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ネムスさんを家に連れて帰ると

私たちは急いで窓という窓に

分厚い布をかけてまわりました


ネムスさんは、隠れ家から被ってきた布を

きつく自分の周りに巻きつけて

かたかたと震えていました


「…ネムスさん、大丈夫ですか?」


前にしゃがんで、そっと声をかけると

ネムスさんは、震える声で答えました


「…だ、だいじょ、ぶ…」


その声には涙も混じっているようでした


「なにか、ほしいものはありませんか?」


そう尋ねると、唸るような声を出して呟き始めました


「…お腹、へった…

 へったへったへった…

 お腹へった!」


一声吼えると、ネムスさんは突然、立ち上がりました

フィオーリさんはそのネムスさんに飛びついて

落ち着かせようと、背中をさすりました


「今、食べ物を持ってきますから

 ちょっと、待っててください」


「…た、食べ物…」


永遠の飢餓感に苛まれ続ける…

オークの悲しい呪いです


フィオーリさんになだめられて、ネムスさんはまた

床に座りました


「聖女様、おいら、ちょっと食べ物を探してきます

 ネムスさんをお任せしても、いいっすか?」


「…もちろんです」


力を込めて頷いた私に、フィオーリさんは

ちょっと言いにくそうにしながら付け加えました


「…あの、小屋の外にいた方が、いい、かも

 しれません…」


まさか、ネムスさんが私に何か危害を加えると?

そんな心配をしていらっしゃるのでしょうか?


一瞬、言葉を失いましたが、こちらを心配そうに

見ているフィオーリさんの目を見ると

素直に、頷くしかありませんでした


フィオーリさんだって、そんなこと、言いたくないに

決まっています

けれども、私のことを心配して、言ってくださって

いるのです


辛くて悲しくて悔しくて

気が付くと、下唇を、ぎゅっと噛みしめておりました


けれども、私は、そのまま、黙って

フィオーリさんについて、小屋の外に出ました


ネムスさんは、何か言うこともなく

ただ、布にくるまったままじっとしていました


小屋の戸口のところで、私は、扉に凭れるようにして

ずるずると座り込んでしまいました

さっきまで、いつものように、普通に

立って歩いて動けていたのが、不思議だと思いました


その私を振り返って、フィオーリさんは

おっしゃいました


「そこにそうしていてください

 ネムスさんが、外に出て行かないように

 …外は明るいから、戸を開けないと思いますけど」


オークは光を怖がります

今のネムスさんも、光を怖がっているようでした


フィオーリさんは、じゃ、と言って

食べ物を探しに行きました


私は戸にもたれてぼんやり考え事をしていました


さっき、お腹へった、とネムスさんが叫んだとき

ちらっと、目が合いました

そのお顔は、少し青ざめてはいましたけれど

ネムスさんのお顔、そのままでした

とても、オークになってしまったようには

見えませんでした


完全にオークになってしまった人は

布でしっかりと全身を覆っていて

その姿を見たことのある人はいません

だから、どんな姿をしているのか

正確なことは、誰も知りません


以前、シルワさんがオークになりかけたとき

シルワさんの顔は次第に青ざめて、青黒い色に

染まっていきました


そのとき、私の涙が零れ落ちて、涙の当たったところは

色が元に戻ったのです


あ!そうだ!


過去の記憶を思い出していて、私は思い付きました


ネムスさんに、私の涙を飲ませてみたら?

もしかしたら、オーク化を止められるかも?


