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6話

「ほら、起きて」

 

 どこからか声が聞こえる。聞き覚えのある声だ。


「早く起きてよ」


 声の主は俺を起こそうとしている。しかし、俺は起きたくなかった。何故なら今日は学校が休みだからだ。もう少し寝ていたい。


「起こさないでくれ、母さん」

「誰がお母さんだっ!」


 布団を勢いよく剥がされた気がして、俺は目を開けた。ぼんやりとした視界で見えたのはここ数日顔を合わせている幼馴染だった。


「梨音?」


 何故ここに梨音がいるのだろう。もしかして、夢でも見ているのだろうか。


「ほら、早く起きる。もう8時を回っているよ」


 ぼんやりとした頭に聞こえてきたのは幼馴染のはっきりとした声だった。

 爽やかな土曜日の朝にまさかの幼馴染に起こされるというイベントに遭遇した。一体全体どういうことだろう。


 首を傾げている俺を置いて梨音は部屋から出ていった。俺はとりあえずパジャマから普段着に着替えた。

 部屋を出て、1階に降り、リビングに入ると、幼馴染がソファに座っていた。夢ではなかったようだ。


「やっと起きた。相変わらず朝に弱いみたいだね」


 俺の方に振り返った梨音は呆れた表情を浮かべていた。彼女は制服ではなく、私服を着ていた。学校がないから当たり前だけど、私服姿の梨音は新鮮だった。


「えっと、どうしているんだ?」


 梨音が俺の家に来るのは放課後、つまり夕方頃だ。こんなに朝早く(早くない)俺の家にいるのは不思議だ。


「おばさんから聞いてないの?」


 俺の問いかけにまたしても梨音は呆れた表情を浮かべていた。


 梨音が言うには俺の両親は出かけているらしい。両親はあの歳で中々仲が良く、休日は俺を置いて2人でどこかへ行くことがある。いや、俺ももう高校生だから気にしていないけど。

 そして、梨音の両親も休日だというのに仕事に行っているという。つまり。


「この家には私と昌樹しかいないってこと」


 彼女はそう締め括った。そんな大事なことは事前に言ってくれ、母さん。


 梨音によると、俺たちの親は夜まで帰ってこないらしい。だから、今日のご飯は俺と梨音の好きにしていいそうだ。テーブルの上にご飯用と思われるお金が置いてあった。


「じゃあ、朝と昼と夜のご飯を何とかしないとな」

「あっ、私、昼間は友達と出かけるからご飯はいらないよ」


 俺が気合いを入れていると、梨音はそう言った。そう言えば、昨日、そんな予定があるって言っていたな。


「夜ご飯は家で食べるのか?」

「うん、そのつもり。楽しみにしているね」


 そう言って、梨音は明るく笑った。思わず任せろと言いたくなってしまうほどの笑顔だったが、俺は引っかかりを覚えた。


「俺が作るのか?」


 今の梨音の口ぶりは明らかにそういうことだった。『楽しみにしてる』なんてどう考えても食べる側の言葉だろう。俺の指摘に梨音は口を尖らせた。


「だって、料理なんて面倒くさいし」

「それは俺も同じだから」


 さらっと自分は料理当番から抜けようとする梨音に俺は待ったをかけた。


「当番を決めようぜ。せっかく2人いるんだから朝と夜、どっちが担当するか決めよう」


 梨音が言うにはまだ朝食は済ませていないという。ならば2人の内、朝ご飯を作る人と夜ご飯を作る人を決めればいい。


「私は昌樹を起こしたから」


 だから料理を作らなくてもいいといった態度で梨音は言った。どこか誇らしそうだった。

 先程からどうも彼女は絶対に料理をしたくないようだ。ふと俺はある考えが頭に浮かんだ。


「梨音は料理できるのか?」


 俺の疑問に答えず、彼女は明後日の方向を向いた。その反応を見れば明らかだった。


「ゆで卵なら作れるし」

「それは料理じゃないと思うぞ」


 俺がそう言うと、梨音はキッと俺を睨んだ。


「そういう昌樹はどうなの? 私にばかり言ってさ」

「一応できるぞ」

「え?」


 梨音は鳩が豆鉄炮を喰らったような顔をした。

 俺の両親は休日に出かけることが多いため、俺が自分でご飯を用意する必要がある。そのため、休みの日は料理をしている。


「まあ、チャーハンとか炒め物とかカレーとか簡単なものぐらいだけどな」


 とはいえ、面倒くさがり屋の俺にとって進んでやるほど好きではない。あくまで必要に応じてだ。


「チャーハン……、カレー……」


 梨音は衝撃から立ち直っていないらしく、何故か料理の名前を呟いていた。やがて何か決心をしたような顔に変わった。


「私もやる」

「うん?」

「昌樹に負けてられない。だから、料理を教えて」


 思わぬ形で負けず嫌いを発動した梨音はやる気に満ちた表情をしていた。こうして、俺は幼馴染に料理を教えることになった。


 その後、話し合いの結果、朝ご飯は俺が作ることになった。メニューは卵のサンドイッチと野菜のサラダだ。

 そして、夜ご飯を俺と梨音が一緒に作ることした。結局、俺は朝と夜の両方を作ることになった。まあ、俺1人で作るわけじゃないからいいか。

 

