4話
「楠木、平野さんとデートしたって本当か!?」
梨音とパフェを食べに行った次の日、教室の席に着くなり、友達の川口慎也からそう言われた。
彼は野球部特有の短く刈り込まれた頭を震わせながら俺の机に両手をついていた。
「何の話だ? とりあえず落ち着いてくれ」
「しらばっくれるな。目撃者がいるんだ」
まるで事情聴取をする刑事みたいな雰囲気の川口は俺に指を突きつけた。
彼が言うには、昨日の放課後、俺と梨音が一緒にどこかへ歩いていくのを目撃した人がいるらしい。それも1人だけでなく複数人だそうだ。
「いや、あれはただ喫茶店に行っただけで」
「行った『だけ』だと。お前、それがどんなに羨ましいか分かっているのか」
川口曰くこれまで梨音は男子と2人きりで遊びに行くということはなかったらしい。いくら男子が誘っても彼女は首を縦に振らなかったという。
「というか、2人で喫茶店に行くって、お前らは付き合っているのか?」
川口は俺を怪しむような顔で見ていた。
「何言っているんだ? 付き合ってないぞ」
「でもな、学校中で噂になっているんだ」
「本当か?」
川口の言葉に俺は呆気に取られた。まさか梨音と喫茶店に行っただけで噂されるとは思わなかった。それも学校中に広まっているなんて。
「だって、男子から人気があるのに今まで男の影が見えなかった平野さんだぞ。その平野さんとお前が一緒にいるのを見たらそう思っても仕方ないだろ」
確かにそう言われると、俺と梨音との仲を疑いたくなるのも分かる。しかし、俺と梨音はそういう仲ではない。
「違う。俺たちは幼馴染だよ」
俺の言葉に川口がポカンとした顔をした。梨音と幼馴染だということを誰にも言ったことがない。だから、彼も驚くだろう。
「幼馴染? 本当か?」
「ああ、本当だ。昨日は梨音から誘われて行っただけだ」
「そうなのか。平野さんと幼馴染なのか」
川口は何やら真剣な顔で考え込んでいた。やがて、顔を上げた。
「羨ましい」
「は?」
「美少女の幼馴染がいるなんて羨ましすぎるだろ!それも一緒に出かけるほどの仲なんて」
川口は両腕で俺の肩を掴み、俺を揺さぶった。俺は前後に揺られながら、そういえば川口は恋人を欲しがっていたことを思い出した。まあ、ご覧の通り今のところ結果は出ていないのだが。
「落ち着け。本当にただの幼馴染なんだ。梨音とは何もないって」
俺は自分の肩を掴んでいた川口の腕を離して、言った。昨日の梨音の態度から俺たちの間には男女の気持ちはないことが分かっている。梨音が俺のことを好きならばあんな揶揄うことはしないはずだ。
「本当か?」
「え?」
しかし、この坊主頭はなおも引き下がらなかった。彼の目は鋭く光っていた。
「そういう何とも思っていなかった幼馴染がいつしかお互いを意識して、なんていう王道展開が待っているんじゃないだろうなあ!」
川口は教室中に響くように叫んだ。彼は見た目こそ熱血高校球児だが、中身はラブコメ系の漫画が大好きなオタクだ。
彼から布教してもらった漫画がいくつもある。だからだろうか、この坊主頭は現実と漫画を区別できないようだ。
「違うって言っているだろ」
「本当だよな。俺とお前は非モテ同盟を結んでいるからな。実は彼女がいましたなんていう裏切りはやめてくれよ」
川口は縋り付くような目で俺を見ていた。
「そんなアホみたいな同盟を結んだ覚えはねえよ」
その後、川口に俺と梨音の間には何もないことを何回も説明した。彼は渋々ながらも認めてくれた。
その日の放課後、俺は自分の部屋で床に座って、腕を組みながら考えていた。今日の川口から言われたことについてだ。
彼によると俺と梨音が付き合っているんじゃないかという噂が学校で流れているらしい。噂ということは川口1人だけでなく、他の人も俺と梨音の仲を誤解していることになる。
はっきり言って、この状況はまずい。あらぬ誤解で今日のように他の男子から追及されるかもしれない。
梨音だって幼馴染との仲を変に誤解されたら嫌な気持ちになるだろう。この状況をどう打開すればいいか悩んでいた。
「何考えているの?」
背後から梨音の声が聞こえた。俺は振り返ると、問いかけた本人は漫画から目を離して俺の方を向いていた。
「ちょっと考え事しててな」
「ふーん」
