5話
次の日の放課後、またしても梨音は俺の部屋にやってきた。今日が金曜日だから、これで1週間ずっと梨音と遊んでいることになる。まるで疎遠になっていたのが嘘のようだ。
今日はゲームをしている。やっているのは某ゲーム会社のキャラたちが大乱闘するゲームだ。
今日のゲームは俺の方が優勢だった。初めのうちは楽しそうにしていた梨音だったが、俺が勝つ回数が多くなると次第に不機嫌になった。
「ずるい」
何回目かの俺の勝利の後、不意に彼女は言った。テレビの画面には勝ち誇る食いしん坊のピンク玉がいた。梨音の操作していた電気を発するネズミは悔しそうにしていた。
「何がだよ。俺はズルなんてしてないぞ」
純粋な実力での勝負だ。チートなんて使っていないと俺は主張した。
「そうじゃなくて、服だよ」
「服?」
彼女の言うことが分からず俺はそのまま聞き返した。すると彼女は自分と俺を交互に指差した。
「私は制服だけど、昌樹は部屋着じゃん。ずるいよ!」
「いや、そんなことを言われても」
梨音曰く制服と部屋着とでは動きやすさが違うらしい。そのためキャラ操作に差が出てしまい、自分は負けたのだという。
梨音の主張に俺は戸惑った。俺が部屋着なのはここが俺の家だからだし、彼女が制服なのはここが彼女の家ではないからだ。
だから、そんな不満を言われてもどうしようもない。
「じゃあ着替えてきたらどうだ?」
俺は梨音の家を指差した。彼女の家はすぐ隣だ。一旦家に帰って着替えをし、俺の部屋にまた来ればいい。
「それだと私が自分の家と昌樹の家を往復しないといけないでしょ」
梨音は俺の提案を却下した。そんなに面倒じゃないと思うけど。
「じゃあどうするんだ?」
「何か服を貸してよ。私がそれに着替えるから」
「え?」
幼馴染の衝撃的発言に俺は固まった。何言っているんだ、こいつ。
「俺の服を着るのか?」
「何でもいいよ。ジャージとかあるでしょ」
梨音は何でもないことのように言った。男の服を着ることに全く気にしていないみたいだ。
「ジャージって……」
俺は腰を上げて梨音が着ることのできる服を探した。負けず嫌いを発動している梨音にこれ以上言っても無駄だろう。だから、服を貸した方が早い。
クローゼットをひっくり返すように探したところ、中学の時に使っていた体操着が見つかった。体操着は青を基調として体の側面に当たる部分に白いラインが入っている。いや、これはどうなんだ。
「これしかなかったけど」
そう言って、俺は体操着を梨音に差し出した。こんなのしかなかったと伝えれば彼女は諦めるだろうと思ったからだ。
「あっ、これ、中学の時の体操着じゃん」
梨音は文句を言わずあっさりと俺から体操着を受け取った。彼女はそれを体の前で広げると、懐かしむような顔をしていた。
「じゃあ借りるね」
「お、おう」
梨音は体操着を持って立ち上がった。そのまま部屋の外に出ようと歩き出した。
「いや、待て。どこに行く気だ?」
「え? 部屋の外で着替えようかなって」
「それは流石に……」
俺は返事をするのに戸惑った。幼馴染とはいえ、女子を廊下で着替えさせるわけにはいかない。そんな場面を母さんに見られたら俺に母の雷が落ちるだろう。
「ここで着替えろよ。俺は一旦外に出るから」
「いいの?」
「遠慮はしなくていいから」
「分かった。そうするね」
無事に話がつき、俺は部屋から出ていった。ドアを閉めると、何やら布が擦れる音が部屋の中から聞こえた。
幼馴染が俺の部屋で着替えている。そう実感した瞬間、俺は頭の中で良からぬ想像をしてしまった。
俺は邪な気持ちを追い払おうと友達の力を借りることにした。具体的に言うと、野球部の川口の顔を頭の中で思い浮かべた。
坊主頭の川口、坊主頭で変顔をしている川口、坊主頭で変顔をしていて芸人のギャグを全力でしている川口。俺の頭の中は川口で一杯だった。
「いいよー」
部屋の中から幼馴染の声がした。俺は我に返って頭の中の川口を追い出した。ありがとう、友よ。世話になった。
俺はドアを開けて、再び部屋の中に入った。部屋では俺の体操着を着た梨音の姿があった。
彼女が着ていた制服はベッドの上に広げた状態で置いてあった。梨音はベッドから降りて、床に座っていた。
「貸してくれてありがとね」
「ああ。サイズは大丈夫か?」
「うん。胸のところがちょっときついけど平気だよ」