「ごちそうさま」

「おう、お粗末さま」

 

 朝ご飯を食べ終えた梨音は感慨深い顔をしていた。ちなみに今、俺たちは1階のリビングにいて、テーブルに向かい合わせで座っている。


「いやー、まさか昌樹の手料理を食べる日が来るなんてね」

「俺もまさか梨音に料理をご馳走するなんてな」


 梨音は俺が作った朝ご飯を美味しいと言いながら食べてくれた。彼女の食べる様子を見ると俺も嬉しくなった。


「じゃあ、私、行ってくるから」

「いってらっしゃい」


 椅子から立ち上がり、リビングを出ていこうとする梨音を見送った。

 彼女が出かけた後、皿を洗ってもらえばよかったと後悔した。

 俺が料理を作ることに気が進まないのは後片付けが面倒くさいからだ。使った食器やキッチン用具を洗う。ご飯を食べ終わった後に行うこれは本当に労力がいる。

 しかし、梨音はもう行ってしまった。俺がなんとかしないといけない。

 俺は立ち上がり、食器を台所のシンクまで運んだ。食器を洗いながら、今日の夜は梨音とどんな料理を作ろうか考えていた。


 夕方、辺りが暗くなり始めた頃、梨音は俺の家に来た。梨音曰く自然とここに足が向いたという。ここ1週間は夕方になると俺の家に来ているから、体に染み付いてしまっているかもしれない。

 俺と梨音は台所に立った。こうして2人並んで台所に立つのは子供の時にクッキーを作った時以来だ。


「さて、やるか」

「お願いします、先生!」


 梨音は俺に対してこれまでにないほど丁寧に接していた。いつの間にか『先生』と呼ばれている。


「何を作るの?」

「カレーにしようと思う」

 

 カレーは案外難しくない。適当に野菜や肉を鍋に入れて、煮込み、その後、カレールウを入れればいいだけだ。


「まずは野菜を切っていく」


 俺は包丁とまな板を準備し、玉ねぎをまな板の上に乗せた。手本として、玉ねぎをくし切りに切るところを梨音に見せた。

 彼女は真剣な顔で見つめていた。なんか見られているとやりにくいな。

 

「次は人参だな。やってみるか?」

「う、うん」


 梨音は恐る恐る頷いた。包丁を持つ手が覚束ないし、やはり料理は全然していないのだろう。

 俺は梨音に包丁の持ち方を教えた。


「包丁はこう持って。で、食材を押さえておくのは猫の手だ」

「あ、聞いたことがある。こうやって猫みたいな手にするんでしょ。ニャーって」


 梨音は両手の指を内側に折り曲げ、俺に向かって見せた。可愛いな、おい。

 その後、梨音は俺に教えられた通りに、人参やジャガイモを切っていった。

 初めは梨音が指を切らないかハラハラしながら見ていた。しかし、次第に慣れてきたのか難なく包丁で食材を切れるようになった。

 梨音は昔から飲み込みが早く、何でもできる。だから、料理ができないと聞いて、意外に思ったものだ。


「食材を切ったら炒めるぞ。鍋を火にかけてくれ」


 俺の指示通り、梨音は鍋をガスコンロの上に乗せた。ガスコンロの火をつけて、鍋に油を少量垂らす。

 鍋に熱が通ったら先程切った具材と豚肉を入れていく。タマネギが飴色になるまで炒める。


「ルウはいつ入れるの?」

「ある程度炒めて、煮込んでからだ」


 炒め終わったら、鍋に水を入れて具材が柔らかくなるまで煮込む。


「煮込むのはまあ大体15分くらいだな」

「分かった」

「後はルーを入れるぐらいだから俺がやっておくよ」

「ううん、最後まで私もやる」


 朝の時の態度が嘘のように梨音はやる気に満ちた表情をしていた。もしかして料理をするのが楽しくなってきたのだろうか。

 十分に煮込んだ後、カレールウを鍋の中に入れようとした時だ。


「ねえ、甘口は?」

「え? 甘口?」


 俺が用意したのは中辛のカレールウだ。梨音はそれを見た途端、不満げな顔になった。


「私、辛いの苦手だよ」

「いや、そう言われても」


 俺は普段から中辛だ。甘口のルウは家に置いていない。


「中辛じゃダメか?」

「何とかここから甘口にできない?」

 