梨音は興味なさそうにそう呟いて再び漫画に視線を戻した。自分で言うのも何だかもう少し興味を持って欲しい。
今、例のごとく俺の部屋に梨音が遊びに来ていた。今日は他の漫画も読んでみたいと梨音から言われ、俺の部屋まで一緒に来た。
彼女はベッドにうつ伏せで寝転がり、漫画を読んでいた。本当に自由だな、こいつは。
「梨音、ちょっといいか?」
俺は彼女の知恵を借りることにした。俺1人の頭では良い解決法が思い浮かばなかった。だから、梨音と一緒に考えようと思った。
この件は梨音も当事者だ。きっと真剣に考えてくれるだろう。
「何?」
彼女は漫画から目を離さず言った。俺の話よりも漫画が大事か。ちょっと悲しくなる。
「今日友達から言われたんだけど」
そう切り出して、梨音に説明した。今日、学校で友達から梨音との仲を誤解されたことやその誤解が学校に広まっていることを。彼女はただ黙って俺の話を聞いていた。
「それで、誤解を解くにはどうしたらいいかなって」
そう最後に俺が問いかけると、梨音はやっと漫画から目を離して、俺の方を向いた。
「別に何もしなくてよくない?」
「え?」
梨音の答えはシンプルなものだった。何もしない。いや、これはシンプルどころか解答なしと言った方が正しいだろう。
「何もしないのはダメだろ。このままだと噂はどんどん広がるぞ」
「こういう噂って、本人たちが必死に否定すると余計に広がるものなんだよ。むしろ何も言わず黙っていれば勝手に収まるって」
梨音は何でもなさそうにそう答えた。そんな対応でいいのだろうか。
「直接聞かれたらどうするんだ? 黙っているなんてできないぞ」
「そういう時ははっきり言わずに適当に誤魔化せばいいんだよ。きっちり否定してもいいけど」
梨音は徐に体を起こし、ベッドの外に足を出して、座った体勢をとった。
「昌樹は私との仲でそういう噂が流れるのは嫌?嫌ならちゃんと否定するよ」
梨音はじっと俺を見つめていた。彼女の問いに俺は言葉に困った。
梨音と付き合っていると言われて俺自身はどう思うか。俺ははっきりとした答えは出せなかった。
「梨音が迷惑だっていうならちゃんと否定するよ」
だから、俺は梨音の問いかけに答えずそう口に出した。我ながら主体性のない答えだ。何故彼女の問いに答えなかったのか自分でも分からずモヤモヤした。
「そっか。じゃあこのままでいいね」
そう言って、この話は終わりと言わんばかりに、彼女は再びベッドに横になった。
このままでいい。と梨音は言った。つまり、噂を否定しないし、もし、人から聞かれたとしても適当に誤魔化すということだ。
こちらに背中を向けて横になっている梨音を見つめた。お前はどうなんだと聞きたかった。俺と付き合っていると噂されて、梨音はどう感じたのか聞きたかった。
でも、聞けなかった。そうすると何かが変わる予感がした。ただの幼馴染のままではない、もう少し踏み込んだことになる気がした。
「これからもウチに来るか?」
代わりに口から出たのはそんな疑問だった。元々俺と梨音が一緒にいるようになったから噂されるようになったのだ。だから、前の状態に戻れば噂されることは無くなる。前の全く話をしない頃に戻れば。
「え?来ちゃダメなの?」
梨音は俺の方を振り返った。その目は驚愕に満ちていた。まるで信じられないことを言われたみたいに。
「ほら、俺と一緒にいるから色々言われるんだろ?だからさ」
「それは嫌だよ」
梨音はベッドから立ち上がった。そして、俺に顔を近づけた。
「それは絶対に嫌。折角またこうして昌樹と遊ぶようになったのに人から言われるからって変えるなんてしたくない」
「わ、分かったよ。ごめん、変な提案をして」
俺は一昨日ぶりに見る至近距離の梨音に動揺しつつ謝った。彼女の言う通り、誰かに何かを言われるからといって、俺と梨音の行動を変える必要はない。
「いいよ。これからも昌樹の家に来るから」
梨音は明るく笑っていた。その笑顔を見て俺も心のどこかでホッとしている自分に気づいた。
俺も昔みたいに遊ぶようになった梨音との時間を失くしたくないと思っていた。彼女も俺と同じ気持ちだと分かり安心したのだ。
そして、安心したのと同じくらい何かを期待している自分がいた。俺は一体何を期待しているのだろうか。そんな疑問が頭の中で漂っていた。