彼女の言葉に俺は視線が梨音の体のある部分に無意識に吸い寄せられた。ハッとなった俺は視線を上げると、ニヤニヤした笑いを浮かべている幼馴染と目が合った。
「どこ見てるの?」
「み、見てないし」
俺は動揺を隠しつつも、先程まで座っていたところに腰を下ろした。するとどこからか良い匂いがした。
俺はその時気づいた。今、俺と梨音は隣同士で座っていることに。
彼女との距離はさほど近くない。いや、やっぱり近いな。教室の隣同士の席よりも近い。だからか、梨音の匂いを感じる。
そう気づいてしまった瞬間、俺は隣の幼馴染の方を向けなかった。
「じゃあ始めるね」
「えっ、あっ、分かった」
その後、梨音を意識しすぎた俺は負けに負けを重ねた。なんだか最近、梨音といると心臓が落ち着かないことが多い気がする。
「あー、楽しかった」
ひとしきり勝利を満喫した梨音はベッドに倒れ込んだ。
「土日って何か予定ある?」
仰向けで横になったまま、梨音が聞いてきた。
「特にないな」
そう返事をした俺は少しドキドキしながら答えた。もしかしたらどこかへ誘われるのだろうかと我ながら気持ち悪い想像をしてしまった。
「そっか」
しかし、俺の想像に反して梨音はあっさりと返事をして、そのまま無言になった。どうやら話は終わりらしい。
「梨音の方は何かあるのか?」
「私は友達と買い物に行くよ」
梨音はそう答えた。そして、この話題はそれっきりだった。どうして週末の予定なんて聞いたのだろう。
いつの間にか梨音の帰る時間になった。
梨音は体操着から制服に着替えた。もちろん俺は部屋の外で待機していた
ちなみに体操着は洗って返すつもりらしく、梨音が自分の家に持って帰るという。
いつも通り彼女を玄関まで送ろうとした時だった。玄関のドアが開き、母さんが家に帰ってきた。母さんは梨音を見ると驚いた表情を浮かべていた。
「あら、梨音ちゃん。久しぶりね」
「あっ、おばさん。お邪魔してます」
ついに恐れたことが起こってしまった。母さんと梨音がばったり会ってしまった。母さんはいつも梨音が家に帰った後に仕事から帰ってくるため油断していた。
「えっ、何、あんた、梨音ちゃんと遊んでいたの?」
母さんは面白いことを見つけたという顔で俺の方を見た。嫌な予感がした。
「いや、偶然で」
「そうです。昌樹の部屋で遊んでいました」
俺が否定しようとしたのにその俺を遮って梨音が答えた。
母さんは梨音の答えを聞くと、目を輝かせた。まずい兆候だ。
「へえー、2人ともいつの間にそんなに仲良くなったの。昔に戻ったみたい。ううん、もしかしてそれ以上の仲に?」
どこか期待している顔をした母さんは俺と梨音を交互に見た。ほら、思った通りの展開になってしまった。母さんも学校の人たちみたいに俺と梨音の仲を誤解しているらしい。
「いや、俺たちはそんな仲じゃないよ」
「うん、昌樹とは幼馴染ですから」
学校の人ならまだしも、流石に母さんに誤解されたままでいるのはまずい。
そう思って俺は母さんの言葉を否定した。そして、梨音も同じ考えなのか俺に続いた。彼女と同じ考えでいるはずなのに何故だか俺は嬉しくなかった。
「そうなの?まあ、でも、2人が昔みたいに仲よくなって嬉しいわ」
そう言いつつ、母さんは露骨にがっかりしたような顔になった。
「じゃあ、私は帰ります」
「ええ、またいらっしゃい」
「お邪魔しました」
玄関のドアを開けて、梨音は家から出て行こうとした。そして、俺は玄関で彼女を見送る。いつもならこれで終わりだ。
だけど、今日は違う。梨音からあの『言葉』をまだ聞いていない。子供の頃、とてもよく聞いたあれを。
俺の思いとは裏腹に梨音は玄関のドアに手をかけた。彼女が家に帰ってしまう。
俺は意を決してその背中に声をかけた。
「またな、梨音」
俺の声が聞こえたのか、彼女は振り返った。
「うん、またね、昌樹」
そう言って、梨音はどこか嬉しそうに俺に向かって手を小さく振った。俺も彼女に向かって手を振り返した。
梨音が家から出た後、母さんにこれから頑張りなさいと背中を叩かれた。
明日から土曜日だ。先程、梨音は予定があると言っていた。だから、彼女と会うのは次の月曜日になるだろう。
そう思うと、少し寂しい気持ちになった。子供の頃、風邪を引いて梨音と遊べなくなった時の気持ちと似ていた。
こうして、俺のいつもと変わった1週間が終わりを告げた。
ようにみえた。