7話
週が開けて、学校のある行事が近づいてきた。文化祭である。
俺のクラスも文化祭の準備で大忙しだ。俺は文化祭前の準備で慌ただしい雰囲気が気に入っていた。いつもの日常とは違うというワクワクを感じるからだ。
「昌樹のクラスは何をやるの?」
放課後、いつも通り俺の部屋で漫画を読んでいる梨音が聞いてきた。彼女が着ているのはそこらのお店で売っていそうな安っぽいジャージだ。梨音が自分の家から持ってきた部屋着だという。
「お化け屋敷だ。準備は大変だけど楽しいぞ」
「へえ! 面白そう。見に行くね」
漫画から顔を上げて、梨音は明るく笑った。俺は彼女の様子に違和感を覚えた。
「あれ? 梨音は怖いものが苦手だったような……」
子供の頃の彼女は怖がりなところがあり、うっかりテレビの心霊番組を見てしまったら中々寝付けないほどだ。
昔、梨音に寝ているところを起こされ、トイレまでついていったことはよく覚えている。
「何年前の話をしてるの? 今はもう平気だよ」
梨音は誇らしそうに言っていた。どうやら彼女はいつの間にか克服したらしい。俺は時が経ったことを実感した。
「そっちのクラスは何をやるんだ?」
「うちはメイド喫茶だよ。男子も女子もメイドになるんだよ」
そう梨音は面白そうに語った。女子はともかく男子もメイドになる理由は分からない。
まさか男子もメイド服を着るのだろうか。梨音のクラスの男子に少し同情した。
「私も接客するから来てね」
そんなことを言われ思わず梨音のメイド姿を想像してしまった。彼女はスタイルが良いからメイド服もきっと似合うだろう。そう考えていると、ニヤニヤしている彼女と目が合った。
「あれ? もしかして私が着ている姿を想像した?」
「そ、そんなこと考えてないし」
俺は動揺を悟られまいとそっぽを向いた。どうして分かったんだ。
俺の反応に梨音はふーんと面白そうに呟いた。
次の日の朝、学校へ出かける準備をしていると、家のチャイムが鳴らされた。玄関を開けると、ここ最近、毎日顔を合わせている幼馴染がいた。
「こんな朝早くにどうした?」
「学校に行こう」
「え?」
唐突に梨音から誘われて、俺は急いで家へ出る準備をした。微笑ましそうにしている母さんに見送られ家を出た。
「一緒に登校するなんて何年ぶりだろうね」
通学路で俺は梨音と並んで歩いていた。こうして歩くと子供の時の記憶が思い出される。
「小学校の時以来か?」
「そうそう。あの時はずっと一緒にいたね」
当時、小学生だった俺と梨音は本当に一日中一緒にいた。手を繋いで通学路を歩いた覚えがある。
もちろん疎遠になってからはそんなこともなくなってしまったが。
「あの頃みたいに手でも繋ぐ?」
梨音は俺の方に手を差し伸べた。俺はその行動に驚いた。と同時に彼女も昔のことを覚えているみたいで俺は嬉しくなった。一瞬、梨音の手を握ろうか迷った。
「もう子供じゃないからいいだろ」
しかし、俺は迷いを断ち切り、彼女の誘いを断った。
「そっか。手を繋いで登校する年でもないしね」
梨音はあっさりと手を下ろした。何故だろう、ものすごく惜しいことをした気がする。
そして、この日から一緒に登校するようになった。元々下校の時も一緒に帰っているようなものだから、本当に小学生の頃に戻ったようだ。
梨音と一緒に登校するようになってから、数日が経った。ある日、教室に入ると、周囲から視線を感じる。自分の席まで行くと、坊主頭の友達が俺のことを怪しむような目で見ていた。
「楠木、平野さんと一緒の家で暮らしているって本当か!?」
俺が席に着くなり、川口は俺の机にバンと勢いよく手を叩きつけた。手は痛くないだろうか。
「いきなり何の話だ?」
