最終話
「私、今まで色々な人から告白されてきた」
梨音は静かに語り出した。俺は彼女の顔をただじっと見つめていた。
「でも、正直、そういう恋愛感情とかよく分かんないんだ」
「そうなのか?」
「うん。告白してくる人って、全く話したことがない人もいて、その人にどうして私のことが好きになったのって聞いたら見た目で、なんて言われたりしたこともあったよ」
いわゆる一目惚れというやつだろう。梨音の容姿を考えれば気持ちは分からないでもないが、それでも告白するのは早すぎるだろう。いや、俺も人のことは言えないか。
「私はそれを言われて戸惑ったよ。見た目を好きになったって言われてもどうしたらいいんだろうって」
梨音は困ったように笑った。その顔を見て彼女が悩んでいるのがなんとなく分かった。
これまでも見た目だけで好きになったと言われたことが何度もあったのだろうと察しがついた。
「恋ってどういうものかよく分からない。ドラマや映画を見たりしてなんとなくは知っているよ。胸がドキドキしたり、その人のことしか考えられなかったり、っていう感じでしょ。私には今までそんなことを感じたことがなかった」
そう言うと、彼女は笑った。その顔は先程と違い明るかった。
「でも、今日は違った」
「え?」
「文化祭を回っている時、私を守ってくれたでしょ」
俺は記憶を巡らせてある光景を思い出した。梨音が廊下を走っている男子とぶつかりそうになったため、咄嗟に彼女を抱き寄せた時のことだ。
「あの時、昌樹に抱きしめられて、確かに感じた。私の心臓が高鳴った。全身の体温が上がったみたいだった。昌樹の顔が見れなかった」
その時を思い出してか梨音の顔は心なしか赤くなっているように見えた。
「正直、あの時の気持ちが恋かどうか自信がない。あんな気持ちになったのは初めてだったから。でも、もし、あれが恋だとしたら」
梨音は俺の手を取って、両手で包み込んだ。彼女の手の柔らかさを感じる。彼女の目が真っ直ぐに俺を捉えた。
「私はいいなと思った。恋をするなら昌樹がいい。他の誰でもなく君のことを好きになりたい。それが私の気持ちだよ」
梨音は満足したようにふーっと息を吐いた。言うべきことは言ったという感じだ。
「えっと、つまり、どういうことだ?」
俺はというと、混乱していた。梨音は俺に対して恋愛感情を抱いているか自分でも分からないらしい。でも、俺のことを好きになりたいと言ってくれた。つまり、どういうことだ。
「私もよく分かっていないよ。けど、言うね」
梨音は深呼吸をしていた。そして、俺に向かって頭を下げた。
「私と付き合ってください」
その瞬間、俺は雷に撃たれたような衝撃を受けた。えっ、付き合ってください?誰と?俺と?誰が?梨音が?
「そうなるのか?」
「そうだよ。私だって昌樹と一緒にいたい。昌樹と一緒ならあの時の気持ちが恋だってきっと分かる。だから、私は昌樹と付き合いたい」
「でも、俺のことが男として好きかどうかまだ分からないんだよな?」
「うーん、そう言われると私も答えられないけど」
梨音は腕を組んで考えていた。やがて何かを閃いたのか再び俺の手を握った。
「だからさ、こうしようよ。幼馴染半分、恋人半分っていう感じのお付き合いで」
「え?」
「ほら、今までみたいに幼馴染でいる。けど、時々はさ」
梨音は照れくさそうにしていた。その様子はとても可愛かった。
「恋人になろうよ」
「そういうものか」
「もちろん昌樹がよければだけど」
俺はこれまでのことを思い返していた。梨音とゲームをしたり、喫茶店に行ったり、料理をしたり、文化祭を回ったりしたのはどれも間違いなく楽しい思い出だ。ああいう日々が続くのならば悪くないと思った。
「分かった。俺たち、付き合おう」
「ありがとう。こんな訳わかんない提案を受け入れてくれて」
「でも」
俺は彼女の手を握り返した。付き合うといっても、幼馴染と恋人が混ざった関係だ。それでもいいが、もっと恋人になりたいとも思う。そのためには。
「梨音が俺のことを男としてもっと好きになってもらえるように頑張るよ。その時がくるまで、その時が来た後だって一緒にいる」
「私も昌樹のことを男の子としてもっと好きになりたい。絶対になる。その時まで、その時が来た後も一緒にいてね」
俺たちはどちらともなくお互いを抱きしめ合った。梨音が俺の腕の中にいる。俺は心地よい幸福感に満たされていた。
「あっ」
「どうした?」
「なんだか私の心臓がドキドキしているみたい」
梨音はそう言った。抱き合っているため彼女の顔は俺から見えないが、その声はとても嬉しそうに聞こえた。
こうして、俺は幼馴染である梨音と付き合うことになった。
梨音と一応の恋人同士になった次の日から俺の周囲は変わった。
文化祭を梨音と一緒に回ったことで、いよいよ彼女との仲は誤魔化せなくなった。多くの男子から問い詰められた。
梨音と話し合った結果、誰かに俺たちの仲を聞かれた場合、恋人だと言うことにした。もちろん幼馴染と恋人が一緒になったお付き合いであることは言うつもりはない。
このことはわざわざ人に言う必要はない。俺と梨音の2人だけが知っていればいい。
母さんに梨音と付き合うことになったことを報告した。母さんから良かったねと頭を撫で回された。
川口にもお礼を兼ねて報告した。彼は今回のことで俺に手を貸してくれた。だからお礼を言いたかったし、報告もしたかった。
川口は俺の報告を聞いておめでとうと祝福してくれた。良くやったなとか羨ましいぜこの野郎とか笑いながら俺の背中を叩いた。
ひとしきり祝福の言葉を俺に贈った後、やがて彼は神妙な顔をしてこう言った。
「ところで、俺に平野さんの友達を紹介してくれないか? もちろん彼氏がいなくて可愛い子がいいんだけど」
俺はこの坊主頭のお願いを叶えるか悩んだ。彼への協力を惜しむつもりはない。
しかし、もし、川口と梨音の友達が上手くいかず、梨音とその友達の仲が拗れるような事態になるのは避けたい。とりあえず、梨音と話し合うことにしよう。
そんな周囲の変化とは裏腹に梨音は全く変わりがない。相変わらず放課後は俺の部屋に来るし、付き合う前と同じように俺に接してくる。
しかし、最近、気になることがある。時折梨音は見たことがない反応をするのだ。
例えば、2人で食事に行った時に俺がお金を出した時や俺からデートに誘った時だ。
そういう時、決まって彼女はそっぽを向くようになった。梨音がどういう表情を浮かべているのか俺からは見えない。
しかし、俺の見間違えでなければ、顔を逸らしている彼女の耳が赤くなっている。これは期待してもいいんだろうか。
何はともあれ、俺と梨音は付き合うようになった。これからも彼女と一緒にいる。そう思うと毎日が輝いているように思える。
ある日、俺は家の扉を開けた。そこには彼女で幼馴染である梨音が待っていた。
「おはよう、昌樹」
「おはよう、梨音」
付き合うようになってからも俺たちは一緒に登下校していた。そのお陰か最近学校に行くまでの足取りは軽く感じる。
「行こうか」
「うん」
俺は彼女の手を取った。梨音は嬉しそうに笑っていた。その顔を見て、俺もまた幸せな気分になった。そして、俺たちは一緒に歩き出した。
今日もまた梨音と過ごす素晴らしい日々が始まる。こんな日々がずっと続いてほしいと願っている。
空には雲1つない青空がどこまでも広がっていた。
これにて物語は完結です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。




