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ネムスさんはクロウベアの毛皮を

器用に畳みながらおっしゃいました


「なんだか、エルフとは違う気配を感じたからさ

 けど、今、狩りはしてらんないし

 森の獣なら、クロウベアを見たら逃げだすと、思って」


それから、隠れ家の中を指さしました


「今、こいつの血と肉を使って、薬を精製しているんだ

 薬の精製には風通しのいいところがいいから

 ここだとばっちりなんだよね

 それに、家でベアを捌いたりしてたら

 兄様、卒倒しそうだからね」


確かに、シルワさんは苦手そうです

いつもお師匠様が獲物を捌くときにも、こっそり

逃げてしまいます


それにしても

ふふ、と肩を竦める仕草が

ネムスさんは、シルワさんにそっくりでした


それから、ネムスさんは、もう一度フィオーリさんを見て

ぺこっと頭を下げました


「君のおかげで、次の流行のときにも

 ばっちり、全員に薬が行き渡るよ

 すごく、助かった」


そう言って明るく微笑むネムスさんは

とても、オークになりかけている人、には

見えませんでした


「まあまあ、立ち話もなんだし

 今、ちょうど、暇してたんだ

 よかったら、お茶でも、付き合ってくれない?」


ネムスさんは、隠れ家の前に作ってある焚火の跡を

火掻き棒でかき混ぜました

すると、灰の中に埋めてあった種火が顔を出しました


「僕、兄様みたいに魔法、上手くないからさ

 火種は消さないようにしてるんだよ」


そんなことを言って、ちょっと笑いながら

傍らに積み上げてあった薪を、器用に積んでいきます


私たちはまだ返事はしていませんでしたが

ネムスさんは、お茶の支度を始められてしまいました


手慣れた様子で大きな壺から、小鍋に水をうつします

それを火にかけると、お茶の葉をぱさっと小鍋に直に

放り込みました


「兄様には、僕の淹れるお茶は雑だって

 不評なんだけどさ

 僕は、いっしょくたにして煮込んだお茶が

 好きなんだよね」


ネムスさんは大きなスプーンで小鍋をかき混ぜながら

鼻歌を歌い始めました

その様子は、とても上機嫌で、からだも健康そうでした


「さてと、できた」


そう言って横にあったカップやらお椀やらに

お茶を注ぎ分けます

一応、葉っぱが入らないようにスプーンで抑えては

いますけれど、盛大に葉っぱも入っておりました


「ごめんよ

 食器が僕ひとり分しかなくて

 ちゃんとしたカップじゃないけど

 一応、洗ってはあるから」


そう言って、不揃いなカップを並べてくださいます

それは、そこにあるありったけの食器でした


ネムスさん自身は、小鍋を持って、少し、ふうふうと

息で冷ましてから、直接、口をつけました

それから、あちっ、と顔をしかめました

それは、そうだろう、と、ちょっと、思いました


「ふふ、火傷しちゃった

 でも、大丈夫

 軟膏は、ちゃんと、ここに…」


歌うように言いながら、腰に付けた物入れから

小さな薬入れを取り出しました


「狩人なんてしてるとさあ、生傷が絶えないからね

 薬はいつも、持ち歩いてるんだ

 って、兄様は、治癒術くらいはできるようになれ、って

 いっつも言ってるけどね?」


ネムスさんは薬入れから軟膏をひとすくいすくい取ると

ぺたぺたと自分の唇に塗っています

それから、塗った薬を早速、ぺろりと舌で舐めて

うん、甘い、とにっこりしました


「実はこれ、原料は虫の蜜なんだよね

 だから、つい、舐めちゃうんだよなあ」


それから、もう一度、小鍋のお茶を飲んで

うん、今度はもう、大丈夫、とにっこりしました


「あれ?

 君たちも、遠慮してないで、座って?」


ネムスさんは首を傾げておっしゃいました


その辺りまで、私たちは、ずっと

ただ、呆然と、突っ立ったまま

ネムスさんのすることを見ておりました


なんだか、突然、ネムスさんにお会いできて

おまけに、そのネムスさんは、オークどころか

すっかり元気そうでゴキゲンで

ごくごく、普通に、していらっしゃるものですから

ちょっと、びっくりして、どう反応していいのか

分からなくなってしまっていたのでした


「薬作りの間はさあ

 家にも帰れないし

 ノワゼットでも来ないかな、って

 ちょっと思ってたんだけど

 最近、あいつ、すっかり

 ここには寄り付かなくなっちゃって

 なんか、ちょっと、人恋しくて、さ」


突っ立っている私たちに

ネムスさんは、言い訳をするようにおっしゃいました


「君たち、急いでいるのかもしれないのに

 引き留めちゃって、ごめんね?」


あ、そうか

お茶に手を出さないのを、ネムスさんは

そんなふうに取ったのか、と思いました


急いでカップを取ろうと手を伸ばしたら

ほぼ同時に、全員が、同じカップに手を伸ばしてました


それは、一番飲みにくそうな

どう見ても、カップというよりは

少し深みのあるお皿?と言った感じの

器でした


それを見ていたネムスさんは、ふふっ、と

笑い出しました


「あ、そっか

 どれを誰が取るか、迷ってたんだ

 一応、レディは、一番、まともなのをどうぞ

 あとのふたりは、どっちもお皿が希望なの?」


「そうなんっす

 おいら、お皿がいいんっす

 熱いもの苦手なんで、これだと冷めやすいでしょ?」


フィオーリさんはそんなことを言って

さっさとお皿を先に取ってしまいました


もっとも、フィオーリさんは、熱いスープでも

いつも喜んで飲んでいらっしゃいますから

取り立てて、熱いものが苦手ということも

なかったと思います


ともあれ、自分のお茶が決まったところで

私たちも、なんとなく、自分のカップの前に

腰を下ろしました


「地べたに直に座らせて、ごめんね?