 梨音は上目遣いで俺を見た。思わずやってみると言いそうになったが、今から中辛のルウを甘口に変えるなんて芸当は出来そうにない。


「あっ、そうだ」


 俺の頭にある考えが浮かんだ。俺は冷蔵庫を開けて、頭の中に浮かんだものを取り出した。


「カレーにこいつらを入れてみるか」

「え? これって……」


 俺が冷蔵庫から取り出したのは牛乳、ヨーグルト、ハチミツ、チョコレート、めんつゆだった。


「これ、全部入れるの?」

「ああ。こういうのを隠し味でカレーに入れるといいって、ネットで見たことあるんだ」

「そうなんだ」


 普段は面倒だからやらないが、今回は梨音がいる。せっかくだから試してみよう。


「どれくらい入れる? たくさん?」

「いや、味を見ながら少しずつ入れておこう」


 まず俺が味見をしながら辛さを抑えたカレーを作る。そして、次に梨音が食べられる辛さかどうかを確認する。食べられないようだったらその都度、隠し味を入れて調節していく。

 梨音が食べられる辛さになったら、弱火で少し煮込む。


「よし、完成だ」

 

 俺は鍋の中身を確認して呟いた。完成したカレーはいつもと違った匂いがする。いつもはスパイスがよく効いた匂いだが、今日のはその匂いが控えめな気がする。


「私が作ったカレー……」


 梨音は出来上がった料理を見て感慨深そうに呟いていた。厳密には俺と共同して作ったものだが、彼女の嬉しそうな顔を見るとそんな無粋なことを言う必要ないだろう。

 平皿にご飯とカレーをよそって、それをリビングのテーブルに運んだ。

 俺が席につくと対面に梨音が座った。今更ながら疎遠になって以来初めて梨音と一緒にご飯を食べる気がする。朝ご飯の時は別々で食べていたし、昼ご飯の時は俺1人だったからだ。


『いただきます』


 俺たちは手を合わせた。真正面に座る梨音はスプーンを手に取って、カレーを掬った。そして、口に運んだ。

 

「家のカレーと違う」


 梨音は飲み込んで一言そう呟いた。


「まあ、カレーなんて家で違うものだ」


 カレーはルウの種類はもちろん、入れる具材や隠し味によって味は千差万別だ。味が違うのは当然だろう。


「でも、美味しいよ」


 彼女は満足そうに頷いた。初めて入れる隠し味もあったからどうなるか不安だった。だけど、梨音が美味しいと言ってくれたので、俺はホッとした。


「食べないの?」


 俺がカレーに手をつけていないところを見て彼女は不思議そうな顔をしていた。


「ああ、今食べるよ」


 梨音が食べているところを見ていたとは言わず、俺はカレーを口に運んだ。

 いつも作るカレーよりも辛さは抑えめだったが、十分に美味い。心なしかコクが出ている気がする。隠し味を入れたお陰だろうか。


「うん、美味いな」

「なんか自分が作ったって考えたらより美味しい気がする」

「それは分かる」


 自分で作った料理を食べると料理中のことが思い起こされて美味しく感じる。何らかの補正がかかっているのだろうか。


 俺たちはカレーを食べ終えた。余ったカレーは冷ましてから冷蔵庫に入れた。明日の朝にでも食べよう。

 食器や料理で使ったキッチン用具を梨音に洗ってもらった。後片付けまでが料理を作ることだと伝えると、彼女は素直に受け入れた。

 梨音が食器等を洗ったので、俺はお風呂を洗った。今日は俺の家で梨音はお風呂に入るらしい。風呂掃除が面倒くさいそうだ。


「今お風呂にお湯をためているけど先に入るか?」


 1番風呂に入るよう梨音に提案したところ、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「何? 昌樹は私の後のお風呂に入りたいの?」

「違うわ! 料理を頑張ったんだから先に入れよってことだよ」


 とんでもない言いがかりをつけられたのできちんと否定しておいた。


「でも、私はお風呂長いから、先に入っていいよ。どうしても私の後に入りたいなら別にいいけど」

「分かったよ。俺が入るわ」


 俺はパジャマを取りに行くため、階段を駆け上がった。あの流れで梨音にお風呂を譲ったら俺は変態になってしまう。それはごめんだ。

 それにしても梨音が入った後のお風呂か。いや、俺は変態じゃない。俺は脳内に野球部の友達を召喚し、煩悩を頭から追い出した。

 

 お風呂に浸かりながらふと考えた。今週はいつもより長く感じた。原因は明らかだ。梨音とまた話をするようになったからだ。

 梨音と放課後に遊び、さらにはこうして一緒の家でご飯を食べる。一週間前の俺に言ったら笑い飛ばされるだろう。

 先程、梨音から聞いたが、明日の日曜日はまた友達と出かけるらしい。そして、明日は両親がいるため、俺の家に来ることはないそうだ。

 ということは、次に梨音に会うのは月曜日だということになる。

 月曜日といえばまた1週間が始まるということなのに、先週までと全く俺の気持ちは違っていた。学校に行くのがあまり憂鬱に感じられなくなっていた。

 俺の日常が少しずつ変わっているような気がした。

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