「しらばっくれるな! もう証拠は上がっているんだぞ!」
川口は尋問中の刑事のように俺を問い詰めた。デジャヴを感じる。
「証拠って何だよ?」
俺がそう聞くと、川口は待ってましたと言いたげな顔をしていた。
「お前たちが一緒に登下校しているのを見たんだ。それで同じ家に住んでいるんじゃないかって噂が立っているぞ」
彼はまるで犯人を見たという目撃者を紹介するように得意気だった。
「前にも言ったろ。俺と梨音は幼馴染で、家が隣同士なんだ。だから、一緒に登下校しているんだ」
「いくら家が隣同士だからといって、一緒に登校するとは限らないだろ」
「いや、そんなことを言われても」
一緒に登校しようと言ったのは梨音だ。彼女がどんな考えの元、そう言い出したのは分からないから川口にどう答えていいか戸惑った。
「一緒に登校するほど仲が良い幼馴染。これはもう付き合っているだろ」
名推理を披露するようにキメ顔で川口は言い放った。迷推理をしている彼には悪いが、俺と梨音はそんな関係ではない。
「何度も言っているけど、俺たちはただの幼馴染だ」
俺はそう断言した。これで川口も諦めるだろうと思っていた。しかし、彼は俺の発言を聞いて目を光らせた。
「でも、楠木は嫌じゃないんだよな?」
「え?」
「だって嫌なら一緒に登校するのを拒否すればいいんじゃないか。それをしないってことは楠木は平野さんと一緒にいたいってことじゃないか?」
川口の指摘に俺は黙って考え込んだ。確かに梨音から誘われた時、断ってもよかった。こういう風に誰かから梨音との関係を問い詰められる恐れがあるからだ。
しかし、俺には断るという発想が全く思い浮かばなかった。それどころか当たり前のように受け入れていた。
「俺が梨音と……」
「そうだよ。さっさと認めたら楽になるぞ」
吐いたら楽になるぞみたいなことを言う川口を尻目に、俺はこれまでのことを考えていた。
俺は基本的に面倒くさがりで、面倒ごとは避けたくなる性分だ。
そんな俺が梨音に対しては違っていた。梨音が家の鍵を失くした時はまだしも、その次の日も俺の家に行きたいという彼女を俺は断ることもなく受け入れた。その後も俺の家に遊びに来る梨音を当たり前のように家に入れていた。
最近だって一緒に登校しようと言った梨音に対して特に反対せず登校している。
何故だったのか。どうして俺はあんなことをしたのだろうか。
「悩んでいるみたいだな」
川口の声に俺は顔を上げた。思考の海で漂っている俺を見て、彼は何故か満足そうにしていた。
「悪い、考え込んでしまって」
「焦らなくてもいい。お前が平野さんのことをどう思っているか自分で考えて結論を出すんだ」
彼はそう言って、俺の肩に手を置いた。無理に聞き出そうとせず、俺が結論を出すのを川口は待ってくれるようだ。
「分かった。そうするよ」
「ああ、しっかり考えてみろ」
川口は親指を上げた。その坊主頭が今日は格好良く見えた。
俺が拒絶することなく梨音と一緒にいることを選ぶ理由。それは今日一日ずっと考えていても分からなかった。気づけば学校は終わっていた。
「何を悩んでいるの?」
梨音に声をかけられた。放課後、俺は部屋で彼女といつも通り過ごしていた。
「えっ、あっ、ちょっとな」
まさか梨音のことについて考えているなんて正直に言えず適当に誤魔化した。
「ふーん」
梨音は俺の下手な言い訳に納得したのかしてないのか分からないが、それ以上は追及してこなかった。
彼女は先程まで読んでいた漫画をまた読み始めた。梨音は当たり前のようにベッドの上で寝転がっていた。
「もうすぐ文化祭だね」
「そうだな」