 あ、そうだ、これを敷くといいよ」


ネムスさんはいそいそとクロウベアの毛皮を

敷いてくださいましたけれど

謹んで、それは、遠慮させていただきました


「なんで?

 地べたに直に座ると、痛いよ?」


ネムスさんは不思議そうなお顔をなさいます

本当に、まったく、これっぽっちも、悪気なんてないのです

むしろ、純粋に、完璧に、善意だけの塊なのです

それは、見ていて、つくづく納得いたしました


「あ、でも、流石に、これに座るのはちょっと…」


思わず誤魔化し笑いをしてしまいました


流石、というか、やっぱり、というか

あのシルワさんの血の繋がった実の弟さんなのですから

さもありなんや、なのです


よくよく考えてみますと、私はネムスさんの人となりを

実はあまり知らなかったのだな、と改めて思いました


「ベアのこと、かわいそう、って、思う?」


すると、ネムスさんは、ちょっと笑いを含んだ目をして

こっちを御覧になりました

その瞳が、やっぱりどこかシルワさんにそっくりで、

どきっとしてしまいました


「君は、優しいんだね?」


「いえ、そんなことは…」


慌てて目を逸らせます

妙に心臓の辺りが、どきどきして困りました


「あのときも、兄様のこと、護ってくれてたよね?」


ネムスさんはお話しを続けていました


「こんなに、ちっちゃくて、弱そうに見えるのに

 勇敢なんだなあ」


「聖女様っすからね」


「そっか

 聖女様か

 うん」


フィオーリさんがにこにこしておっしゃると

ネムスさんはちょっと眩しそうな目をして頷いて

こちらを御覧になりました


なんだか、いたたまれなくなってきた私は

慌ててお話しを変えました


「ところで、ネムスさんは、いつからここで

 お薬を作っていらっしゃったんですか?」


「うん?

 君たちと会った、あの後、すぐ、だよ

 一度、泉に戻って、怪我の治療をしていたら

 兄様に見つかって、怒らせてしまって

 横着をして、直に泉に腕、漬けてたからかなあ

 けど、みんなだって、ふっつ~に

 川で手、洗ってるじゃないか

 まあ、僕だって、洗ったことないなんて

 言えなかったし

 だからって、困ったことなんか、一度も起こったこと

 なかったんだし

 それを言ったら、気を失いそうなくらいびっくりして

 後はもう、一っ言も、口をきいてくれなくなったんだ」


それを話したネムスさんは、もうどう見ても分かるくらい

しょんぼり、と顔に書いてありました


シルワさんはおっしゃいました

あのとき、ネムスさんとちゃんと話さなかったことを

ずっとずっと、後悔していたのだ、と


けれど、それは、ネムスさんの方も後悔していたのかなと

思いました


「兄様、まだ怒ってるかなあ

 あの後、泉を清める、って言って

 潔斎に入ってしまってさ

 僕も、ベアをそのままにしてはおけないから

 早々に、こっちに来てしまったんだ

 だけど、薬作りを始めると、しばらくの間は

 家には戻れないから」


ネムスさんは、小鍋をカップのように両手で抱えて

ふぅ、とため息を吐きました


「謝ったほうが、いいよね?

 だけど、なんって言って謝ったらいいんだろう?

 僕、兄様に怒られたことは、一度もなくてさ

 兄様は、僕が何か悪いことをしても

 悲しそうにするだけで、怒ったことはなかったから

 ごめん、って言葉が、こんなに言いにくいなんて

 思わなかった」


「そのお気持ちを、そのままおっしゃれば、いいのだと

 思いますよ」


私は、思わずネムスさんにそう言っておりました


「シルワさんですから

 ちゃんとお話しすれば、分かってくださいます

 それどころか、自分も誤解して悪かった、って

 言ってくださると思います」


「そっか

 うん

 なんか、君に話して、よかったよ」


ネムスさんは、にっこりして頷きました


その笑顔が、なんというか、もう本当に

素直で、真っ直ぐで、眩しいほどなのです


こんなに大きなからだをしていらっしゃるというのに

多分、私よりも長く生きていらっしゃるはずなのに

うっかり可愛らしい、とか思ってしまいました


シルワさんは、ネムスさんのことを

上手に育てられなかったとおっしゃいますけれど

どうしてどうして、ネムスさんは、とっても真っ直ぐに

素直にお育ちです

それもこれも、シルワさんが、心を込めてお育てしたからだ

と私は思うのです

そして、ネムスさんのほうも、そのことは

よくご承知だったのだ、と


ご兄弟が仲直りできればよいなあ、と

本当に、思いました














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