリーに詰め寄った。
この話ぶりだと攻略対象たちから目を掛けてもらってることに文句をつける悪役令嬢って感じね。
これは何かのイベントなのだろうか。
っていうか、シリルがルーチェの義兄で、王太子殿下がミカエル様ってことだから――――
あの薄紅色の長髪イケメンがロジェ様って名前なんだ。
うん、可憐な彼にぴったりの名前だわ。
魔導士みたいな格好してると思ったけど、王宮の魔術師というのならなるほど納得。
そんな能天気なことを考えてると、エリーを責め立てている赤髪の令嬢が私に気づいた。
「あら? ルーチェ様ではなくて?」
げっ。この人と知り合いなの?
悪役令嬢二人が揃っちゃうなんて。
「やっぱり、ルーチェ様もこの女に言いたいことがおありなのよね!」
嬉々として話す令嬢に私は閉口する。
そんなにこの子を貶めたいの?
それほどにこの子はいけないことをしたの?
ただ、彼らが才能ある彼女に目を掛けてるってだけの話じゃないの?
私はエリーの項垂れる姿を見てふつふつと怒りが湧いてきた。
こんなのってただのいじめじゃない。
「ルーチェ様、私たちきっと同じ気持ちですわ」
そう言って赤髪の令嬢は、私の目の前にやってきて手を握る。
瞬間、私は怒りに任せてその手を大きく払い除けた。
「何言ってるんですか?! 全然違いますけど?!」
「ええっ?」
「そんなこと1ミリも思ってませんって言ったの」
「だ、だって、ルーチェ様の王太子殿下にもこの者は色目を使って……」
「あのね、そもそも王太子殿下は私のものでもないし、殿下は“もの”じゃないし、私は殿下に興味もありません」
「ええええ??」
赤髪の令嬢は混乱した様子で驚いている。
「だいだいね、一人相手に大人数でよってたかって責め立てるなんて卑怯じゃない」
「……っ」
「まったく、貴族令嬢が聞いて呆れるわ!」
「な、何よ! この前まで殿下、殿下とまとわりついてたくせにっ」
赤髪の令嬢は憤慨した様子で私に敵意を向け始めた。
あ、そうか、ルーチェはミカエル様が好きだったんだっけ。
「あれは……その……ほ、ほんの冗談ですわ! 殿下だってきっとただの小娘の戯言だと気にも留めておりませんわよ。おほほほほ」
って言っておけば大丈夫かしらね。
「んなっ……! 何よ! 殿下のことに協力したらシリル様との仲を取り持ってくれるって約束してくれたではないですか!」
えっ?!
そんなこと言ってたのルーチェ?!
あぁ、もう!
「そ、それは……まあ一時の感情というものですわ」
「なんですって?! 信じられない! このソニア・ダルメダとの約束を反故にするなんて!」
そう言って、赤髪の令嬢――――ソニアは私を一瞬キッと睨み据えてから、すぐに不敵な笑みを浮かべながら続ける。
「ふんっ。やっぱり出自の卑しい者は言うことがお下品ですわね」
むむっ。そうきたか。
「あら、そんな言い方されるなんて悲しいわ。お兄様に泣きついちゃおうかしら」
言われっぱなしも癪に障るので、思わず私も勢いで口から出まかせを言ってしまう。
このソニアって子はシリルが随分と好きなようだし。
と言っても今日の様子を見たら、実際は私からシリルに話しかけるなんて出来そうもないけどね。
とはいえ、その言葉には効果があったのか、ソニアはぐっと言葉に詰まり私を睨みつけてから令嬢たちを引き連れて去って行った。
はあ、疲れた…………。
「あ、あの、」
ずっと黙っていたエリーが恐る恐る私に声を掛けてくる。
「あ、大丈夫? ですか?」
「ルーチェ様、私に敬語なんてお使いにならないでください」
え?あ、そっか。エリーはルーチェより身分が低いのかな。
「そ、そうね。えーと、大丈夫?」
「はい、ありがとうございます!」
あまりにもキラキラとした笑顔を向けてくるので思わず見惚れてしまう。
やっぱりヒロインの可愛さは桁違いだ。
ついついオタク心が騒いでしまうよ。
「やっぱりルーチェ様って格好いい……」
エリーが何かを小さく呟いた。
その瞬間、ガサっと音が響き横から何かの塊がザッと視界を通り過ぎるのが見えた。
「きゃっ!!」
エリーの叫び声にハッと見ると、大型犬が倒れたエリーの上にのし掛かるように乗っている。
「ちょっとやだ、そんな風にじゃれついちゃダメよ」
私は思わず言い聞かせるように犬の身体を押してエリーの上からどかし、エリーを立たせた。
「ふう、びっくりしたね。大丈夫?」
私はエリーのドレスについた葉っぱや土を払ってやりながら問いかける。
「あ、あの……」
エリーは震えたように言いながら後ろを指差した。
「ん?」
振り返ると、先ほどの犬がこちらを睨み据えながら威嚇するように喉を鳴らしている。
え?