シルワさんも、私の涙を飲んで、オーク化が止まって

いるのです


私は、思いっきり、ほっぺたをつねりました

ぽっちり、と涙が浮かびました

けれど、こんなぽっちじゃ、到底、足りません


それにしても、本当、毎回毎回、情けない

玉ねぎがないと、涙も流せないなんて

ため息が、出てきました


ネムスさんも、やっぱり、オークになってしまいました

折角、時を渡って、やってきたというのに

この先、どんな悲劇が起きるのか、全部知っているのに

何も、できないのです


起きてしまったことは、変えられない

本当に、それは、どうしようもなく、厳しい理でした


だとしても、それでも、やっぱり、せめて…


心の中に思いは渦巻きました

ネムスさんを、このまま、オークにしたくはないと

強く思いました


すると、ぽろっ、と目から涙が零れ落ちました

涙は、泉の精霊がしたように、小さな丸い玉になって

地べたにいくつか転がっていました


私には、そんな力はなかったはずでした

けれども、この玉はどう見ても、あの涙の玉と

同じに見えました


私は玉を拾い集めると、小屋の中に入って行きました


戸を開けた瞬間、中から、甲高い悲鳴が聞こえました

それは、まるで、怯え切った獣の声によく似ていました


小屋の四方には大きな窓があって

そのどれからも一番遠いのは

小屋のちょうど真ん中の辺りでした


そこに、布にくるまったネムスさんが

うずくまるようにいました


私はネムスさんに駆け寄ると、手のひらに載せた玉を

そっと差し出しました


すると、ネムスさんは

それをいきなり、すさまじい勢いで奪い取ると

貪るように口へと運び

ぼりぼりと飴のように咬み砕きました


私はただ、呆気に取られて

その全てを、見ていました


それから、今のこのネムスさんを

恐ろしいと感じてしまいました


そして、そんなことを感じた自分を

即座に酷く恥ずかしく思いました


ネムスさんは、病気なのです

それを恐ろしいと感じるのなら

フィオーリさんのおっしゃるように

近づいたりしなければよかったのです


それなのに、自分から、近づいたのに

怖いと思ってしまうなんて


けれど、私の手のひらに伸ばされたネムスさんの手は

恐ろしいほどに爪が伸びていました


あの爪に引き裂かれ、ネムスさんに食べられてしまう

のではないか


そんな妄想が、突然、頭の中に沸き起こったのでした


私の目の前で

ネムスさんの、長い爪のついた手は

かたかたと震え始めました


顔を隠すように深くかぶった布の陰から

光る目が、こちらを探るように見ていました


「…ごめ、なさい

 怖がらせて…しまった…」


そう呟いたのは、さっき吼えたのとは違う

ネムスさんの声でした


「ごめん…ごめん…

 自分でも、抑えきれなくて…

 ごめん…怖かったら、外、行ってて…」


ゆっくりと、声を震わせながら、ネムスさんは

そう告げました


「ごめん…君を、傷つける、つもりは、ない…

 だけど、…ごめん、自分でも、わけが、分からない…」


震える声に涙が混じります

そうして、ネムスさんは、何度も何度も

ごめん、と繰り返しました


ネムスさんは酷く傷ついていました

今、誰より一番、ネムスさんのことを怖がっているのは

ネムスさん自身なのだと思いました


「…ごめん…

 僕、は…」


私は思わず、ネムスさんの背中にしがみついていました

それから、さっき、フィオーリさんもそうしていたように

大丈夫、大丈夫、と繰り返しながら、ネムスさんの背中を

手でさすりました


「…せい、じょ、さ…?」


ネムスさんは、驚いたようにからだを固くしてから

ゆっくりと、被っていた布を頭から落としました


そうして現れたネムスさんのお顔は

少し青ざめてはいましたけれど

青黒くはありませんでした


薄暗い中で、ネムスさんは、私と目を合わせて

それから、にっこりと微笑みました

その笑顔は、とても、オークになりかけた人には見えない

優しい優しい笑顔でした


「…有難う…

 こんな、僕に、優しく、してくれて…」


それから、ネムスさんは、ひとつ深呼吸をして

小屋の四方にある大きな窓を眺めました


「…お願い…

 あの、窓にかかっているカーテンを、開けて…」


そんなことをしたら

いったいどうなってしまうでしょう

私は、答えることもできずに

ただただ首を横に振りました


すると、ネムスさんは、懇願するように

長い爪のついた手を合わせました


「…お願い…

 こう、なって、しまっては

 それが、一番、いい方法、なんだ…」


それでも、私は、首を振り続けました


ネムスさんは、縋るように私を見つめました


「…僕は、僕のままで、いたい…」


「ネムスさんは、ネムスさんです!

 まだ、オークにはなってません!

 そのために、ヒノデさんは…」


あのときのことを思い出すと

自然と涙が溢れてきました


零れた涙が、玉になって

ころころと、床に転がりました


ヒノデさんは、とっさに、ネムスさんを

助けるために…


そのヒノデさんのためにも、今、ネムスさんを

光に溶かすわけにはいかないと思いました


「それに!

 今のネムスさんは、まだ、オークじゃありません!

 光を浴びたって、きっと、何も起こらない!」


そうだ、と思いました

薄暗い小屋のなか、すっかり見えているネムスさんの

お顔は、何も変わっていません


シルワさんも、一度、オークになりかけましたけれど

今もまだ、光に溶けたりはしていません


思い切って、窓に駆け寄りました

それから、カーテンに手をかけて、一気に引き開けました


眩しい光が、窓から差し込んできました


それから、急いでネムスさんのほうを振り返りました


小屋の中央で、ネムスさんは、眩しそうに目を細めて

こちらをぼんやりと見ていました

光に溶けていなくて、私は、座り込みそうなくらい

ほっとしました


「…きれいだ…

 聖女様

 君は、光り輝いている…」


ネムスさんが、そう呟いて、ふふ、と笑いました



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