あともう少しで我が校の文化祭だ。うちの学校の文化祭は2日間に渡って行われる。
「そっちのクラスは確かお化け屋敷だったよね?」
「そうだ。当日、梨音に来て欲しいぐらいだ」
クラスの皆でアイデアを出し合い、良いものができたと思っている。俺も文化祭の当日を楽しみにしている。
「そっちはどうだ? メイド喫茶だよな?」
「うちも衣装は大体できているし、メニューも決まっているよ。昌樹も楽しみにしててね」
さも俺がメイド好きかのように彼女は言った。確かに梨音のメイド姿はぜひ見てみたい。って、何を考えているんだ、俺は。
「自分のクラスもそうだけど、他のクラスのところを回るのも楽しみだよね」
「確かにそうだな」
既に文化祭の実行委員会から各クラスや部活動の企画や体育館のステージで行うイベントをまとめた文化祭のしおりが配布された。
そこには企画やイベントの紹介が簡単に書かれていて、いかにも面白そうな物やなんだこれと意味が分からないものまであった。
「文化祭は誰かと回る?」
「友達と回る予定だ」
俺は川口と一緒に文化祭を回ることを約束していた。今日もしおりを見ながらどこを回るのか話し合ったところだ。
「そうなんだ。うちのクラスも来てね」
「ああ、多分行くと思うよ」
川口は梨音のクラスのメイド喫茶をとても楽しみにしていた。多分どころか絶対に行くだろう。
「梨音も友達と回るのか?」
「そうだよ。ただね」
彼女は一旦言葉を区切り、そして、困った顔をしていた。
「クラスの男子から一緒に回らないかって言われているんだよね」
彼女はそう言った。それを聞いて俺は何故か焦燥感を覚えてた。梨音が男子から人気なのは知っていた。だから、そんな誘いがあってもおかしくはないはずだ。
「行くのか?」
「うーん、断ろうかなと思うけど、はっきり断ると角が立つから」
文化祭が終わってもその男子とは同じクラスのままだ。下手に断るとその後の学校生活に支障が出ることを梨音は心配していた。
「1日目は友達と回るからいいけど、それなら2日目でって言われるとね」
「じゃあ、俺と一緒に回るか?」
気づいたら自分の口からそんな言葉が飛び出していた。梨音は俺の言葉を聞いて、驚いた顔をしていた。
「え? 昌樹と?」
「あっ、まあ、そうだけど」
今更自分が何を言い出したのか実感した。我ながら唐突すぎる。顔が熱くなるのを感じる。
「ほら、幼馴染と回るからとか言えばその男子からの誘いも断れるかなって」
俺は必死に頭を回転させて言い訳を並べたてた。俺の言い訳を聞いた梨音は顎に手を当てて考えていた。
「いいよ」
「本当か!?」
梨音の返事を聞いて自分でも信じられないぐらい大きな声を上げてしまった。気づけば俺の心は喜びの声を上げていた。
「なんでそんな驚いているの?」
梨音は声を上げた俺を見て、苦笑していた。そして、明るく笑った。
「それじゃあ2日目は一緒に回ろうね」
「ああ、楽しみにしている」
そう自然と口から溢れた。その時、俺は理解した。どうして梨音と一緒にいたいのかを。
俺は楽しいのだ。久しぶりに仲良くなった梨音といることが。初めはまるで子供の頃のように戻ったように感じていた。
けれど、それだけではなかった。俺は梨音に対していつしかただの幼馴染に向けるのとは違った感情を抱いていた。
梨音が笑った顔を見ると、こちらも嬉しくなる。梨音が困った顔をしていると、何とかしてやりたくなる。梨音といるだけでそうした感情が俺の中から湧き出してくる。
それはどうしてか。今はっきりと分かった。
「うん、私も楽しみだよ」
今も梨音の笑顔を見て俺はどうしようもなく心が満たされていた。その時、俺はようやく自分の気持ちを自覚した。