どこかのワンちゃんかと思ったら違うの?
よく見てみると、牙と角が生えていて鋭い顔つきをして耳が尖っている。
なんだか角も変わってる形だし、犬にしては奇抜な容姿だ。
犬じゃない……?!
そう思った瞬間、その生き物は一段と低い唸り声を上げた。
えっ?えっ?これは危ないのでは?!
ここでヒロインが襲われたらゲームが終わっちゃうんじゃないの?!
そう思った私は考える間もなくエリーを隠すように背に庇った。
ゲームオーバーになるならせめて逆ハールートをこの目で見終わってからにしたいよお!!
私がそう心の中で叫ぶと同時に、その生き物の瞳が朱色に変わった。
瞬間、激しい閃光が放たれ周囲が真昼の如く明るくなる。
あまりの眩さに私は身を固くして目を閉じた。
……………………。
それ以上の変化を感じない私は、ぎゅっと瞑った目をおそるおそる開く。
そこには先ほどの夜の庭園があるだけで、犬のような生き物の姿も消えていた。
???
今のは何だったの?!
狐につままれたような気持ちで呆然とする。
そんな私を気遣うように後ろからエリーが声をかけてくる。
「ルーチェ様、大丈夫ですか……?」
「あ、うん――」
「あまり見ない珍しい形の魔獣でしたね」
「そうなんだ……」
私は力無く返事をする。
あれは魔獣だったのか……。
「念の為に神殿で見てもらった方が、」
私を心配そうに見つめながらエリーがそこまで言ったとき、向こうの方から多数の人影がやってきた。
見てみると、シリルを筆頭に騎士たちやミカエル様までもがこちらへ向かってくる。
別の方向からは、ロジェ様がこちらを見ていた。
気づけば四方八方から生徒たちも集まり、私たちはいつの間にか大注目の的だ。
そういえば物凄い閃光だったもの。
そりゃあみんな異変に気づくよね。
シリルは険しい顔で私に詰め寄り、低い声を出した。
「やはり君は、エリーに何かしたんだな!」
へ?
エリーに目をやると、払いきれなかった土や草でドレスが汚れぐちゃぐちゃになっている。
あ、大変!
勘違いされちゃう!
エリーはさっきの魔獣にのし掛かられて倒れちゃったものね。
咄嗟に庇ったとはいえ、私は謎の光を浴びただけだし。
「違、」
と、私は言いかけた途端、シリルはエリーの腕を引っ張って警戒するように私から引き離した。
「エリー、この者のせいで……申し訳ない」
「え? いえ違うんです――」
シリルはエリーが言い終わらないうちに、頭を振って申し訳なさそうに呟いた。
「とにかく行きましょう。家までお送りします」
「あの……」
シリルは戸惑うエリーの手を取り、私をキッと睨んでから彼女を連れて立ち去って行った。
その様子を見ていたミハイル様も、少しの軽蔑の眼差しを足した不敵な笑みを浮かべて去っていく。
少し離れた場所から見ていたロジェ様は興味を無くしたように冷たい表情で私を一瞥して身を翻した。
私は頭が混乱して立ち尽くす。
はあ……。
目立たないようにしようと思ってたのに、なんでこんなことになっちゃったの……?!